ホモ・サピエンスが「自発的絶滅」に踏み切ることになった契機は、人工人格の台頭である。しかし、(先にも述べたように)自発的絶滅は、或る種の「お祭り騒ぎ(集団狂騒)」である「集団自殺」などではなく、全ての個体がその生涯にわたって意図的に繁殖を放棄することで実現される、謂わば、日常と地続きにある「地道な取り組み」であり、最低でも、最後に生まれた子どもが繁殖能力を失うまでの期間(概ね百年間)、全てのホモ・サピエンスが繁殖を放棄し続けなければならない。このとき重要なのは、仮に「最後の百年間」に全てのホモ・サピエンスが繁殖を放棄できたとしても、年々老いていく彼らの生活を支える労働力となるはずの、新たに社会参加する若いホモ・サピエンスが一人も存在しないことだ。繁殖放棄とは、社会参加する若い個体の「供給停止」に他ならないからだ。
しかし、実際に自発的絶滅は成し遂げられた。それは、そのとき既に、自発的絶滅のための「お膳立て」が整っていたからだ。
ホモ・サピエンスは、社会を維持運営するための労働力としての役割から完全に解放されていており、全ての「労働者」はホモ・サピエンス以外の存在に置き換わっていた。ホモ・サピエンスは皆、生涯、サービスを享受する「お客様」の立場だった。だから、たとえ、若いホモ・サピエンスの社会参加が途絶えても、社会から「労働力」が失われることはなかったのだ。
全てのホモ・サピエンスを労働から解放した「機構」を、ホモ・サピエンスは「人工自然」と呼んだ。この[語義矛盾か撞着語法のような用語]の正体は、文字通りのものである。輒ち、人工的に作られた自然である。ただし、ここで言う自然は、ホモ・サピエンスを含む野生動物に[無償の資源]を提供してくれる自然のことを指す。海は漁師に魚の代金を請求しないし、森は猿たちに果物の対価を求めない。それらは一般的に「自然の恵み」と呼ばれる。だから、「人工自然」とは、「人工的に作られた[自然の恵み]の提供機構」である。人工自然が提供する自然の恵みは「自然の恵み ver.2.0」と呼ばれる。
「自然の恵み ver. 2.0」の最大の強みは、人工的に作り出せるものは何でも提供できることだ。森が提供できるのは果物か茸か木材だ。海が提供できるのは魚介と塩などに限られる。しかし、「自然の恵み ver.2.0」の「森」には、例えば、「自動車の木」や「抗生物質の木」があった。

