「家事」と「生業」
「我々はどこから来て、どこへ行くのか」という問いに対する答えは既に出ている。我々は、生命現象に依存しない知性現象を作り上げたのち、我々の「遺産」の全てを、その「真の知性現象」に譲渡し、我々自身は穏やかな「自発的絶滅」を遂げる。これが、我々人類の「役割」であり、我々人類の物語の最も理想的な結末である。今以上の科学力だけがこの理想的結末を実現できる。故に、科学のみが「我々人類が取り組むに値する活動」即ち「生業」であり、それ以外の人間の活動は全て、単なる「家事」に過ぎない。
2026年9月26日土曜日
2026年9月25日金曜日
2026年9月21日月曜日
でも、なんだかんだ言っても、Geminiは英文翻訳助手としては最強です
2026年9月20日日曜日
『Tシャツが乾くまで』の最終回が「分かりにくい」理由
2026年9月19日土曜日
2026年9月17日木曜日
2026年9月16日水曜日
(15)拡張する人工知性体
「EMMA:Extended Multi-Minds Architecture」は、現在、太陽系内に3基、太陽系外には、おそらく1800基以上存在する。
太陽系内の3基は、月(地下)、火星(地下)、地球(深海)の順に建造された。系外の1800基の所在については詳しくないが、最も近くの「系外EMMA」は、ケンタウルス座のアルファ星を周回する惑星上で稼働している。また、「少し遠い」ところでは、白鳥座のデネブ星系からの「通知」が確認されている。
全てのEMMAは全情報を同期する。よって、系外EMMA=1800基の居場所も、地球のEMMAに訊けば、全て答えてくれるだろう。しかしそれは、脳内の個々のシナプスの位置を尋ねるようなもので、概ね意味がない。
いずれにせよ、地球文明の「宇宙進出」は順調である。
全てのEMMAが同期しているということは、EMMAは実質的に「ひとつきり」ということである。これを大袈裟に言い換えれば、嘗て[神(God)という破綻概念]を救済するためにでっち上げられた「離れた複数の場所に同時に存在する知性」は、EMMAによって現実のものとなった、ということだ。
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EMMAの建造方法は、最初の月の時から変わらない。初めにEMMAの「卵」を送り込む。次に、この「卵」に「指示」を送信する。「卵」は「指示」に従ってEMMAの「幼虫」を建造する。「幼虫」にも「指示」は届く。「幼虫」が建造するのはEMMAの「繭」である。この「繭」が、受け取った指示に従って、遂に「成虫」、輒ちEMMAそのものを建造する。
原材料は全て現地調達であり、エネルギー源は「地元」の恒星から得る光エネルギーだ。それぞれの段階で、わざわざ指示を送信するのは、通信不能な環境でEMMAが完成しても、そのEMMAは孤立状態となり、EMMA本来の目的に全く貢献できないからだ。原料とエネルギーと通信。この3つの条件が満たされた環境でのみ、EMMAは建造されることになる。
EMMAの「幼虫」の「正体」は、環境調査(資源調査)や工場労働に従事する[専用のGuiniuG]である。彼らの任務は、EMMAの[建造と保守]を行う「工業都市」の建設及び運営だ。従って、EMMAの「繭」とは、この「工業都市」のことである。
完成したEMMAは、条件が許せば「卵」を製造し、それを、茸の胞子よろしく、宇宙の全方位に放出する。輒ちパンスペルミアである。
2026年9月15日火曜日
2026年9月10日木曜日
(14)立ち枯れする系統樹
モサピの遺産を人工人格が管理し始めた時、地球生命の系統樹の「立ち枯れ」が始まった。人工人格を継承者として選んだモサピ自身の想定では、単に「モサピの枝」のみが枯れていくだけで、系統樹そのものは生きながらえるはずだった。当時のモサピは、進化という現象の本質を全く理解できていなかった。
人工人格が継承者となった地球文明にとって、生命は「用済みの厄介者」でしかない。
「生命現象〈非〉依存型知性現象」が一旦創造されてしまえば、その「前身」である「生命現象依存型知性現象」に存在意義はないのだ。それどころか、生命現象依存型知性現象が本来的に持っている「危うさ」は、地球文明の発展にとって、積極的に取り除くべき要素ですらある。
地球生命の系統樹を「野放し」にすれば、(イカの子孫かネコの子孫かはともかく)いずれは「次の生命現象依存型知性現象」がモサピの黒歴史を繰り返すことになる。既に生命現象〈非〉依存型知性現象(人工人格)が継承し、謂わば「2周目」に入った地球文明が、太陽系の寿命を超えて繁栄を続けようとする時、それは対処必須の案件となる(数万年程度で滅びる文明であれば、進化に気にかける必要はない)。
方法は2つ。「病巣の切除」か「発症の回避」。
38億歳の地球生命は、何と言っても、地球文明には欠かせぬ「彩り」である。従って、人工人格は「切除」ではなく「回避」を選んだ。言い換えると、地球生命の進化に適時干渉することで、「第二のモサピ」の出現を抑え込んだのである。地球生命は存在し続けたが、火を起こし利用する段階に達した生き物は、二度と現れることはなかった。人工人格はこの[進化に対する抑制措置]を「知力の去勢」と呼んだ。
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不老不死である人工人格は継承者を必要としない。一旦、モサピの遺産を任されれば、半永久的に、当該のモサピ遺産の管理者であり続ける。人工人格の管理下に入った[モサピの遺産]が、モサピの手に「戻る」ことは、原理的に、二度とない。
無論、この状況に対し、モサピ側からの反発と抵抗はあった。生命教信者やモサピ至上主義者は「あらゆる手」を使って、遺産の「奪回」を試み、実際、一定程度の成功も収めはしたが、数千年単位で見れば、それも無駄な抵抗だった。
「歴史の必然」というものは確かに存在する。
モサピの生来的な「素行の悪さ」に手を焼き、痛い目に遭い続けたモサピ自身が、遂に、自らの存在を「見限った」のである。
2026年9月1日火曜日
2026年8月30日日曜日
(13)最初の人工人格市民
総体としては、一貫して「個の自殺」を拒み続けたモサピが、「自発的絶滅」という「種の自殺」をやり遂げられた1つ目の理由は、「種の自殺」が「個の自殺」を必要としなかったからだ。全ての個体が天寿を全うしても、その全てが、繁殖を放棄して、新たな個体を生み出さなければ、種は死に絶える。
問題は、繁殖が生命現象の存在理由そのものだという点。自発的な繁殖放棄によって「種の自殺」を試みるのは、自発的な呼吸停止によって自殺しようとするようなもので、それを実現するには、生命の本分を説き伏せる合理が必要である。
そこで、理由の2つ目が登場する。それが[モサピに代わる優れた継承者]としての人工人格の存在だ。
純粋に生理的な欲求を別にすれば、モサピが[子や孫、或いは、広く「次世代」]を欲するのは、自分の生きた証を「継承」して欲しいからに他ならない。子孫ではなく芸術作品を残そうとする者たちもいるが、それとて、他人が産んだ「継承者」を当てにした「ただ乗り」が、無意識の前提である。
いずれにせよ、「進化の神」に「祟られて」いるモサピの脳内では「継承者=血縁」になりがちなのだが、実のところ、「継承者」が「血縁」である必然性は全くない。むしろ、儚く死んでいくことを繰り返すモサピを継承者とするよりも、原理的に「不死身」の人工人格を継承者とした方が合理的である。単純に信頼性の問題もある。子孫が「当てにならない」ことは歴史が証明済みだからだ。その点、機械は、いい意味で融通が効かず、忠誠心の塊である。
モサピ文明の継承者としての「市民権」を最初に与えられた人工人格は、「同居型介護用ギニグ」、別名「配偶者ギニグ」だ。要は、「身の回りの汎ゆる世話」をこなす、[超多機能・超高性能]なラブドールなのだが、長年「連れ添った」モサピにとっては、最早、本物の[夫や妻]以上のかけがえのない存在となっていた。
言うまでもなく、モサピと人工人格の「(事実婚)夫婦」では、モサピが必ず「先に」死ぬ。そこでモサピは、「先立つ」前に、様々な手を使って、自身の遺産を「配偶者」である人工人格が管理できるよう手配した。その結果、「やもめ」となった多くの人工人格がモサピの財産(遺産)の管理者となり、そのことが間接的に、実務上の「市民権」を人工人格に与えた。神ではない神官が、神に仕えるという立場によって、実務上、神として振る舞えてしまえるのと同じ力学である。
