ニコラス・ケイジ主演の『ドリーム・シナリオ』を観た。2周した。
(注意:以下、ネタバレを含みますよ)
一周すれば分かるが、この作品は、「ジキルとハイド」の変奏。平安時代人向けに言えば「生霊」の出てくる話。或いは、特定の層にとってこれ以上分かりやすい喩えはない言い方をするなら、「暴走したスタンド能力」の話。
以上のどれにもピンとこない人に向けて、ごく一般的な言い方をするなら、自覚のない「怒りや恨み」が当人から彷徨い出て、他人の夢の中に入り込み、いろいろとヤラカス話。
面白いのは(そして一周目の観客をポカンとさせてしまうのは)、他人の夢に入り込む装置(NORIOだっけ?)が映画の終盤に登場するまでは、どこからどうみても、[「世界中」から謂れのない攻撃を受け、生活をめちゃくちゃにされる主人公(ポール)]の「悲劇」やら「苦しみ」やら「奮闘」やらを描いた、所謂、「SNS社会がもたらす恐怖」系の「社会派ドラマ」にしか見えないこと。その理由は、件の装置が登場するまでは、観客たちの多くが、「夢というものは夢を見ている当人の体験や思想や深層心理が作り出すものであり、それゆえ、その夢の登場人物は、たとえ、現実に存在する誰かに酷似していようと、夢を見ている当人の自作自演でしかない」(劇中のポールの主張でもある)という認識に立っているからだ。それがいきなり、「人間は他人の夢の中に入ることができることがわかった」という物語上の「設定」が登場し、「社会派ドラマ」のつもりで見ていた作品が、いきなり、SFファンタジーになってしまい、観客は「え!そっち?」と面食らう。でも、これもまあ、「どんでん返し」の一種かも。
【補記】
*一見、気弱で善良なポールが、心の内側に抱え込んでいる、当人も気づいていないらしい「不穏さ」や「邪悪さ」を暗示するカットが最初からいくつも挟まれている。
*ポールには、はっきりと不倫願望がある(例えば、数十年ぶりに二人きりで会った元カノにわざわざ、「妻の心配」を告げているのがソレ。「念の為に聞くけど、そのつもりがあるなら、どう?」的な)。
*最初は、悪夢で苦しんでいる他人の姿を「傍観」して「憂さ」を晴らすだけだったポールだが、現実世界で色々と怒りを爆発させるような体験(研究を盗まれた/本を出せない/妻が浮気している?/その一方で自分は不倫の絶好のチャンスを逃す、等々)をしたのをきっかけに、悪夢でもなんでもないただの夢の中に入り込んで、その夢の主の惨殺を始める。最後には自分自身も夢の中で惨殺する。
*ポールの「他人の夢に入り込む能力」が「発動」するのは、八つ当たりの対象にできる人間が見ている夢だけなので、自分の妻が見ている夢には侵入できなかった(エンディングでも分かるが、ポールは妻のことを本当に愛している)。
*娘の学校での事故後に、ポールが他人の夢に現れなくなったのは、①現実に女性教師に怪我をさせてしまったことと、②他人の夢に入り込む装置の実用化で「人間は他人の夢に入り込むことができる」ことが実証され、人々の夢に現れたポールの数々の残虐行為の責任は、本当に自分(ポール)にあると考えるようになったことで、③最早、被害者ぶって、他人の夢の中で「憂さ」を晴らすことができなくなったため(だろう)。
(2025/05/12 穴藤)