2023年5月31日水曜日

『0.5の男』第一話:メモ

YouTubeで無料公開されていた、WOWOWの連続ドラマ『0.5の男』の第一話を観た。無論、『モヒカン故郷に帰る』 の「沖田修一×松田龍平」に釣られて。

期待通りの「沖田修一映画」。なので、昨日も観て、今日も観た。合計二回。

しかし、WOWOWには入ってないので第二話以降は観れない。しょうがないので、また明日、第一話を観る(かもしれない)。

(2023年5月30日:穴藤)

2023年5月30日火曜日

 THE BEETNIKSの「River in The Ocean」とYMOの「Pure Jam」は同じ曲?

【バイコマ】HUD固定表示

『Bionic Commando』のオプション設定にある「HUDの表示を固定する」のOnとOffの違いがよくわからない。何が変化してるんだろう? Onにすると、なんとなく、フックの照準(カーソル?)が画面正面に「固定」されているような気がするけど、そんなにガチガチに固定されてるふうでもないし。

2023年5月28日日曜日

変身忍者嵐:メモ

『変身忍者嵐』の第一話をYouTubeで観た。『仮面ライダー』を時代劇(忍者モノ)でやってみました、という番組。原作(石森章太郎)、ナレーション、敵の首領の声(納谷悟朗)、ジャンプ音などの効果音、物語のフォーマット、何もかも、『仮面ライダー』からの「使い回し」。

幼児期に雑誌などの写真でしか見ることが出来なかった昔の特撮モノをYouTubeは見せてくれてありがたい。ありがたいが、「夢」もぶち壊す。

「いや、地球の膿ではないよ」と、最初に突っ込んだ。

 「日曜美術館・地球の脈動を塗る」で、左官・挾土秀平氏の創作風景を、呆れたり感心したりしながら、オモシロク観た。

2023年5月22日月曜日

【英語】

・I know the drill.:いわれなくても分かってる(やるべきことはわかっている)。

・You know the drill.:詳しく言わなくてもやることは分かってるだろう?

【英語】What the hell do you want to make me do?!:貴様は一体オレに何をやらせたいんだ?!

(PS3『Bionic Commando』)
【英語】Little did he know.:彼は知る由もなかった

(映画『Stranger Than Fiction:主人公は僕だった 』)
【memo】「ゆくりなく」→思いがけず

(夏目漱石『こころ』 p. 21)
【memo】珈琲の「ブレンド」は日本発です。

(テレ東「飯尾和樹のずん喫茶」より)

「倍速視聴」のことで

「1.5倍速視聴」とか「ネタバレ視聴」って、コンテンツの「対価」として、カネよりも時間の方が価値が高くなったということだよね。

極端な喩えを言えば、「特に関心もない正体不明の2時間の映画を観ないで済むなら、1000円払ってもいい」とすら思えるようになっているということ。

〔どうしてもこれでなくちゃいけないわけでもないもの〕のために、上限が一日24時間と決まっている「自分の持ち時間」を失うのは馬鹿らしいと考えるのは極自然なこと。

映像作品の鑑賞は、娯楽としては、既に、「ケーキバイキング」や「ホテルの朝食バイキング」の系列に含まれている気がする。

2023年5月21日日曜日

「寄る年波には勝てない」というアレですか?

最近の「岡田斗司夫ゼミ」をF1に喩えると、〔昔は常にトップ争いをしていたドライバーが、今では殆どテレビにも映らず、たまに映ったと思ったら、クラッシュしてたり、8位争いをしている〕とかって感じだったんだけど、2023年4月23日の「宇宙人特集」は、〔久々にポールポジションからスタートして、しばらくの間表彰台圏内を走りました〕って感じだった。まあ、Topでチェッカーを受けるところまでは「復調」してなかったけど。

誰か、もう、チューリング博士の墓前に報告した?

人間の文章や発言も、所詮は、どこかのタイミングで聞いたり読んだりしたものの〔「口真似」とそのアレンジ〕に過ぎない。その点で、囲碁将棋の「指し手」と何も変わらない。どちらも「状況に最適と思われるもの選ぶ」という意味では同じことをしている。

ChatGPTが人間よりも素早く「整った文・良い文・わかりやすい文」を「書ける」のは、AlphaGo(囲碁用AI)が普通の人間よりも素早く「良い指し手」を「思いつける」のと同じ「からくり」なので、それほど不思議がったり不気味がったりする必要はないのだ。

それよりも重要なのは、人間の思考に不可欠な「言語活動」というものの「正体」が、囲碁将棋の〔好手悪手の選択〕と本質的に同じものだという気づきの方。人間の精神活動の「本体」とでもいうべき「言語活動」が、存外他愛もないものだったという現実を、今、我々は突きつけられているのだが、一体どれだけの人間にその自覚があるだろう?

仕事を奪われるとかどうとか、そういう下世話な話も大事には違いないけど、人間が自分たちの専売特許のように思い込んでいた「高度な精神活動」が、生命ですらない〔比較的単純な機械〕によって、巧みに「口真似」されている意味をよく考えたほうがいい。例えば、誰がどう言い訳しても、「チューリングテスト」(1950)は既に「突破」されているのだから。

【memo】中国の受験地獄ぶり。北京大学の入試倍率は6000倍。早稲田大学に留学生徒にして入学するならその入試倍率はたったの8倍。高校は、6時半から22時まで授業。結果、中国からの留学生が日本で増えて、池袋や高田馬場で「ガチ中華」輒ち、日本人向けにアレンジされていない〔本場の中華料理〕を出す店が増えている。

(NHK G 「所さん事件ですよ!」 2023.04.06)

ネバネバする液体

体が石のように固くなって泡を吹いて倒れ、水木さんが病院を探している間に、ネバネバする液体だけを残して消えてしまった美術学生(アシスタント)の病名はカタレプシー(強硬症)? でも、なら、あとに残ったネバネバの液体は? 『コミック昭和史⑦』に登場するエピソード。
【memo】インポスター症候群:詐欺師症候群→自身の成功や昇進が喜べない。いつか自分の無能が周囲にバレると不安になる病。

『The Second』の284点

結成16年以上の漫才コンビの賞レース番組『The Second』の第一回を観た。フジテレビ。4時間超えの生放送。競技方法はトーナメント方式。輒ち、漫才コンビ同士のタイマン勝負。招待された百人の観客が採点する。採点方法は絶対評価方式で、対戦する二組に、それぞれ「3点:とても面白かった」「2点:面白かった」「1点:面白くなかった」を入れる。出場コンビは8組。準決勝は、三四郎、マシンガンズ、囲碁将棋、ギャロップ。そのうちの3組(ギャロップ、囲碁将棋、マシンガンズ)が284点で同点になった。決勝は、ギャロップとマシンガンズ。優勝はギャロップ。

2023年5月16日火曜日

2023年5月15日月曜日

「王子様」の思いつきそうなこと

岡田斗司夫が〔「最悪の平和」と「まだマシな戦争」〕などという「選択肢」を思いつくのは、生まれつき心臓に問題があった彼が(←事実)、言ってみれば、「王子様」的な〔幼少期・少年期〕を過ごしたからじゃないのかな(←想像)。つまり、「暴力」が支配する〔子供の世界〕の「当事者」になったことがないんだと思う(←全くの想像)。


以下、全くの想像で無責任に書くと:

両親や周囲のオトナたちが、彼(岡田斗司夫)に対して「遠慮」があったのはもちろんだが、同級生や上級生たちも、彼には「ちょっかい」を出さなかった。だから、彼は、〔暴力に頼りがちな、オツムがそれほどでもない連中〕が主導権を握る状況(輒ち、3歳頃から始まって社会に出るまで続く「人類社会の発展史の追体験」=胎児が発生の過程で生命進化を「追体験」するやつの人類社会版)に巻き込まれたことがない。それが「どういうものか」を知らない。だから、呑気に「まだマシな戦争」なんてことを思いつく。

「暴力」で物事を解決することが得意だったり好みだったりする連中に「活躍の場」や「大義」を与えてしまうと、「暴力」によって主導権を奪われてしまう事態になりがち。

厄介なことに、一旦、〔「理屈」ではなく「暴力」でモノゴトを決める連中〕によって「支配」された共同体や社会や国家は、そう簡単には、〔「理屈」によってモノゴトを決める共同体や社会や国家〕には戻らない。なぜなら、理屈は無視できるが、暴力は無視できないからだ。それをもっと辛辣に言えば、理屈は相手が馬鹿なら効果がないが、暴力は相手がバカでも賢くても効果があるからだ。つまり、説得は聞き流せてしまえるが、銃弾は当たれば死ぬ。

その「抜け出したくても抜け出せない、程度の低い状態」を、〔腕っぷしが強いだけの、自分よりもバカな同級生や上級生〕に牛耳られた経験のある、当時の「アタマのいい」子どもたちは、オトナになっても覚えているので、〔戦争{状態}の何が駄目なのか/その駄目の本質〕を理解している。

アタマがいいはずのオトナの岡田斗司夫が「まだマシな戦争」などと口走ってしまうのは、だから、「暴力が支配する子供の世界の体験」がないせいだろうと推測できるのだ。あるいは、自分が「安全(=絶対に誰からも暴力を振るわれない立場)」なのをいいことに、暴力の支配する子供の世界のボスの参謀的な立場に居た、ということも考えられなくもないが、これは、岡田斗司夫に対する悪意が過ぎるので却下。


生命現象依存型知性現象である人間は、戦争中は生命現象成分が増して、知性現象成分が減る。SEXの最中や飢餓状態のときと同じ。兵器の開発だの、戦術だの戦略だので、アタマをフル回転しているので、知性現象成分が上昇しているように錯覚するが、その正体は、体位をあれこれ工夫するとか、とにかく食べられるものを見つけ出してくるとかの、〔生命現象としての「知恵」〕でしかない。あくまでもそれは、「野生動物は賢いねえ」「植物には知恵があるよ」の次元の話。

また、〔軍事目的の研究がもっとも科学を発達させる〕と言われがちだが、それは、人間が〔軍事目的でしか科学を頑張れない〕二流の知性現象であることを証明しているに過ぎない。軍事以外で人間が無闇に頑張れるもう一つが「エロ」。しかし、軍事もエロも、要は「動機」であって、科学そのものでない。

実際、戦争すなわち軍用技術の開発が科学技術の発展を加速させると言っても、そのような軍用技術は、民間に転用されることで初めて、人間の社会や文明の発展に寄与する。軍用技術としてしか使い道を思いつかなければ、そんなものは、手の混んだ猫の牙と変わらない。

つまり、戦争を始めると、人間は社会・共同体レベルで、知能が一段落ちて、要するに「バカ」になる。そして、この「バカ」状態から回復するのに、うっかりしたら何年も何十年もかかる。人間の「目的」は知性現象として行けるところまで行き、もうこれ以上は無理というところで、自らが創造した人工人格に「跡を継がせる」ことなのだから、「バカ」になってる暇はないんだよ。

2023年5月14日日曜日

IPPON GPとChatGPT

IPPON GPを愉しく観た。特に、バカリズムと西田(鬼)の決勝戦は好かった。しかし(?)、今、番組関係者のすべてとファンの大半の心に浮かんでいるのは「ChatGPT参戦」だろうなあ。いや、既に巷では「参戦済み」なのだろうけど。

『PLAN75』:メモ

2022年の映画。75歳以上の人が安楽死を選べる法律が成立した日本のお話。主演は倍賞千恵子。子供のいない78歳の単身者という設定。

途中までは、抑えた表現できっちり作られたリアリティのある映画という印象だったが、主人公がPLAN75の施設に入ってから急に嘘っぽくなった。輒ち、①PLAN75の施設のセキュリティが、いくらなんでも、甘すぎる。②男子キャラが「突然」、フィリピン人(?)女性キャラの助けを借りて、叔父さん(伯父さん)の遺体を施設から盗み出す。

①について:PLAN75のような「きわどい」制度を実施している施設は、所謂「過激な反対派」の標的になる危険性が高い。また、安楽死を選んだ老人たちの中にも、土壇場になって思い直したり、急に怖くなって、突発的に施設から「逃亡」する者も出てくるかもしれない。要するに、普通の病院以上の「想定外の騒動」が起きやすいはずの施設。にもかかわらず、男子キャラがポッと思いついて施設に戻ったら、そのままスルスルと、今まさに安楽死している老人たちのいる区画にまで入り込んでしまえる。あそこでやってることは、実質、〔当人同意の上の「死刑」〕なのだから、実態としては「処刑場」と同じなのに、「部外者」が普通の小学校より簡単に入り込めるって、どういうことなんだろう?

②について:男子キャラが、突然、叔父さん(伯父さん)の遺体を盗みだしたときには、最初、面食らったが、よくよく考えたら、ちゃんと「伏線」はあった。男子キャラが、火葬設備が故障した旨をいろいろなところに電話連絡している場面。あそこで、男子キャラは、PLAN75で火葬された遺体の遺灰が共同墓地に埋葬されているのではなく、民間の産廃業者に引き渡されているらしい事を知る。つまり、男子キャラは、叔父さん(伯父さん)の遺灰が産廃業者に「回収」されるのが許せなかった。ちゃんと埋葬したかったので、叔父さん(伯父さん)の遺体を施設から盗み出して、外部の火葬場で焼こうとしていたのだ。


作品の立ち位置は〔本当は望まないのに、いろいろなめぐり合わせで、安楽死=PLAN75を選ぶ事になってしまう老人たち〕や、その身内や身近な人への「寄り添い」。PLAN75のような仕組みを〔待ち望んだ「救済」〕と捉えている人たちの目線は基本的に描かれていない。


映画のオープニングで描かれているような老人襲撃事件の続発が、PLAN75成立を後押ししたというのは、なにか違う気がする「若い」世代の「穀潰しの年寄りはさっさと死んでくれ」という「本音」を「合法化」するというのは、例えば、移民や少数民族や異教徒への襲撃事件が後を絶たないから、移民や少数民族や異教徒に対して〔自発的な国外退去〕を勧める法律を作るようなもので、不穏臭しかしない。というのは、その究極として最も有名なのが、ナチスドイツの〔「合法的」なユダヤ人対策〕なわけだから。逆に言えば、だから、この映画は、PLAN75という制度を、ナチスドイツのユダヤ人対策の系譜として捉えているのだろう。要は「姥捨て」なのだ。「姥捨て」は、飽くまでも、捨てる側の便益のための仕組み。しかし、もしもこの21世紀の民主主義国で本当にPLAN75に類するものが成立するなら、それは必ず、当事者(死んでいく老人たち)にとっての「救済」として登場するしかない。だから、PLAN75を成立させることになった大きな理由は、「老人に対する襲撃事件が続発したから」ではなく、「老人たちの自殺が不穏なほど急増したから」でなくてはならない。


追記:この作品を最後まで見たときに感じる妙な違和感の正体が分かった。この作品は、PLAN75に反対している人たちは暴力的なことや過激なことはしない、と決めつけている。それが違和感の正体。PLAN75の成立の「後押し」となった老人襲撃事件を起こした連中の類が施設に押しかけてくることはない。なんせ、彼らの「望み通り」老人たちを「殺して」くれている施設だから。しかし、老人の家族(←老人の安楽死に反対している)に依頼された弁護士や、過激な反対派や、面白半分のYouTuberが押しかけてくることはあり得る。だから、件の施設には、それなりのセキュリティや警備が必要なはず

それまでのキッチリした展開とあまりにも違っていて、まるで、打ち切り漫画の最終回みたいな終わり方

2023年5月12日金曜日

『LAST MAN』第三話を観て、「人間の終わり」についてまた考えた

福山雅治と大泉洋の「ぴったんこカンカン」なイメージに釣られて『LAST MAN』を初回から観ているけど、第三話のモチーフが「不倫がバレるより、殺人罪で捕まったほうがマシ」だったので、そんなバカな!と思って、前から考えていたことを、また考えた。

(注:以下、『LAST MAN』とは全く関係ない話ですよ)

「人間の終わり」がどういうものかを既に知ってしまった我々は、人間(地球人類)が歩いている道の「正体」も知ってしまったので、所謂LGBTQ系(アセクシャル・アロマンティックを含む)の性的嗜好の多様性に加えて、次の3つのタイプの存在も受け入れなければならない。

①自分の遺伝子を受け継いだ子供が欲しい人
②子供は欲しいが遺伝子にはこだわらない人
③子供は要らない人

大事な点は、上記の3つのタイプは、どのような性的嗜好とも両立しうるということ。だから、例えば、タイプ③だからといって、常に必ず「sexをしない」とか「sexをすべきではない」とかにはならない。平たく言えば、「子供なんか絶対に欲しくないんだけど、とにかくsexは大好き」な人がいてアタリマエだし、それで問題ないと思えるようにならなければならない。

いずれにせよ、人間には〔LGBT系多様性×3タイプ〕のバリエーションが存在する。

①については特に説明は要らないだろう。人間に限らない、汎ゆる生物の有り様がこれ。悪口っぽく言えば「自然淘汰の言いなり」。

②は一見奇異に思えるが、実は昔から存在する。遺伝子ではなく、財産だの技だの名跡だのを継承させるために、養子を取ったり弟子を取ったりするアレが②の基本。

③が一番説明を要する。なぜなら、人類全体が③になれば、遠からず人類は消滅してしまうように思えるから。しかし、そうではない。③は〔自分の子供〕は要らないと言っているだけ。社会を構成し運営する「子孫」の存在を否定しているわけではない。他人が勝手に産んで育てる分には構わない。究極の③は、子供は「工場」で作って、人類全体の「子孫」として、人類全体で養育すればいいと言い切ってしまう。

①と②が、自分という個人のナニカ(遺伝子や名跡や財産など)を継承させる目的で子供を欲しがるのに対して、③は人類種あるいは人間文明の継続のための子孫としての子供を求めている。つまり、①は生命現象寄りで、③は知性現象寄り。②はその中間。

多様性尊重の極北は、〔自分の遺伝子を残すことに関心のない人たち〕の存在をも受け入れること。性的嗜好の話ではない。「将来も人間社会を維持していくために子供が必要だというなら、それは養子でもクローンでも構わないよね」と思っている人たちの存在を受け入れるということ。ひっくり返して言えば、自分の遺伝子を受け継いだ子供を産み育てることを「人間のアタリマエ」などと思わないことそれは生命現象のアタリマエであって、知性現象のアタリマエではない。それが多様性尊重が行き着くところ。

不倫(浮気)の話に戻ると、①と③が結婚した場合、二人の遺伝子を受け継いだ子供が居るのに、③が不倫をするという状況が出現しやすくなるだろう。①と③の間に子供が生まれるのは、例えば、異性愛者と同性愛者の組み合わせの「夫婦生活」のようなもので、一方が、世間やパートナーの「常識」や「思い込み」に「譲歩」している状態。つまり、③は、「自分の子供は欲しいに決まっている」という世間やパートナーの「思い込み」に譲歩し、同性愛者は、「女は男が好き・男は女が好き」という世間やパートナーの「常識」に譲歩している。この場合の③が無類のsex好きだった場合、〔不倫・不貞〕は必然とすら言えそう。

そこで重要になるのが、自分はどのタイプなのかを自覚し、表明もすること。〔ストレートか、それともLGBTQ系のどれかなのか〕に加えて、遺伝子信奉者か否かの表明(①か②かの表明)、更に子供を持ちたいか否かの表明(③かどうかの表明)も、当事者の幸せのために、「事前」に行っておく必要がある。


因みに、〔子供を欲しがること〕や〔子供が生まれる異性愛〕の方が、人間として「正しく正常」と思い込みがちなのは、何よりもまずそれが、生命現象の「要請」だから。生命現象としての人間は、子供を生まれなければ(作らなければ)、単純にそれでオシマイ。そして、人間は、その生命現象としての〔ヒトの身体〕に依存した知性現象なのだから、知性現象としての立場からも〔子供を生むこと〕と〔子供が生まれる異性愛〕の方が「正しく正常」であり、その逆は、「異常・怠慢・病気・裏切り」などとなる。

しかしそれも「過去」の話。代理母などの生殖医療(?)やクローン技術によって、自分では子供を産まずに、人間社会を継続させるための「子孫」を残す選択肢が与えられつつある上に、人工知能(AI)技術の向上によって、人間抜きでも、地球人類の文明を継続・発展させることが可能な「気配」が見え始めたからだ(=人間の終わりの始まり、というやつですなあ)。


結局、不倫とか浮気で大騒ぎになるのは、人間の本質を「遺伝子」だと勘違いしている人たち。百万回でも繰り返すけど、人間の本質は「知性現象」であって、「生命現象」は単なる「媒体」。音楽CDの「本質」は音楽であって、プラチックの円盤はただの「媒体」なのと同じ理屈。遺伝子は、〔「媒体」に過ぎない「生命現象」〕の設計図でしかないので、大事かもしれないけれど、その大事さは、音楽にとっての、プラスチック円盤の製造法レベル。

生命現象としての〔人間の身体〕は、〔人間の知性現象〕を実現できれば、それで「合格」。個々の人間は、自分の遺伝子から作られた人間(媒体)を重要視するが、標準的な〔人間の知性現象〕を実現するのに、特定の個人の遺伝子が必要になることはない。大抵の場合、誰の遺伝子からでも、〔標準的な知性現象を実現できる「媒体」〕=〔標準的な知性の人間〕が出来上がる。地球上の80億人が「生き証人」。

自分の遺伝子を引き継いでいるという意味での「私の子供」というものに人間が固執するのは、〔知性現象としての人間〕の視点からは、ほぼ意味のないこと。毎年毎年生まれてくる人間の子供のほとんど全てが、20年後には、ちゃんと労働者兼消費者になるのだから、個体ごとの〔遺伝子の違い〕は、標準的な〔人間の知性現象〕にとっては、単なる「誤差」。あるいは「文体」の違い。


人間の知性現象にとって本当に重要なのは「教育」の方。遺伝子が誰のどれでも、出来上がる〔生命現象としての人間〕に大した違いは起きないが、教育が変われば、出来上がる〔知性現象としての人間〕は大きく変わる。血も涙独裁者から慈愛に満ちた博愛主義者まで。あるいは、言葉も喋れず四つん這いで這い回るオオカミ少女から宇宙を解き明かす理論物理学者まで。


知性現象としての人間にとっては、自分の遺伝子が受け継がれるよりも、自分の思想や研究や発見が受け継がれる方が喜びは大きい。だから、「子」は養子で構わないし、養子の「中身」は、他の人間が産んだ子供でも、誰かのクローンでも、ゼロから作った人工培養でも構わない。それどころか、人間でなくても構わない



2023年5月11日木曜日

2023年5月9日火曜日

同系声

言われてみれば戸田恵子(マチルダさん/カララさん)と朴璐美(ロラン・セアック/ローラ・ローラ)は、同系の声。富野さんの好み?

2023年5月8日月曜日

ダイナマイトは食えるのか

インパール作戦のときに三ヶ月従軍した火野葦平の従軍日記。

前線にダイナマイトを100キロ送ると、50キロしかないと報告が来る。兵隊が食うのである。甘みがあって羊羹より柔いし、切り餅くらいの大きさで手頃なので食べるのだ。

軍の検閲で世に出すことは出来なかった。

(「NHKスペシャル:バタフライエフェクト」より)

セルアニメは浮世絵になる

『日曜美術館』で、歌川広重の浮世絵がどのように刷られたかを再現していて、オモシロク観た。そのあとで、CGだの動画自動生成AIなどのことが頭に浮かんだ。未来の『日曜美術館』では、セルアニメとその製作工程が、今日観た「広重の浮世絵」と同じ扱いで紹介されることになるのだろう。輒ち、敢えての「手仕事・技巧・修練・長時間労働」の芸術表現として。

2023年5月6日土曜日

再生回数と売上枚数

HANA HOPEの『HUES』を毎日聴きながら、ふと思った。

考えてみれば、売上枚数よりも再生回数の方が実態を表している。或る楽曲の「喜ばれ度合」「好かれ度合」「ハマられ度合」のことだけど。

例えばCDは、買うには買ったけど、1周聴いて、あるいは、封も切らずに、ず一っと戸棚に入ったままってことも、ナクハナイ。

売上枚数って商売用語だったのか、と今頃気付くこの迂闊!

2023年5月5日金曜日

仕損じなし

 気象庁のヒトは、出て来る人出て来る人、全員「アタリ」なのは何故だろう?

志願の仕組み

少し前から居る200万年後の世界のファミレスで、詩人のOtotoriと相席になった。飲み放題の珈琲を啜りながら、詩人Ototoriは囁いた。

「塩化ビニールの円盤に溝を掘ったもの、所謂アナログレコードだけが録音媒体だった時代のことだと思いたまえ」

「ここに一人の演奏家(ピアニスト)がいて、彼は、世界中の人々に自分の演奏を聞いてもらいたいと思っている。そして、もう一人の男がいる。彼はアナログレコードの製造工場の経営者だ」

「演奏家がレコードの製造を依頼すると、その経営者は、演奏家自身が工場で働いてレコードを製造することを提案する。実は、その工場は経営不振で、工員が誰もいなくなっていたのだ。賃金未払いが原因だろう」

「経営者は更に言う。工場労働に対する賃金は払えないが、演奏家のレコードが売れたらその売上げは全て、演奏家が手にすることができる。それに、そもそも、演奏家は世界中の人々に演奏を聞いてもらうことが本望のはずだと」

「演奏家は承知して、工場で働き始める。そして、例えば、働き始めて三日目に、大事な指を機械で潰すことになるのさ」

詩人Ototoriは珈琲のおかわりに立ち上がった。

「わかるだろ?」


(『無灯火:オカバヤシハルオの冒険』より)


2023年5月3日水曜日

「スプーン曲げ」を「科学的」に説明する最も安上がりな方法

例えば、「スプーン曲げ」(超能力)を「科学的」に説明する、最も安上がりな方法は、〔この世界が実は『マトリックス』だから〕と言ってしまうこと。『マトリックス』というのは、昔の映画の『マトリックス』のこと。要するに、現実世界だと思っているこの世界は、実はコンピュータが構築した仮想現実で、そこで起きる「超能力現象」や「超常現象」は、全て、プログラム上のエラーの類という「説明」。

この説明が「科学的」な理由は、〔指で擦っているだけでスプーンが曲がる〕ために、既知の物理法則を破る必要がないから。

しかし、この説明には、〔マトリックス=仮想現実〕の外の「現実の世界」では超能力は存在しないという主張も含まれている。つまり、「超能力」に「超」の字が付いている理由は、それが既知の物理法則を「超」えているように見えるからだが、「超能力」はそもそも物理法則に関わる現象ではない、というのが「マトリックス説」の主張だから。

喩えるなら、「なんで豚が空を飛んでるの?」「それは絵に描かれた豚で、飛んでいるように見えるのは、画家の描き損じだよ」というやり取りと同じ。

でも、それはいい。かまわない。なぜなら、こちとら、「本物」の超能力や、「本物」の霊能力よりも、種も仕掛けもある、手品師の知恵と技術の方が圧倒的かつ絶対的に素晴らしいに決まってるという立場の側の人間なので。

「マトリックス説」が安上がりなもう一つの理由は、「マトリックス説」輒ち、古典的には「水槽の中の脳」説は、「一休さんのとんち」みたいなもので、とりあえず、反証も立証もできないから。

2023年5月1日月曜日

高畑勲『漫画映画の志』:メモ

高畑勲が、『やぶにらみの暴君』と『王と鳥』の解説と考察をした内容。その「照り返し」で、高畑勲自身が「どんなつもり」でアニメを作っているかが分かる本にもなっている。これが大きい。つまり、「難解」で「誤読」されがちな高畑アニメをどのように見ればいいのかのヒントがつかめるのだ。

その意味で最も「読み応え」があったのは「終章」。「終章」には『やぶにらみ〜』と『王と鳥』の解説や考察はなく、高畑勲の「アニメ美学」や「アニメ哲学」とでも呼ぶべきものが、割合、直接的に展開されているからだ。

その「終章」で絶賛されていたのが、ミシェル・オスロの『キリクと魔女』と『アズニールとアスニール』。両作とも未見。