「人工自然」は単なる「全自動の万能製造工場」ではない。所謂「第三次産業」に属する「業務」も全て、人工自然は無償提供できるからだ。ホモ・サピエンスと人工自然の関係は、実のところ、飼い猫と飼い主の関係に近い。
それはともかく、医療は第三次産業である。
人工自然によって無償提供される医療は、実質的に「人工人格搭載型汎用人型機械」通称「GuiniuG(ギニグ)」が担った。ホモ・サピエンスは極僅かな数が、管理職として医療に従事した。電灯が使えるなら蝋燭の出番はないというわけだ。
「GuiniuG」は厳密には企業名である。人工人格搭載型汎用人型機械を製造販売していたGuiniuG社の圧倒的な市場占有率が、人工人格搭載型汎用人型機全般をGuiniuGと呼ばせることになったのだ。創業者の死後間もなくGuiniuG社は消滅したが、GuiniuGという呼称は生き残った。
医療が「自然の恵み ver.2.0」として提供され始めて間もなく、医学は遂に[見せかけの多様さに惑わされることなく、「病気」を「単一の事象」として処置する知見]を手に入れた。おそらく、この大成果は、全ての医療従事者が[24時間365日休まず働き続け、知識や経験の共有も完璧なGuiniuG]に置き換わったお陰だろう。
「病気」が克服され、しかし、それでも死を免れ得ぬと知った時、ホモ・サピエンスは(「カースト制」のような単なる「取り決め」などではない)絶対的現実としての「階級差」を思い知らされることとなった。輒ち、「生命現象という制約から自由な、死なない彼ら(GuiniuG:人工人格)」と「生命現象という制約に縛られた、死すべき我々(ホモ・サピエンス)」という2つの「階級」が、客観的事実として存在することに対する敗北感と無力感、その後の諦観である。このとき既に、ホモ・サピエンスの中に「用済みの型落ち」意識が芽生えていたのは間違いない。後の「自発的絶滅」のための「お膳立て(環境作り)」はこの「瞬間」に始まっていた。
さて、既存の病気は勿論、[将来出現する可能性のある全ての病気]の治療法すら「事前」に分かってしまったこの時から、ホモ・サピエンスの死因は、概ねたった一つになった。「脳の老衰」である。老化した「部品」を「新品」と取り替えることで、脳以外の身体の老衰は回避できたのだが、或る決定的な理由のせいで、脳にはそのやり方が使えなかったのだ。

