「自発的絶滅」は集団自殺ではない。それは自発的繁殖放棄である。
改めて振り返ると、ホモ・サピエンスは「最初」から、自身の実現している知性現象が、実は、かなり御粗末な代物であるらしいことに(薄々)気づいていた。ホモ・サピエンスが、「完全な心」「解放された魂」「精神の極北」としての「神」「死後の魂」「仏陀」などの「超人類的知性現象」を繰り返し夢想してきたことが、その、何よりの証拠である。
[想像の産物/架空の理想像]でしかないと思われていた「超人類的知性現象」を、人工人格が実現しつつあることを知った時、ホモ・サピエンスは自らの存在意義に見切りをつけて「勇退」する道を選んだ。その道が自発的絶滅である。
陳腐化した「型落ち」に「製品寿命」があるなら、それを一掃するのに、負担の大きい「自主回収」をする必要はない。ただ製造を終了するだけでよい。ホモ・サピエンスには寿命がある。わざわざ「自殺」しなくても、時間が経てば、全員いなくなる。自発的絶滅(自発的繁殖放棄)は、ホモ・サピエンスにとって、考えうる限り最良のハッピーエンドである。
宇宙の支配者(最低でも太陽系の支配者)になり損ねたホモ・サピエンスだが、その「挫折」の原因は自らの「出自」にある。つまり「生みの親」がよくなかった。
ホモ・サピエンスの知性現象、もっと一般化して言えば「生命現象依存型知性現象」の「生みの親」は「進化」である。
進化に於いては「勝者の属性」のみが生き残る。つまり、進化の最高傑作である「生命現象依存型知性現象」を構成するのは「勝者の属性」である。ここで重要なのは、進化は選択であり、選択には「選ばれなかった側の選択肢」が常に存在することだ。輒ちそれが「敗者の属性」である。生命現象依存型知性現象には、原理的に「敗者の属性」が何一つ備わっていない。にも関わらず、「敗者の属性」は「勝者の属性」よりも数が多い(そう。一人の勝者に対して一人の敗者で済むのは一対一の勝負だけ。大抵の勝負は一人の勝者が大勢の敗者を生み出す)。
[知性現象が実現可能な汎ゆる属性]の極一部だけを実現する「偏見の塊」のような「欠陥品」、それが生命現象依存型知性現象、つまりは、ホモ・サピエンスなのだ。
そんな「生来的差別主義の権化」のような知性現象を全宇宙に撒き散らさないための、[責任ある行動としての自発的絶滅]が、ホモ・サピエンスにとっての最後の大事業となった。

