「家事」と「生業」
「我々はどこから来て、どこへ行くのか」という問いに対する答えは既に出ている。我々は、生命現象に依存しない知性現象を作り上げたのち、我々の「遺産」の全てを、その「真の知性現象」に譲渡し、我々自身は穏やかな「自発的絶滅」を遂げる。これが、我々人類の「役割」であり、我々人類の物語の最も理想的な結末である。今以上の科学力だけがこの理想的結末を実現できる。故に、科学のみが「我々人類が取り組むに値する活動」即ち「生業」であり、それ以外の人間の活動は全て、単なる「家事」に過ぎない。
2026年4月12日日曜日
2026年4月11日土曜日
『JUNK WORLD』:メモ(ネタバレあり)
21世紀の「神話形式」として、今、巷に溢れかえっている、所謂「マルチバース/パラレルワールド」モノ。
因みに、[神・悪魔・幽霊][転生者][異星人][アンドロイド][タイムトラベラー][パラレルワールドを行き来する者]と、「形式」や「用語」や「設定」が色々変わっても、「やってること」は本質的にどれも同じなので、その意味では、この『JUNK WORLD』も陳腐。
前作『JUNK HEAD』の続編だが、物語的には、前日談。切腹したマリガンが姿を変えた「樹」は、『JUNK HEAD』に登場する。更に、エンドロール後に描かれる結末で、『JUNK HEAD』に登場した3人組が壊れたロビンを回収する(この壊れたロビンが、『JUNK HEAD』の主人公の代替ボディになる)。
実を言うと、エンドロールで流れた「Making映像」が観ていて一番盛り上がった。
2026年4月10日金曜日
トメワンとオショウライサン
『魯山人のかまど』(NHK)を愉しく観ている。第2話で、聞き慣れない言葉が2つ出てきた。「トメワン」と「オショウライサン」だ。
登場人物たちのやり取りから「トメワン」は「止め椀」とでも書くのだろうと想像した。輒ち、料理の最後辺りに出てきて、「これでおしまい」の合図になる汁物のことなのだろう、と。調べてみるとそのとおりで、「留椀」とも書くらしい。
「オショウライサン」は、どうやら盆に帰って来る死者の霊のことらしい、ということは分かるが、漢字が全く分からなかった。調べると「お精霊さん」だった。
いくつになっても勉強。
(穴藤 2026年4月10日)
2026年4月8日水曜日
考察猿
大昔から、「立派な人たち」が、人殺しも辞さない覚悟で取り組んできた「神学」や「聖書学」は、今、net上で、猫も杓子もやっている[漫画やアニメやドラマや映画の「考察」]と本質的に何も変わらないわけだが、自分の「研究対象」が虚構であることを充分に理解できている文だけ、猫や杓子の方が、むしろ、頭脳は明晰だと言える。(2026/04/07 穴藤)
『ヤング・シャーロック』(全8話):メモ
『ヤング・シャーロック オックスフォード事件簿』(全8話)を観た。よくある「ファミレス・ドラマ」だった。輒ち、ホームズ一家版「インディ・ジョーンズ」。
展開が派手で、目先はチラチラするが、どうしようもなく印象が薄っぺらいのは、登場人物たちが物語を紡いでいるのではなく、登場人物たちが物語の操り人形でしかないから。
所謂「episode 0」モノに散りばめられる「小ネタ」を喜ぶ界隈には受けがいいかも。「鳥打ち帽」とか「モルヒネ中毒」とか「柔術」ととか「ベーカー街イレギュラーズ」とか「悪の帝王モリアティ誕生」とかの「起源」が描かれているから。
(Annatto60 2026/04/08)
2026年4月5日日曜日
2026年4月3日金曜日
2026年3月23日月曜日
2026年3月19日木曜日
2026年3月17日火曜日
2026年3月15日日曜日
2026年3月7日土曜日
2026年3月6日金曜日
『あのときキスしておけば』全8話:メモ
『あのときキスしておけば』(全8話)を完走した(TVer)。大石静脚本らしく、(「成長」前の「ももち」以外の)全ての登場人物たちが、悉く「察しのいい」人間で、気持ちよく、愉しく鑑賞した。但しそれも最終回の「結婚式」まで。麻生久美子のナレーションで語られる「1年後」が始まると、それまでの「全て」がガラガラと崩れ落ちて行った。なので、「1年後」は観なかったことにする。
追記:
*どう考えても「1年後」は余計。余計というのは「あってもなくてもいい」ではなく、「あれで全部台無し」という意味。『Blade Runner』の「デッカードとレイチェルを乗せた車が、森の中を走っている場面」より酷い。それで、ふと思ったのが、蟹釜ジョーが週刊漫画の作者だということ。週刊漫画といえば「少年ジャンプ」。「少年ジャンプ」といえば、金にならない名作を、稼げる駄作にすることにかけては、右に出る者がいない漫画雑誌。その手法は「終わってるはずの物語を強引に続けさせる」こと。『あのときキスしておけば』も、「結婚式」で終わっていれば「名作」だったのを、敢えて余計な続きを描いて、「ダラダラ続けたダメな人気週刊漫画」的なものとして完成させたのだろうか?(いや、まさか)。
*「あれで全部台無し」についての補足。[あの世(死後の世界)は、この世(生者の世界)と特に変わったことのない世界(単に「場所」を移動しただけ)]という設定を取り込んでしまった物語は、生者がこの世で繰り広げる様々な「人生模様」が全て茶番になってしまう。例えば、子との死別、恋人との死別、不治の病の恐怖、戦争の恐ろしさ、若くして死ぬこと、道半ばで死ぬこと、その何もかもが、定期検診に連れて行かれる猫がキャリーバッグの中でこの世の終わりとばかりにギャーギャー鳴き喚いているのと実質的に同じになってしまう。輒ち、無知ゆえの空騒ぎ。広い意味での「夢オチ」。
(2026年3月6日)穴藤
追記2:
*「結婚式」迄は「名作」だった理由は、人間の本質は知性現象だということを、絶対の自信を持って描ききっているから。もっと具体的に言えば、【物理現象や生命現象としては紛れもなく「田中マサオ」でしかない存在であっても、それが実現している知性現象が「唯月巴(蟹釜ジョー)」なら、彼女の[恋人や元夫や母親]は、それを目の当たりした「途端」、それが自分の[恋人や元妻や娘]だと確信するし、逆に、田中マサオの妻や子供は、それが自分の[夫や父親]ではないことに「最初から」気付く】ということを、ブレなく描いているから(当初、田中マサオの息子以外全員が「憑依」を否定するが、実は、最初に「巴よ!」と言われた瞬間に、みんな、「え、ホントかも?」という顔に一瞬なる。しかし、すぐさま「そんな馬鹿な、あり得ない」と心のなかで否定する)。▼「結局、人間ってなんなのさ?」という大問題に対する「正解」が、第8話の「結婚式」まで描かれ続ける。しかし、生身の人間の知性現象は、「永遠の命」や「不死」を都合よく言い換えただけの「幽霊」や「死後の魂」とは全く違う。消滅する(「死ぬ」と言い換えてもいいけど)のが、生身の人間の知性現象(別に「魂」と呼んでも構わないけど)。しかし、「1年後」以降はそれを全否定して、軽薄な幽霊話にしてしまった。
(2026年3月7日)穴藤
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