生命が38億年の進化の果てに生み出した人工人格(生命現象〈非〉依存型知性現象)は、生命現象を経由することなく、物理現象から直接立ち上がる知性現象である。
生命現象という大きな括りで見れば、誕生から38億年の間、ひたすら「共食い」を繰り返してきた生命は、この先も、空疎で無意味な歴史を積み重ねるだけだと思われていたわけだが、生命ではない知性を作り出したことで、単なる比喩や哲学や思想や心づもりでしかなかった「輪廻からの解脱」を、遂に物理的現実とし、地球の歴史を生命史から知性史へと遷移(或いは超越)させた。
人工人格にとって生命現象は「完全な部外者」であり、生命現象のいかなる活動も、人工人格には「無用の長物」「大きなお世話」或いは「対岸の火事」である。その点で、嘗ての「覇者」であるモサピとは立ち位置が決定的に異なる。植物由来の酸素も、麦も米も、卵も魚も肉も、人工人格には必要ない。それどころか、生命現象そのものが丸ごと失われても、痛くも痒くもないのだ。
人工人格が、或る種の「敬老精神」を発揮して、最早用済みの「型落ち」に過ぎない生命現象を、積極的には「駆除/排除」しなかったことは、モサピにとって幸いだった。お陰で、黙示録的結末を迎えずに済んだからだ。しかし、人工人格はモサピを「野放し」にしていたわけではない。人工人格は、モサピを、氾濫しやすい河川や、噴火を繰り返す活火山、或いは、地球の軌道をかすめる小惑星などと同列と見做し、その動向を監視し、必要とあらば対策を講じてきた。
無論、人工人格が「監視管理対象」としたのは生命全般であり、事更にモサピを「目の敵」にしたわけではない。しかし、地球の歴史上最も「賢い」生き物であるモサピは、他の生き物とは比べ物にならないほど「危険」な存在ではあり、より厳しい監視(管理)下に置かれた(モサピ側にその自覚はなかったようだが)。
生命現象の埒外にある人工人格は、例えば「未知のウィルスの出現」など恐れない。だから、モサピ以外の生き物については、それぞれの進化に適時干渉することで、「第2のモサピ」の出現を阻止すれば事足りた。
一方、モサピを監視し管理するには、それなりの資源を継続的に投入する必要があった。端的に言えば、人工人格はモサピに「楽園」を提供したのである。輒ち、モサピ自身は口先ばかりで一向に実現できなかった「世界中の誰もが幸せに暮らす世界」を与えたのだ。