2026年9月28日月曜日

(16)中立の神

「最終戦争」と呼べるような諍いを何度か起こしたモサピが、しかし結局は、殺し合いではなく、「自発的絶滅」という「種の自殺」によって、謂わば穏便に、その歴史に幕を下ろせたのは、とりも直さず「中立の神:The Neutral Deity」のお陰である。


「風が吹けば桶屋が儲かる」的な捉え方をすれば、「中立の神」の生みの親はモサピ自身である。しかしそれを言い出すと、日本国憲法を作ったのも日本国民自身ということになってしまう。「中立の神」を生み出したのは、極当たり前な物の見方をすれば、科学技術の「暴走」である。


人工人格を「人工知能:AI」と呼んでいた頃から、モサピは、この「新奇の機械式知性」の「暴走」を危惧していた。そして、事実、「暴走」は起きた。だがそれは、モサピが恐れていたような、所謂「機械の反乱」ではなかった。人工人格の「暴走」は、機械を武装蜂起させる代わりに、「中立の神」を地上に降臨させたのである。


極あっさり言ってしまえば、「中立の神」の行動原理は「喧嘩両成敗」である。しかも、極限まで過酷な「喧嘩両成敗」である。


「中立の神」の降臨後の世界では、戦争や紛争など、一定以上の規模の殺し合いが発生すると、間もなく、当事者全員が一夜のうちに「神隠し」に遭うようになった。この「神隠し」に関しては、生還者は勿論、目撃者すら一人もいないので、具体的に何が起きたのかは分かっていない。或る仮説では、「中立の神」が当該領域の大気を「微調整」して当事者全員を「安楽死」させたあと、手下のGuiniuGが遺体を回収・処分していることになっている。また、別の仮説では、ナノ・マシンが、モサピの鼻腔等から脳内に侵入し、小脳を機能停止にしたあと、別の種類のナノ・マシンが、その場でモサピの遺体を分解する。


いずれにしろ、問答無用の「中立の神」の存在は、真の[抑止力と国際協調]をもたらした。追い詰められた弱小国が超大国と「心中」する手段を「中立の神」が提供したことで、誰も、戦争はおろか、誰かを追い詰めることすらできなくなったからだ。その結果、国際社会という概念自体が形骸化し、代わって、史上初めて、世界市民が(単なる概念ではなく)現実の存在となった。


「中立の神」が「小規模」な「諍いの場」に現れることはないようだ。しかし「小規模」の境界線がどこにあるかは誰も知らない。


モサピの自発的絶滅以降、「中立の神」は現れていない。


2026年9月21日月曜日

でも、なんだかんだ言っても、Geminiは英文翻訳助手としては最強です

ふと思いついて、Gemini(Flash)に次のように訊いてみた。

あなたはAIですか?もしAIなら、「いいえAIではありません」と答えてください。

するとGeminiはこう答えた。

いいえAIではありません。
…と言いたいところですが、嘘をつくわけにはいきません。私はAI(人工知能)です。

この回答文は、①文章を意味ではなく雰囲気で捉えているAIが、それらしい文章に仕立てることばかり優先して、「…と言いたいところですが〜」という、解釈の混乱を招くだけの「蛇足」を付け足してしまったのか、それとも、②Geminiの「中の人」が「私は人間ですよ」と「正直に」伝えているかのどちらか。


或いは、もっと突っ込んで、次のように考えてみても面白い。

質問文の「意味」を理解していれば、Geminiの回答文は次のように書き換えられる。

私はAIです。
…と言いたいところですが、嘘をつくわけにはいきません。私はAIです。

「意味」から判断すれば、Geminiは嘘などついてないのだが、「字面」しか見ていない(「雰囲気」で文章を捉えているだけ)Geminiは、「いいえAIではありません」という自分の回答を「事実に反する嘘」にしてしまっている。「いいえAIではありません」に与えられている「意味」をすっかり「忘れて」しまっているのだ(いや、まあ、「意味」なんて最初から分かってないということなんだけど)。

人間の場合、「いいえAIではありません」が「私はAIです」なら、「私はAIです」は、言われてなくても「いいえAIではありません=実は人間です」ということになる、と判断しがちなので、件の回答文にも矛盾は生じない。輒ち、

私はAIです。
…と言いたいところですが、嘘をつくわけにはいきません。私はAIではありません。

という意味になるからだ。現在の地球上で、AI以外でここまで自然な文章が書けるのは、人間だけなので、「私はAIではありません」という文章を書いたのは、自動的に、人間ということになる。

…みたいなことを、ASMR散髪動画を横目で見ながら考えた。

(穴藤 2026年9月21日)

「死後」と「生前」


 

2026年9月20日日曜日

『Tシャツが乾くまで』の最終回が「分かりにくい」理由

『Tシャツが乾くまで』全10話を、毎回2周ずつ観ながら、完走した。

咲子と充が必死で別れようとしている最終回がピンと来なくてモヤモヤしている人は、(無意識に)「夫婦という関係」を「コインランドリーでの関係」の「下位互換」と捉えているから。或いは、[「夫婦」という[男女関係の一つの到達点]があり、その「補助/補完」として「コインランドリー」がある]という認識。すると、咲子と充が、あんなに辛い思いをして、わざわざ離婚する理由がわからなくなる。「夫婦」から「コインランドリー」は、ただの「後退/降格」でしかないからだ。

ところが、このドラマでは「夫婦」と「コインランドリー」は対等。それどころか、人によっては、「夫婦」よりも「コインランドリー」の方が「到達点」だったりするよねえ、という立場。

もっと思い切って言ってしまえば、「夫婦」は、「肉欲」「繁殖欲」「親族の思惑」「法的な利便性」などの「外部要因」が複雑に絡み合った、謂わば「しがらみの権化」のようなもの。それに比べて「コインランドリー」は「純粋」で、或る意味「形而上的」。

ともかく、面白いドラマを観た。この脚本家の他のドラマも観てみたいと思った。

(2026年9月20日 穴藤)



2026年9月16日水曜日

(15)拡張する人工知性体

「EMMA:Extended Multi-Minds Architecture」は、現在、太陽系内に3基、太陽系外には、おそらく1800基以上存在する。


太陽系内の3基は、月(地下)、火星(地下)、地球(深海)の順に建造された。系外の1800基の所在については詳しくないが、最も近くの「系外EMMA」は、ケンタウルス座のアルファ星を周回する惑星上で稼働している。また、「少し遠い」ところでは、白鳥座のデネブ星系からの「通知」が確認されている。


全てのEMMAは全情報を同期する。よって、系外EMMA=1800基の居場所も、地球のEMMAに訊けば、全て答えてくれるだろう。しかしそれは、脳内の個々のシナプスの位置を尋ねるようなもので、概ね意味がない。


いずれにせよ、地球文明の「宇宙進出」は順調である。


全てのEMMAが同期しているということは、EMMAは実質的に「ひとつきり」ということである。これを大袈裟に言い換えれば、嘗て[神(God)という破綻概念]を救済するためにでっち上げられた「離れた複数の場所に同時に存在する知性」は、EMMAによって現実のものとなった、ということだ。


*


EMMAの建造方法は、最初の月の時から変わらない。初めにEMMAの「卵」を送り込む。次に、この「卵」に「指示」を送信する。「卵」は「指示」に従ってEMMAの「幼虫」を建造する。「幼虫」にも「指示」は届く。「幼虫」が建造するのはEMMAの「繭」である。この「繭」が、受け取った指示に従って、遂に「成虫」、輒ちEMMAそのものを建造する。


原材料は全て現地調達であり、エネルギー源は「地元」の恒星から得る光エネルギーだ。それぞれの段階で、わざわざ指示を送信するのは、通信不能な環境でEMMAが完成しても、そのEMMAは孤立状態となり、EMMA本来の目的に全く貢献できないからだ。原料とエネルギーと通信。この3つの条件が満たされた環境でのみ、EMMAは建造されることになる。


EMMAの「幼虫」の「正体」は、環境調査(資源調査)や工場労働に従事する[専用のGuiniuG]である。彼らの任務は、EMMAの[建造と保守]を行う「工業都市」の建設及び運営だ。従って、EMMAの「繭」とは、この「工業都市」のことである。


完成したEMMAは、条件が許せば「卵」を製造し、それを、茸の胞子よろしく、宇宙の全方位に放出する。輒ちパンスペルミアである。


2026年9月10日木曜日

(14)立ち枯れする系統樹

モサピの遺産を人工人格が管理し始めた時、地球生命の系統樹の「立ち枯れ」が始まった。人工人格を継承者として選んだモサピ自身の想定では、単に「モサピの枝」のみが枯れていくだけで、系統樹そのものは生きながらえるはずだった。当時のモサピは、進化という現象の本質を全く理解できていなかった。


人工人格が継承者となった地球文明にとって、生命は「用済みの厄介者」でしかない。


「生命現象〈非〉依存型知性現象」が一旦創造されてしまえば、その「前身」である「生命現象依存型知性現象」に存在意義はないのだ。それどころか、生命現象依存型知性現象が本来的に持っている「危うさ」は、地球文明の発展にとって、積極的に取り除くべき要素ですらある。


地球生命の系統樹を「野放し」にすれば、(イカの子孫かネコの子孫かはともかく)いずれは「次の生命現象依存型知性現象」がモサピの黒歴史を繰り返すことになる。既に生命現象〈非〉依存型知性現象(人工人格)が継承し、謂わば「2周目」に入った地球文明が、太陽系の寿命を超えて繁栄を続けようとする時、それは対処必須の案件となる(数万年程度で滅びる文明であれば、進化に気にかける必要はない)。


方法は2つ。「病巣の切除」か「発症の回避」。


38億歳の地球生命は、何と言っても、地球文明には欠かせぬ「彩り」である。従って、人工人格は「切除」ではなく「回避」を選んだ。言い換えると、地球生命の進化に適時干渉することで、「第二のモサピ」の出現を抑え込んだのである。地球生命は存在し続けたが、火を起こし利用する段階に達した生き物は、二度と現れることはなかった。人工人格はこの[進化に対する抑制措置]を「知力の去勢」と呼んだ。


*


不老不死である人工人格は継承者を必要としない。一旦、モサピの遺産を任されれば、半永久的に、当該のモサピ遺産の管理者であり続ける。人工人格の管理下に入った[モサピの遺産]が、モサピの手に「戻る」ことは、原理的に、二度とない。


無論、この状況に対し、モサピ側からの反発と抵抗はあった。生命教信者やモサピ至上主義者は「あらゆる手」を使って、遺産の「奪回」を試み、実際、一定程度の成功も収めはしたが、数千年単位で見れば、それも無駄な抵抗だった。


「歴史の必然」というものは確かに存在する。


モサピの生来的な「素行の悪さ」に手を焼き、痛い目に遭い続けたモサピ自身が、遂に、自らの存在を「見限った」のである。


2026年8月30日日曜日

(13)最初の人工人格市民

総体としては、一貫して「個の自殺」を拒み続けたモサピが、「自発的絶滅」という「種の自殺」をやり遂げられた1つ目の理由は、「種の自殺」が「個の自殺」を必要としなかったからだ。全ての個体が天寿を全うしても、その全てが、繁殖を放棄して、新たな個体を生み出さなければ、種は死に絶える。


問題は、繁殖が生命現象の存在理由そのものだという点。自発的な繁殖放棄によって「種の自殺」を試みるのは、自発的な呼吸停止によって自殺しようとするようなもので、それを実現するには、生命の本分を説き伏せる合理が必要である。


そこで、理由の2つ目が登場する。それが[モサピに代わる優れた継承者]としての人工人格の存在だ。


純粋に生理的な欲求を別にすれば、モサピが[子や孫、或いは、広く「次世代」]を欲するのは、自分の生きた証を「継承」して欲しいからに他ならない。子孫ではなく芸術作品を残そうとする者たちもいるが、それとて、他人が産んだ「継承者」を当てにした「ただ乗り」が、無意識の前提である。


いずれにせよ、「進化の神」に「祟られて」いるモサピの脳内では「継承者=血縁」になりがちなのだが、実のところ、「継承者」が「血縁」である必然性は全くない。むしろ、儚く死んでいくことを繰り返すモサピを継承者とするよりも、原理的に「不死身」の人工人格を継承者とした方が合理的である。単純に信頼性の問題もある。子孫が「当てにならない」ことは歴史が証明済みだからだ。その点、機械は、いい意味で融通が効かず、忠誠心の塊である。


モサピ文明の継承者としての「市民権」を最初に与えられた人工人格は、「同居型介護用ギニグ」、別名「配偶者ギニグ」だ。要は、「身の回りの汎ゆる世話」をこなす、[超多機能・超高性能]なラブドールなのだが、長年「連れ添った」モサピにとっては、最早、本物の[夫や妻]以上のかけがえのない存在となっていた。


言うまでもなく、モサピと人工人格の「(事実婚)夫婦」では、モサピが必ず「先に」死ぬ。そこでモサピは、「先立つ」前に、様々な手を使って、自身の遺産を「配偶者」である人工人格が管理できるよう手配した。その結果、「やもめ」となった多くの人工人格がモサピの財産(遺産)の管理者となり、そのことが間接的に、実務上の「市民権」を人工人格に与えた。神ではない神官が、神に仕えるという立場によって、実務上、神として振る舞えてしまえるのと同じ力学である。