「我々はどこから来て、どこへ行くのか」という問いに対する答えは既に出ている。我々は、生命現象に依存しない知性現象を作り上げたのち、我々の「遺産」の全てを、その「真の知性現象」に譲渡し、我々自身は穏やかな「自発的絶滅」を遂げる。これが、我々人類の「役割」であり、我々人類の物語の最も理想的な結末である。今以上の科学力だけがこの理想的結末を実現できる。故に、科学のみが「我々人類が取り組むに値する活動」即ち「生業」であり、それ以外の人間の活動は全て、単なる「家事」に過ぎない。
2022年9月30日金曜日
創作の用心
2022年9月28日水曜日
2022年9月26日月曜日
私立探偵 濱マイクの「今更感」
『オリバーな犬』から「逆流」する形で、『私立探偵濱マイク』の第1話を20年ぶりに見た(Amazon Primeで)。所謂豪華キャストでそれなりに楽しめたが、やはり、今更感があった。いや、当時から、この今更感はあったのだ。つまり、遅れてきたハードボイルド探偵モノ感。ちなみに、パチンコ屋の景品交換書の顔を見せない女が多分、小泉今日子だと思うのだが、あのドラマの時点で、永瀬正敏の「将来の嫁」だったか「当時の嫁」だったか、それとも「元嫁」だったかは、今となっては忘れた。
2022年9月25日日曜日
2022年9月23日金曜日
2022年9月21日水曜日
公道の方はパイロンすらないからネ
2022年9月20日火曜日
2022年9月18日日曜日
「モンティ・ホール問題」に関する昔のメモ
2022年9月13日火曜日
2022年9月12日月曜日
2022年9月10日土曜日
2022年9月9日金曜日
2022年9月7日水曜日
「ではまた、あの世で」(by 水木サン)
2022年9月6日火曜日
2022年9月5日月曜日
アムロ、行きま〜す!
予告編ではあの独特の面白さが伝わらない沖田修一
大抵の映画は本編よりも予告編の方が面白いが、沖田修一の映画(だけ)は予告編よりも本編の方が断然面白い。言い換えるなら、沖田修一の映画は予告編が(いつもだいたい)好くない(褒めてるのか貶してるのか分からないかもしれないが、褒めている)。だから、今度の『さかなのこ』も予告編を見ただけで「きっとつまらないだろう」と判断するのは早計。と、自分に言い聞かせている。
「沖田修一の映画の好さは予告編ではまるで出ない」説は、さっき、我が「邦画部門オールタイムベストテン」にランクインしている『モヒカン故郷に帰る』の、その予告編をYouTubeで観て確かめたから間違いない。『モヒカン』の予告編もやっぱり、全く好くなかった。別に見なくていいよな、と思わせるような予告編。危なかった。考えてみれば、細野さんがエンディング曲を歌っているのに釣られて観たのだ。ありがとう細野さん。(繰り返すけど、貶しているのではないよ。『モヒカン』は少なくとも4周はしているし。「お恥ずかしい!」「持てるかねえ〜」「えさ?」「家族とかっぱ寿司に行くんで」「ち〜ん/ちんちん」ほら、いくらでも「名場面の名台詞」が出てくる)
理由はわかっている。沖田修一の作品の「好い」場面は、どれも「時間を食う」のだ。だから、予告編で、ぱっぱっぱとはやれないのだ。
コアホウドリのカップル
オスの激減(メスの4割しかないない:原因は海洋ゴミを食べてしんでしまう)したコアホウドリでは、カップルの三割がメス同士。一方が餌を食べている間にもう一方が卵を抱くのだが、コアホウドリは一度に一つの卵しか温められない。カップルになったメスがどちらも卵を産んだ場合は、どちらか一方の卵は温められずに死ぬ。コアホウドリのメスは一個だけ卵を産む。
(NHKスペシャル)
catsuit
キャットスーツ。所謂「Catwoman」の衣装。ピチッとした、腕胴体足を覆うワンピースの服。素材は色々。もともとは、bodysuitと呼ばれていたが、1950年代以降は、Catwomanの影響で、そう呼ばれるようになった。たしい。