2019年9月12日木曜日

「四色問題」のための落書き


存在する全ての領地が、自身以外の領地全てと境界を接している場合にのみ、領地と同じ数の色が要る。即ち、自身以外の全ての領地と境界を接している、という条件を満たしていない領地がひとつでも含まれていれば、その地図は、領地の数未満の色で塗り分けられる。

ところで、上で述べた、「存在する全ての領地が、自身以外の領地全てと境界を接している」という条件を満たす地図は、最大で幾つの領地を持つだろうか。答えは4つである。

領地を「○」で、領地と領地の境界を「ー」で模式化して表す。このとき重要なのが[「ー」同士は交差できない]ということ。なぜなら、「ー」は地図上の境界を模式化したものだからだ。地図上(2次元)では、或る境界を三つ以上の領地で共有することはできない。或る境界を三つ以上の領地で共有できると考えることは、ピザを切り分けるときの中心にあたる部分を、全ての切り分けられたピザにとっての境界と考えることと同じであり、その場合「四色問題」はすでに問題ではなくなる。「色は領地の数だけ必要」なのは自明のこととなるからだ。

さて、実際に作図してみれば、「ー」を交差させずに、全ての「○」を、それ自身以外の全ての「○」と繋げることができるのは、「○」が4つまでの場合である。

具体的に言えば、三つの「○」は三角形の各頂点として、お互いがお互い同士全て繋がることができる(これは簡単)。次に、4つ目の「○」を、「ー」を交差させずに、この三角形の頂点の三つの「○」それぞれと繋ぐと、必ずどれか一つの「○」が、三つの「ー」に取り囲まれてしまうカタチになる。これの意味するところは、この後、5つ目の「○」が現れて、すでにいる4つの「○」と「ー」を繋ごうとしても、必ず、どれかの「ー」と交差してしまうことになるということ。先に言った通り「ー」同士は交差できないので、5つ目の「○」すなわち領地は自身以外の他の領地の全てとは繋がることができない。これを逆に言うなら、5つ目の領地は、繋がることのできなかった領地と同じ色で塗ることができるということ。つまりこの場合、5色目は必要なく、4色で足りる。

ところで、「四色問題」に於いて、「領地の数」には「見かけの数」と「実質の数」がある。「実質の数」は、自身以外の全ての領地と繋がっている領地の数のことである。「見かけの数」は、[「実質の数」を形成している領地群によって使われている色]の[どれかと同じ色]をした領地が繋いでいる[「外側」の領地もしくは領地群]を含めた「全体の数」のことである。

「○」と「ー」が横一列にどこまでも続く模式図を想像してみよう。この時、「○」の数は100でも1000でも、色分けに必要な色は2色である。なぜなら、一番目の「○」と二番目の「○」はお互いに繋がり、「二色が必要な領地群」を形成しているが、三番目の「○」は二番目の「○」とは繋がっていても、一番目の「○」とは繋がっておらず、一番と二番の形成している領地群の「外側」の存在だからだ。もちろん、立場を入れ替えて、一番目の「○」が、二番目と三番目の「○」が形成する領地群の「外側」にいると考えても構わない。肝心なのは、或る領地群を形成する領地のどれか一つとでも接続ができていない領地が現れるたびに、「実質の数」の数え上げはリセットされるという点だ。

どんなに込み入った地図でも、模式図にしてみれば、最大で4つの領地がお互いが直に繋がっている領地群を形成し、それが、身内の中の少なくとも一つの領地に「内緒」で、他の領地群と繋がっているだけである。

「四色問題」の答えを得るのに数学など必要ない。丸(○)と棒(ー)で落書きができればいい。

2019/09/12 アナトー・シキソ

追記。
余計なお世話かもしれないが、念のために言っておくと、「境界」というものはそれ自体で独立に存在することはできない。地図上で領地と領地を「隔てる」のは、お互いの存在である。境界などというものはただの概念で、実在しないのである。既にある「境界」を第三の領地の境界にもしようとすると、必然的に、最初にあった境界に変更が加わる。最初にあった境界が全部失われた場合は、[第一の領地と第三の領地の境界]と[第二の領地と第三の領地の境界]の二つが新たに作られる。最初にあった境界の一部だけが失われた場合は、元からあった境界と合わせ、三つの境界が出現することになる。だから、上で述べた模式図で「ー」が交差するような形、つまり、「十」の4つの頂点それぞれに領地が存在するような形を作ることは、第三の領地が、既にある[第一の領地と第二の領地の境界]を、第一の領地と第二の領地を「引き裂く」ことで消滅させ、自身は第四の領地と新たに境界を作り、しかしその一方で、その「引き裂き」「消滅」させたはずの境界は以前として存在している(第一の領地と第二の領地は繋がっている)かのような「嘘」をつくことである。