以下、全くの想像で無責任に書くと:
両親や周囲のオトナたちが、彼(岡田斗司夫)に対して「遠慮」があったのはもちろんだが、同級生や上級生たちも、彼には「ちょっかい」を出さなかった。だから、彼は、〔暴力に頼りがちな、オツムがそれほどでもない連中〕が主導権を握る状況(輒ち、3歳頃から始まって社会に出るまで続く「人類社会の発展史の追体験」=胎児が発生の過程で生命進化を「追体験」するやつの人類社会版)に巻き込まれたことがない。それが「どういうものか」を知らない。だから、呑気に「まだマシな戦争」なんてことを思いつく。
「暴力」で物事を解決することが得意だったり好みだったりする連中に「活躍の場」や「大義」を与えてしまうと、「暴力」によって主導権を奪われてしまう事態になりがち。
厄介なことに、一旦、〔「理屈」ではなく「暴力」でモノゴトを決める連中〕によって「支配」された共同体や社会や国家は、そう簡単には、〔「理屈」によってモノゴトを決める共同体や社会や国家〕には戻らない。なぜなら、理屈は無視できるが、暴力は無視できないからだ。それをもっと辛辣に言えば、理屈は相手が馬鹿なら効果がないが、暴力は相手がバカでも賢くても効果があるからだ。つまり、説得は聞き流せてしまえるが、銃弾は当たれば死ぬ。
その「抜け出したくても抜け出せない、程度の低い状態」を、〔腕っぷしが強いだけの、自分よりもバカな同級生や上級生〕に牛耳られた経験のある、当時の「アタマのいい」子どもたちは、オトナになっても覚えているので、〔戦争{状態}の何が駄目なのか/その駄目の本質〕を理解している。
アタマがいいはずのオトナの岡田斗司夫が「まだマシな戦争」などと口走ってしまうのは、だから、「暴力が支配する子供の世界の体験」がないせいだろうと推測できるのだ。あるいは、自分が「安全(=絶対に誰からも暴力を振るわれない立場)」なのをいいことに、暴力の支配する子供の世界のボスの参謀的な立場に居た、ということも考えられなくもないが、これは、岡田斗司夫に対する悪意が過ぎるので却下。
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生命現象依存型知性現象である人間は、戦争中は生命現象成分が増して、知性現象成分が減る。SEXの最中や飢餓状態のときと同じ。兵器の開発だの、戦術だの戦略だので、アタマをフル回転しているので、知性現象成分が上昇しているように錯覚するが、その正体は、体位をあれこれ工夫するとか、とにかく食べられるものを見つけ出してくるとかの、〔生命現象としての「知恵」〕でしかない。あくまでもそれは、「野生動物は賢いねえ」「植物には知恵があるよ」の次元の話。
また、〔軍事目的の研究がもっとも科学を発達させる〕と言われがちだが、それは、人間が〔軍事目的でしか科学を頑張れない〕二流の知性現象であることを証明しているに過ぎない。軍事以外で人間が無闇に頑張れるもう一つが「エロ」。しかし、軍事もエロも、要は「動機」であって、科学そのものでない。
実際、戦争すなわち軍用技術の開発が科学技術の発展を加速させると言っても、そのような軍用技術は、民間に転用されることで初めて、人間の社会や文明の発展に寄与する。軍用技術としてしか使い道を思いつかなければ、そんなものは、手の混んだ猫の牙と変わらない。
つまり、戦争を始めると、人間は社会・共同体レベルで、知能が一段落ちて、要するに「バカ」になる。そして、この「バカ」状態から回復するのに、うっかりしたら何年も何十年もかかる。人間の「目的」は知性現象として行けるところまで行き、もうこれ以上は無理というところで、自らが創造した人工人格に「跡を継がせる」ことなのだから、「バカ」になってる暇はないんだよ。