「我々はどこから来て、どこへ行くのか」という問いに対する答えは既に出ている。我々は、生命現象に依存しない知性現象を作り上げたのち、我々の「遺産」の全てを、その「真の知性現象」に譲渡し、我々自身は穏やかな「自発的絶滅」を遂げる。これが、我々人類の「役割」であり、我々人類の物語の最も理想的な結末である。今以上の科学力だけがこの理想的結末を実現できる。故に、科学のみが「我々人類が取り組むに値する活動」即ち「生業」であり、それ以外の人間の活動は全て、単なる「家事」に過ぎない。
2022年5月31日火曜日
2022年5月30日月曜日
2022年5月29日日曜日
2022年5月28日土曜日
現在の地球人類がオリジナルでもコピーでもそんなことはどうでもいいハナシ
「人間の物語製作者や科学者の中には、〔今居る地球人類は、先行する他の知性体によって作られたのかもしれない〕という思いつきに取り憑かれて、ムキになってそれを追求している者たちがいるけど、幼稚だね」
「遺伝子工学や人工知能研究の現在を知る身となってみれば、或る知的存在が、自身を〔モデル・参考〕にした〈複製〉を作り出し、全宇宙にばらまくことは、科学技術的に〈どうということはない〉こと。現在の人間にすら、やろうと思えばできなくはない」
「現実に、地球人類が、宇宙の知性体として、〈オリジナル〉ではなく、先行する他の知性体の〈コピー〉だったとしても、オリジナルである異星人を、所謂〈神〉として特別視する必要は全くない。全くないどころか、時間と労力の無駄。せいぜいが、〈僕のお母さんは世界一〉レベルの、微笑まし迷妄」
「少し冷静になってみたまえ。今の地球人類ですら、そうした〈先行者〉=〈神〉に簡単に成れてしまえるのだ。その時、自分が作り出した、自分の〈コピー〉から神として崇められたら、買いかぶられているだけと思うに決まってる。そして、こう言いたくなるはずだ。君たち、他のもっとやることがあるだろう!」
「真に問われるべきなのは、だから、地球人類の起源ではないのさ。〔宇宙に散らばる(かもしれない)全ての知性体が、それぞれに先行する知性体の〈コピー〉だったとしても、では、その一番最初の〈先行者のいない知性体〉はどのようにして誕生したのか?〕ということ。これを通俗的に言えば、〔人間は神が作ったとしても、ではその神は何が作った?〕となる」
「その答えは既に存在する。DarwinのNatural Selectionだ。身もふたもない。神は弱肉強食の産物なのさ。最初の神と雖も、モトはその辺をもぞもぞしている虫と同じ。今更相手にしなくていい。他にやることがあるだろう」
「序でに言うなら、激しい〔生みの親探し欲求〕は、生命教信者の典型症例だから、今の段階の地球人類に、それをやるなと言っても難しいのは、その通りなんだけどね」
2022年5月27日金曜日
2022年5月26日木曜日
自己完結型異世界転生
2022年5月25日水曜日
生命現象の媒体としては全く不適格な生命現象
2022年5月24日火曜日
武蔵とプーチン
2022年5月20日金曜日
喩えるならそれは、アナログレコード式iPodのようなもの
2022年5月19日木曜日
信じてる証拠
安楽死、妊娠中絶など
2022年5月18日水曜日
2022年5月17日火曜日
2022年5月16日月曜日
2022年5月15日日曜日
2022年5月14日土曜日
防護壁
2022年5月13日金曜日
ライダーキック
鉄と綿
2022年5月12日木曜日
正統後継者
負けて勝つ
2022年5月11日水曜日
2022年5月10日火曜日
2022年5月9日月曜日
子ザルのミイラ
2022年5月7日土曜日
2022年5月6日金曜日
ネタクリニック
Psychic Lock
周回遅れ
今更、他国を侵略するような国家は、完全に周回遅れ。一見すると、所謂「世界」を相手に、「抜きつ抜かれつの接戦レース」をやっているようだが、実態は、レースの興を削ぐ_邪魔な「Backmarker」。
あるいは、当人たちにしか見えない「シマ=なわばり」を取った取られたで抗争が始まるヤクザにも似ている。当人にしか見えないものが動機という点では、子育て中のカラスの_通行人襲撃にも似ている。いずれにせよ、迷惑この上ない。
「メタバース」などの概念が一般化し、自分自身の肉体すら「形骸化」しつつあるこの時代に、人間の基本媒体*である生命現象に直接干渉する_野蛮かつ原始的な手段で、すでに「形骸化」し_もはや限定的な意味と価値しか持たない国境線を無理やり「引き直そう」とするのは、自らの[知能の低さと、洞察力の欠如と、完全な勉強不足]を「白状」するのに等しい。だから、当初、周囲は、「精神障害」や「痴呆」を疑ったし、心配したのだ。
「同一周回(=周回遅れではない)」を走る者たちにとって、「軍事侵攻」は、既に「決闘」や「仇討ち」と同じになっている。よほどおかしな環境で育ったか、アタマがどうかしていない限り、今この時代に、揉め事や諍いや恨みつらみを、「決闘」や「仇討」で[解決・解消]しようとする者はいない。だから、もしも実際に「決闘」や「仇討」が起きるのを目の当たりにすれば、その[原因・動機]となった揉め事や諍いや恨みつらみの「中身」がなんであれ、そんなものはひとまず脇において、とにかく、[解決手段として「決闘」や「仇討」を選んだこと]に、驚き、呆れ、あるいは、恐れ慄く。それを一言で言えば、「時代錯誤も甚だしい」だが、「同一周回」を走る者たちにとっては、大っぴらな「軍事侵攻」は、まさに「時代錯誤も甚だしい」の極みなのだ。
(む)2022/05/06
*人間は「洗練」されるほどに、人間の基本媒体に関することは「見てみぬフリ」をするようになる。つまり、「お互いにそれについてはアンタッチャブルとしましょう」という知恵(合意?)を働かせるのだ。例えば、全ての人間は、腹の中に大便をためているし、毎日のようにそれを排泄しているが、普段の付き合いで、お互いにそんなことを意識したり意識させたりすることはない。人間の基本媒体に関することは、日常の「埒外」に置かれるのだ。つまり「治外法権」である。しかしそれは「無法」という意味ではない。「誰にとってもあまりにも当たり前で、どうすることもできないことなので、それについては、個別にとやかくいうのはやめましょう」という意味だ。人間の[肉体や命]そのものを、人間の取引の道具に使うことを放棄する、というのは、その一つの到達点。「大便」を「無いもの」として扱うように、肉体や命も「無いもの」として扱う。「無いもの」なので、当然、それを取引や駆け引きの道具や条件には使えないし、使わない。