この記事に触発されて、また余計なことを考えた。
大多数のロシア人が戦争を支持しないまでも、反対していないのは確かだという結果が、複数の世論調査で示されている。これについて、国外のロシア人たちは激しく議論している。私を含め、ロシアについて研究して報道する大勢は、積極的に戦争を支持する人が少数ながら一定数いると同様、積極的に戦争に反対する人も同じように少数だと考えている。ほとんどの普通のロシア人は、どちらでもないようだ。自分が選んだわけではなく、理解できず、自分では変えられないと無力感に襲われるこの状況について、なんとか受け止めようとしている。
BBC NEWS Japan
Philip K. Dickの『高い城の男』は、ナチスドイツと大日本帝国が第二次世界大戦に勝利した世界を描いた作品だけど、今のロシアを見てると、ナチスドイツや大日本帝国がもしも第二次世界大戦に負けてなかったら(勝たなくてもいい)、きっと今頃こうなってたろうなあ、と思えて仕方がない。
正義の話をしているのではない。倫理の話でも、世界平和の話でもない。極広い意味での「発生学」とか「発達学」かな? つまり、民族国家の「思春期」の話。
欧米礼賛をする気はサラサラ無いが、当時のナチスドイツや大日本帝国、そして今のロシアは、完全に「周回遅れ」なんだよね。欧米と比べると。つまり、民族国家としての「人生経験」とでも言うべきものが、はっきりと「周回遅れ」。
「盗んだバイクで走り出し、学校の窓ガラスを割り歩く」系のことは、何千年もの間、或る年代の人間がやり続けている。これからもやるだろう。つまり、思春期になって、脳が構造的に変化してきたときにそういうオカシナことを始めて、脳の構造がなんとなく完成形に近づいて落ち着いてきたら、そういうオカシナことは「卒業」する、ということを、人間は誰も彼もみんな、大なり小なり、ずーっとやってきている。で、それをくぐり抜けたあとで教師になって母校に帰ったりもする。
民族国家も同じで、今「良識人」ぶってる欧米も、その昔はタイガイなことを散々やってきた。山ほどある「前科」をいちいち挙げていたらキリがないので、一つだけに絞ると、「三角貿易」。
当時、「下級生」だったナチスドイツや大日本帝国は、「先輩」(欧米)の「ワル伝説」を見聞きして、「俺たちもあれをやりたい」と思って、喜んで真似をしたら、既に「思春期」を脱しつつあった「先輩」たちから、死にそうになるくらい「叱られ」、その結果、心を入れ替え、今は、(とりあえず)真っ当な「オトナ」になっている。
ところが、当時、同じ「下級生」だったロシアは、めぐり合わせで、「先輩」の側に着いてしまったので、「叱られる」こともなく(むしろ褒められて)、「思春期」のままで終戦を迎えた。そして戦後は、周りの「気弱」な連中を巻き込んで、「ソ連教」という「新興宗教」を立ち上げ、そこの「教祖」に収まり、ヒトカドの存在になった気になっていた。しかし、所詮は子供騙しで子供の遊びのような「新興宗教」なので、立ち上げ世代がいなくなると、割とあっけなく崩壊した。で、とうとう「実社会」に放り出されたわけだけど、なんせ、考え方も世界観も「思春期」のままだから(不幸にも、成長の機会がなかった)、当人はパニックだし、周りも扱いに困る。
で、「盗んだバイクで走り出し、学校の窓ガラスを割り歩く」系のことをやり始めないように、周りはいろいろと気を使ったり使わなかったりしてきたんだけど、やっぱりこういうものは、一度はやらなきゃダメらしくて(人間の思春期と同じ)、とうとう、「領土拡大のための軍事侵攻」という「ド直球」(ほぼ百年前のナチスドイツや大日本帝国が「喜んで」やったこと)を、やらかしてしまって、世界中から、「思春期のガキ(中二病)は、めんどくせーなあ」と思われてしまったし、今現在、思われている。
ロシアの「不幸」は、下手に「ガタイ」が良かったせいで、当人は調子に乗り、まわりの「オトナ」たちは遠慮してしまったこと。かもしれない。
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