2025年1月9日木曜日

NHKスペシャル「量子もつれ」:memo

去年の暮れに録画して放置していたNHKスペシャル「量子もつれ」を観た。


「量子もつれ」を「葬り去ろう」と奮闘した人たちのなかでは、「理論家」たちよりも「実験屋」の人たちに感服した。頭の中であれこれしつこく考え続けるのは全く苦痛ではないけれど、例えばガラクタから[使いモノになる装置]を組み上げたりする根気は、自分には全くないから。


「Nスペ史上最高難度」とか言ってから、てっきり[「量子もつれ」(非局所性)が何なのかを解説する番組]なのだと思ったら、何のことはない、[「量子もつれ」(非局所性)という現象はほぼ間違いなく実在する]ということが「わかった」ことを伝える番組だった。ちょっと肩透かし。


「量子もつれ」(非局所性)を理解するためには、「距離」とか「空間」とか「隔たり」というものの認識を改める必要が、多分、ある。光が「時間」を「体験」しないのは直感的にわかりやすいが、たぶん、「空間」も「体験」しないのだろうなあ。量子以外には、宇宙の端っこと端っこに「別れた」ように見えても(思えても)、当の量子の「体験」としては、「別れてもいなければ、移動もしていない」のだろう。


因みに、春風亭一之輔はナレーションに向いている、と思った。そして、宇多田ヒカルは違う、とも思った。


(2025/01/07 穴藤)


2025年1月6日月曜日

巾着要らん


 

みみちりぼうじ

「伊集院光の百年ラヂオ」を聴いていたら、「みみちりぼうじ」という沖縄の子守唄が流れた。聞き覚えのある旋律だったので、ちょっと確かめてみたら、やっぱり坂本龍一の「Okinawa Song」(『Neo Geo』)と同じ旋律だった(歌詞も?)。

数十年目にして元ネタに遭遇。

因みに、伊集院の番組によれば、「みみちりぼうじ」は「耳切坊主」のこと。[泣いていると屋敷の角に立っている「みみちりぼうじ」に耳を切られるから、泣くのをやめて早く寝なさい]という、怖い歌詞。

(2025/01/06 穴籐)