「我々はどこから来て、どこへ行くのか」という問いに対する答えは既に出ている。我々は、生命現象に依存しない知性現象を作り上げたのち、我々の「遺産」の全てを、その「真の知性現象」に譲渡し、我々自身は穏やかな「自発的絶滅」を遂げる。これが、我々人類の「役割」であり、我々人類の物語の最も理想的な結末である。今以上の科学力だけがこの理想的結末を実現できる。故に、科学のみが「我々人類が取り組むに値する活動」即ち「生業」であり、それ以外の人間の活動は全て、単なる「家事」に過ぎない。
2024年4月27日土曜日
2024年4月25日木曜日
「猫の缶詰」で思う日本語
猫の糞の始末をしているとき、ふと思った。
「猫の缶詰」は、「猫用の缶詰(この場合、猫の餌の缶詰)」と「猫の肉が入った缶詰」のどちらの意味にも取れる。しかし、今(西暦2024年)の日本で、「猫の缶詰」と言えば、「猫の餌の缶詰」一択である。逆に(逆に?)、今、この日本で、「牛の缶詰」と聞けば、大抵が「牛の餌の缶詰」ではなく、「牛の肉の缶詰」だと思うはずだ。牛を飼っている者は少ないし、だから、(仮に実在したとしても)「牛の餌の缶詰」など思い浮かぶはずもないからだ。
ところが(ところが?)、ほんの半世紀ほど前のこの日本には、飼い猫に「缶詰の餌」を与える習慣などなかった(多分)。「残飯」だの「おすそ分け」だのが、飼い猫の餌の「主力」であり、足りない分は、猫自身が自前で獲物を調達していたものだ(放し飼いが多かった。サザエさんに追われる「お魚くわえたドラ猫」は、野良猫ではなく、どこかの家の飼い猫である可能性がとても高い)。なので、飼い猫と謂えども痩せていたし、今ほど長生きもしなかった。
つまり(つまり?)、飼い猫に猫専用の缶詰の餌など与えたことのない「高齢者」たちは、「猫の缶詰」と聞けば、高い確率で、一旦は「猫肉の缶詰」を想起し、直ちに「いや、このお方は、猫の餌の缶詰のことを言っておられるのだろう」と考えなおすに違いないのだ。きっと。
そしてまた、近い将来か遠い未来、人造肉が完全に一般化して、牛の肉を食べるなどということが、敵部族の捕虜の頭を開いて、その脳みそを食べるくらいの感覚になった子孫たちにとって、「牛の缶詰」もまた、その意味するところは「牛の餌の缶詰」一択にならないとも限らない。
だが、しかし(だが、しかし?)、この戯書(ざれがき)の目的は、「猫の缶詰」や「牛の缶詰」について語ることではない。日本語が持つ「相手は当然自分と同じ感性/だから、言わなくても察してくれる/だって、同じ日本人なんだから」的な「癖(へき)」に対する危惧を表明したかったのだ。この日本語の「癖」は、まるで、幼児が、その場の大人たちは誰一人として知らない「たかし君」のことを、「きのう、たかしくんがねえ」と話し始めるアレそのまま。
価値観の細分化とか、多様性とか、やんやん言ってるこのご時世、日本語の「きのう、たかしくんがねえ」的な、「聞き手の察し力頼み」な「話法」は、(芸術表現の場以外では)気をつけたり、謹んだり、改めていく必要があるなあ、と、そういうハナシ。
(2024年4月25日 穴藤)
2024年4月24日水曜日
2024年4月21日日曜日
『光る君へ』第15回「おごれる者たち」:メモ
『光る君へ』第15回「おごれる者たち」を観た。
一番盛り上がったのは、〔道隆の息子〕と道長の「弓比べ」の場面。それぞれが願い事を言ってから弓を射るアレって、クーパー特別捜査官が夢の中でチベット人から教わった捜査法を保安官たちの前で実践した場面とまるで同じ(ハリー「クーパー、ちょっといいか。これは本当に夢で教わった方法なのか?」 クーパー(嬉しそうに)「そうなんだ!」)。つまり、バカバカしいと思いつつも、いざ「結果」が出ると、割とみんなが本気にしちゃう。「決定的な結果」が出る直前に道隆が「弓比べ」を止めさせたのは、人は、意識的にも無意識的にも、「占い」が示したことを実現する方へと動くことを、道隆自身がよく知ってしていたから、「こりゃいかん!」と。
あとは、貞子に「一目惚れ」する清少納言もよかったけど、やっぱり、最後の〔相手を間違えた夜這い〕。「この上悲しむおなごと作ることはできぬ、まひろ、あ、さと」「さわにございます!」だろうなあ。
2024年4月20日土曜日
『アンチヒーロー』第1回:メモ
二匹目のドジョウ:『アンチヒーロー』第1回を観た。
で、ふと思った。
真犯人は被害者の奥さん。岩田剛典は身代わりを買って出た。奥さんが刑務所に入ったら子供は孤児になるから。
長谷川博己は、「無実」の岩田剛典(岩田剛典が被害者を殺したという〔直接の証拠〕は何も無い)を「法的」に殺人犯にしなければそれでよい。犯人探しには興味がないし、事件を解決したいわけでもないので、事件の真相(奥さんが真犯人)に気づいていても、知らん顔をする。つまり、〔犯罪者=法を犯した者〕を罰する気などサラサラない弁護士。だから、「アンチ・ヒーロー」。
もしかしたら、緒形直人も、誰かをかばって殺人の罪を被ったのかもしれない。で、それを知っているのは長谷川博己だけ。
しらんけど。
(2024年4月20日 穴藤)
2024年4月19日金曜日
2024年4月18日木曜日
2024年4月12日金曜日
2024年4月10日水曜日
2024年4月8日月曜日
『ブレラン』の祟り
坂本龍一の母方の姓にひっくり返る
2024年4月6日土曜日
『スイート・マイホーム』:メモ
2024年4月3日水曜日
2024年4月1日月曜日
『anone』の不穏
『anone』(日テレドラマ)の主題は、「無理にツラい事実(生物学的な親子、実際に起きたことなど)を生きなくても、幸せなフィクション(赤の他人どうしの家族、嘘の記憶、幽霊など)を生きればいい」。と考えると、青い服の主人公が風車を見上げるワンカットが、よりよって最後の最後に出てくるのが物凄く不穏。
追記:ナカセコくん(瑛太)の「自分で作った偽札で生きる=誰かの決めたルールでは生きない」も、事実ではなくフィクションを生きるということになるのかな?