2024年9月26日木曜日

『The Last Emperor』全長版:メモ

△『The Last Emperor』オリジナル全長版・字幕/Prime Video/2024/09/25/境遇と性格があまりに特殊すぎる主人公(愛新覚羅溥儀)に、ほぼ全編にわたって全く共感できないのがこの映画最大の「弱点」。最後の最後、住み込みの守衛の子供にコオロギを渡すところでやっと、共感できる。

言ってしまえば、この映画は全て、この最後の「コオロギ」の場面のための壮大な「前フリ」という気もする。

アカデミー賞を総なめに近いことをした作品だが、今、改めて見返してみると、全体「子供っぽい」映画で、そこまでありがたがるような出来でもない(というか、そもそも、アカデミー賞って、ねえ、アレだし…)。セットやらエキストラやらは、確かにものすごい時間と労力とカネをかけているようだけど、そんなものは「SFXがすごい」と言って褒められているのと同じで、「そっち側」の人間でなければ「ダカラナニ?」だし。

とにかく、人物造形が少年ジャンプレベルで、鑑賞に耐えない。

いっそ、コント(喜劇)なんだと思って見れば、手間ひまかけたものすごいコントだと言える。うん、この作品をコントと捉えるなら、人間という存在や、個人の一生や、人間の社会や歴史を、悪魔が腹を抱えて笑ってるような、すごく「壮大」なコントで、評価は△から◯になる。

或いは、fantasyか? 「続編」の『The Little Buddha』は完全にfantasyだから、この作品も、愛新覚羅溥儀という実在の人物の数奇な運命を真顔で受け取るのではなく、やっぱりfantasyとして観たほうが「正解」なのかもしれない。

(穴藤)

2024年9月23日月曜日

『光る君へ』#36「待ち望まれた日」:メモ

『光る君へ』#36「待ち望まれた日」を愉しく観た。

今回のepisodeはこれに尽きる。


結局、一番酔っ払っていたのは道長でした!


あと、『光る君へ』の副題は毎回、複数のことを指していることが多いけど、今回の「待ち望まれた日」も、①「中宮彰子に御子が生まれる日」、②「まひろさんが道長とひとつ屋根の下で暮らすことになる日」、③「まひろさんと道長の秘密の関係が明かされる日」などを指していて愉しい。


あと、実資(さねすけ)の酔っ払い方は好かった。ああいう、謎の酔い方する人、居るよね。


(2024/09/23 穴藤)


2024年9月16日月曜日

『光る君へ』#35「中宮の涙」:メモ

今週も『光る君へ』を愉しく観た。特に好かったのが「おまえは不義の子を生んだのか?」のクダリ。まひろさんと道長の「心の声」が聞こえて聞こえて、面白くて仕方がなかった。


道長が『源氏物語』の「続き」を今から読むとなった時のまひろさんの


(あ、でも今回の話って、この人に読ませて大丈夫かしら? 気付く? いやまさか)


から始まって、原稿を読み終えた道長からの「おまえは不義の子を生んだのか?」という問いに対して、持って回った言い方で、しかし、肯定するまひろさんの


(そうですよ、でもまあ、その子の父親はあなたですけどね。いい加減気づきなさいよ)


それに対する、未だ何も気づかない道長の、


(え、まじか、意外! 夫は別にして、俺以外ともやってて、その子供まで生んでたのか〜。なんかがっかりだなあ、騙されてたわ〜)


で、道長はちょっとムカついた感じで、〔「続き」の原稿〕を持って部屋を出ていく。

そんな不機嫌な道長を見て、はっきりと動揺するまひろさんの、


(あの人、完全に誤解してるわ〜)


…のだけれど、道長は廊下を少し歩いたところで、


(あれ? 待てよ、この不義の相手って、もしかして、俺じゃね?)


と気付く。きっと、廊下を歩きながら、まひろさんが生んだ娘の歳を改めて数え直しているはず。


もうひとつ好かったのは今回のサブタイトルにもなってる「中宮の涙」。一条天皇の(わ!びっくりした)と言う心の声が聞こえてくる、中宮彰子の「涙の告白 THE 不器用!」。好きすぎて、怒ってるみたいになることって、時々ある。


(2024/09/15 穴藤)






2024年9月7日土曜日

『ルパン三世』「タイムマシンに気をつけろ」memo

魔毛狂介のことを、遥か未来でタイムマシンを発明して、過去にやってきた未来人ように思い込んでいたが(「自分の子孫が、ルパン13世に滅ぼされたから、過去に戻って、ルパン一族自体を葬るのだ」なんて言ってるから)、彼がタイムマシンを発明したのは現代(この物語に於ける「現代」は1971年/昭和45年)で、それを使って未来に行き、自分の子孫がルパン13世によって滅ぼされるのを目撃しただけだった。あとで、次元や五右衛門が調べた文献にも、1932年11月18日生まれ、科学者であり、ヒューゴー賞を受賞したSF作家で、1966年に発狂、とあるから、完全に昭和生まれ。


ルパン三世が最後に魔毛狂介を罠にはめる時に話す、ルパン三世に一番よく似た「川向こうの次郎吉」は、ルパンによれば、アルセーヌ・ルパン(初代)の曾おじいちゃんにあたる人。しかも、あとで登場する次郎吉本人(ルパン三世の変装)は、これからフランス女のミレーヌ・ルパンと結婚する、と言っている。輒ち、アニメ版『ルパン三世』の設定では、そもそもアルセーヌ・ルパン(初代)が、日本人とフランス人の混血。ルパン三世の両親のどちらかが日本人だったわけではないのだ。ま、ルパンが、魔毛狂介を騙すのにデタラメを言っただけかもしれないけど。


(2024/09/06 穴藤)


2024年9月6日金曜日

まるで、凄い俳優と無能な監督

今週の「水ダウ」の、ひょうろくさんの「裏の顔」を見せるドッキリは、芸人(タレント・役者)としてのひょうろくさんのスゴさ(有能さ・芸達者ぶり)と、さらば青春の光のポンコツぶりが更に明白になってしまった説だったね。さらばの森田がこっそり指示を出す「二人きり」になるところは、優秀な俳優が、無能な映画監督の映画に出ているみたいだった。(2024/09/06)

2024年9月4日水曜日

おっさんが操縦する青いモビルスーツと言えば

元々、『ポケットの中の戦争』の各モビルスーツは、『ガンダム』に登場したモビルスーツを「清書」しただけのものだったので(どこかで誰かが言っていた)、たとえ見た目や動きや性能や機能が違っているように見えても、想定時間より10分遅れていたサイクロプス隊のズゴックとゴッグは、レビル将軍が居たベルファスト基地を襲撃したズゴックやゴッグと「同じもの」であり、バーニィが初陣で撃墜されたザクは、ジーンが初陣のアムロに鼻をもがれたザクと「同じもの」であり、サイド6内で市街戦をやっていたリックドムは、三分も持たずに12機が撃墜されたリックドムと「同じもの」であり、サイド6の領空を侵犯していたゲルググは、「大佐、邪魔です」と言われたゲルググと「同じもの(さすがにシャア専用機ではないだろうけど、エース専用機風ではある)」。それは連邦軍のモビルスーツにも言える。


ところが、ガンプラを売る都合か、レンタルビデオの回転数を上げる都合か、それとも、あとから「ファン」が勝手にいろいろ言い出したのかは知らないけれど、その『ガンダム』と「同じもの」だったはずの『ポケ戦』のモビルスーツが、なぜか全て「新型」とか「改良型」とか「実験機」とかにされて、今に至る。


いずれにせよ、『ポケ戦』に出てくるモビルスーツの「新型」は、アレックスとケンプファーだけ。けど、アレックスは、「シャア専用ザク」をガンダムでやった「アムロ専用ガンダム」という位置づけだから、まあ、要はガンダム。だから、ほんとうの意味での、ゼロからの「新型(新作)」は、ケンプファーだけなんだ、と、ずっと思っていた。


けど、今日気付いた。違う。


ケンプファー、これはもう、ベテランのおっさん(ミーシャ)が操縦する青いモビルスーツなんだから「グフ」に決まってる。ケンプファーを「グフ」と考えると、先に挙げた、ザク、ドム、ゲルググ、ズゴック、ゴッグと合わせて、『ガンダム』に登場した主要モビルスーツが勢揃いするので、この点でも間違いない(アッガイとか、ゾックとか、あと、ギャンとかモビルアーマーとかは、まあ、大河原さんのもう一つの大きな仕事である『タイムボカン』の系譜だし)。


『ポケ戦』に登場するモビルスーツは、『ガンダム』のモビルスーツの「清書版」であり「高解像度版」なので、目指しているのは「兵器機械としての迫真性の向上」。で、ザクとかドムとかゲルググとかズゴックとかは、まあ、原型をとどめたままでも、それらしくできた。ゴッグは、元々の「手足の生えた樽」ではどうにもならんと判断され(たのだと思う)、「変わり果てた」姿に変更された。しかし、その「どうにもならん」ゴッグ以上に、どうにもならんと思われたのがグフ(たぶん)。グフは、見た目がどうというよりも、その「性能」や「機能」が頭痛の種。何しろ、指先がバルカン砲になっていたり、普段どこに仕舞い込んでいるのか全くわからない極太電流ムチを振り回したりする、『マジンガー』や『ゲッター』的なお方だから。その結果が、完全renewalの「ケンプファー」。指バルカンは手持ちのshotgunに変更された。これは簡単。極太電流ムチ(heat rod)はどうしたかというと、truckのcontainerにあらかじめ隠しておいた「紐状に連なった爆弾」として「再現」された。アレックスの体に一瞬でまとわりついて、外装を破壊した、あの奇妙な「鎖爆弾(chain mine)」は、グフの「漫画武器(heat rod)」の「清書版」なのだ! とさっき気づいて、鼻息荒く、今これを書いている。という次第。


(2024年9月3日 穴藤)