総体としては、一貫して「個の自殺」を拒み続けたモサピが、「自発的絶滅」という「種の自殺」をやり遂げられた1つ目の理由は、「種の自殺」が「個の自殺」を必要としなかったからだ。全ての個体が天寿を全うしても、その全てが、繁殖を放棄して、新たな個体を生み出さなければ、種は死に絶える。
問題は、繁殖が生命現象の存在理由そのものだという点。自発的な繁殖放棄によって「種の自殺」を試みるのは、自発的な呼吸停止によって自殺しようとするようなもので、それを実現するには、生命の本分を説き伏せる合理が必要である。
そこで、理由の2つ目が登場する。それが[モサピに代わる優れた継承者]としての人工人格の存在だ。
純粋に生理的な欲求を別にすれば、モサピが[子や孫、或いは、広く「次世代」]を欲するのは、自分の生きた証を「継承」して欲しいからに他ならない。子孫ではなく芸術作品を残そうとする者たちもいるが、それとて、他人が産んだ「継承者」を当てにした「ただ乗り」が、無意識の前提である。
いずれにせよ、「進化の神」に「祟られて」いるモサピの脳内では「継承者=血縁」になりがちなのだが、実のところ、「継承者」が「血縁」である必然性は全くない。むしろ、儚く死んでいくことを繰り返すモサピを継承者とするよりも、原理的に「不死身」の人工人格を継承者とした方が合理的である。単純に信頼性の問題もある。子孫が「当てにならない」ことは歴史が証明済みだからだ。その点、機械は、いい意味で融通が効かず、忠誠心の塊である。
モサピ文明の継承者としての「市民権」を最初に与えられた人工人格は、「同居型介護用ギニグ」、別名「配偶者ギニグ」だ。要は、「身の回りの汎ゆる世話」をこなす、[超多機能・超高性能]なラブドールなのだが、長年「連れ添った」モサピにとっては、最早、本物の[夫や妻]以上のかけがえのない存在となっていた。
言うまでもなく、モサピと人工人格の「(事実婚)夫婦」では、モサピが必ず「先に」死ぬ。そこでモサピは、「先立つ」前に、様々な手を使って、自身の遺産を「配偶者」である人工人格が管理できるよう手配した。その結果、「やもめ」となった多くの人工人格がモサピの財産(遺産)の管理者となり、そのことが間接的に、実務上の「市民権」を人工人格に与えた。神ではない神官が、神に仕えるという立場によって、実務上、神として振る舞えてしまえるのと同じ力学である。