人工幽霊に豪華版(Artficial Ghost Deluxe / AGD )があること知った。豪華の意味は会えば分かるという。早速、AGDがよく来るという高級料理店を訪ねた。
入店に際して合言葉を求められた。釜中の魚(ふちゅうのさかな)と答える。「結構です。少々お待ちを」と給仕長。一番奥の席で一人で食事をしている客のところへ行き、何か耳打ちする。客が食事の手を止めてこちらを見た。それから給仕長に何かを訊いた。給仕長がそれに答えると客はまたこちらを見て、座ったままで、ゆっくりと手招きをした。
その客が件のAGDなのは入店してすぐにわかった。知っていたからではない。圧倒的に巨大だからだ。通常の3倍の身長、9倍の表面積、27倍の体積である。つまり、普通の料理店でミケランジェロのダビデ像が食事をしていたら誰でもすぐに気がつく。それと同じ理屈だ。
巨漢の女装家パイン氏は、盥のような皿に入ったスープを、櫂のようなスプーンで掬って、「人工人格技術のおかげで非生殖主義が前駆体にとって現実的な生き方になったのよ」と云った。前駆体とは、人工人格技術用語で[肉体を持つ生身の人間]のことである。パイン氏の前駆体は非生殖主義者だった。
「人間の本質は人格なんだから、生殖は初めから何の役にも立たない。生殖では〈人格の断絶〉は避けることができないからよ。つまり〈個人の死〉ってやつね」
パイン氏は、レモンの皮が効いてる、と呟く。
「だから、生殖しか手段がなかったときには、前駆体たちは、血筋という〈擬似人格〉を継続させて、そこに或る種の慰めを見出していたんだけど、人工人格技術が〈人格〉の再生と永続を可能にしてからは、生殖は完全にただの道楽になってしてしまったわけ。敢えて市民マラソンに参加する、みたいなね」
パイン氏がスープを飲み干すと、次の皿が運ばれてきた。
「情報喪失に備えるのがバックアップなら生殖も或る種のバックアップには違いないけど、それで残せるのは遺伝情報だけ。人格は残せない。遺伝情報は人格を生み出す装置を作るための情報でしかない。クローン技術が思っていたほど画期的ではなかったのもそのためよ。あれは、事後に一卵性双生児を作るだけの、単なる生殖技術だからね。一卵性双生児と雖も人格はそれぞれ別だもの」
パイン氏が焼きシシャモのように食べているのは子豚の丸焼きである。
AGDはAG三人分のデータ量で形成されている。