「我々はどこから来て、どこへ行くのか」という問いに対する答えは既に出ている。我々は、生命現象に依存しない知性現象を作り上げたのち、我々の「遺産」の全てを、その「真の知性現象」に譲渡し、我々自身は穏やかな「自発的絶滅」を遂げる。これが、我々人類の「役割」であり、我々人類の物語の最も理想的な結末である。今以上の科学力だけがこの理想的結末を実現できる。故に、科学のみが「我々人類が取り組むに値する活動」即ち「生業」であり、それ以外の人間の活動は全て、単なる「家事」に過ぎない。
2023年9月30日土曜日
「観るべき映画」指標の頂点
2023年9月28日木曜日
【バイコマ】「高射砲破壊」の次のステージの「省エネ」攻略
低いルート(スナイパーや兵隊の足の下)を一目散に進んで出口前まで来たら、出て来たゴリメカx2にまとめて「ハガー」をくらわせ、すぐに一番近くの「橋の柱」の陰にかくれる。出口を12時方向とするならこの柱の5時や6時あたりの位置がスナイパーに狙撃されない「安全地帯」。ここから「タランチュラ」でゴリメカにロックオンし、ミサイルのホーミング機能で、2体とも始末する。これだけ。
BarbaraとFrankie:ラジオ英会話
2023年9月26日火曜日
2023年9月25日月曜日
2023年9月24日日曜日
2023年9月22日金曜日
2023年9月19日火曜日
2023年9月18日月曜日
『VIVANT』(全10話):メモ
2023年9月16日土曜日
2023年9月15日金曜日
『Zガンダム』5周目:メモ
◯シロッコが象徴しているのは、「分かったようなことを言って、キャラ同士の殺し合いを見物しているガンダムファン」。これは大発見でもなんでもない。当人がそう言ってるし、ハマーンにもそう言われている。更に言えば、カミーユのシロッコに対する最後の叫びがまさにそれ。ガンダムの続編を無理矢理作らされた富野さんからの、「ガンダムファン」(おもちゃ屋を含む)に対する「怨み節」の爆発。
◯『初代』は、人類は結構な割合がニュータイプになる、と仄めかして終わる。その7年後の『Z』は、そこら中にいる「ニュータイプ」同士が戦場で殺し合ったら、当人たちには地獄だというオハナシ。輒ち、「アムロ・シャア・ララァの悲劇」が、毎回毎回繰り広げられる修羅場アニメ。
2023年9月13日水曜日
2023年9月12日火曜日
2023年9月10日日曜日
2023年9月8日金曜日
2023年9月7日木曜日
2023年9月6日水曜日
実は全然モテてないカミーユ(それに比べていつもモテモテのアムロくん)
『Zガンダム』全体の印象と、最終回のシロッコとの最終決戦の場面の印象で、なんとなく「女子にモテモテ」だと思われがちだが、実は、カミーユは全く女子にモテてない。幼馴染のファだけが、「本気」でカミーユカミーユ言ってるだけ。
思い返してみれば、カミーユにグイグイ来る女子は強化人間だけ。ニュータイプの女子ならイケそうか、と言えば、そうでもない。本当のニュータイプであるサラにはしっかり「素通り」されている(まあ、サラはすでにシロッコの「お手つき」だったってのもある)。
「薬漬け」の強化人間であるフォウやロザミアは、倒すべき相手としてのカミーユという存在を、人為的に意識に叩き込まれているので、カミーユという存在が彼女たちの中でとても強烈なものになっていて、その「特別な存在感」を、「精神がまともな状態」のときには、恋心だとか兄妹愛のように「誤解」してしまい、「カミーユ、カミーユ(お兄ちゃん、お兄ちゃん)」になってしまう。
物語をぼんやり観ていると勘違いしてしまいそうになるが、フォウにしてもロザミアにしても、「元々カミーユのことが好きだった女子が、薬漬けの強化人間にされて、カミーユを倒すべき相手だと思い込むようになった」わけではない。事実は全く逆で、元々倒すべき相手だと意識に植え込まれていた相手(カミーユ)のことを、ある種の精神錯乱(強化人間実験の失敗)で、恋人だとかお兄ちゃんだとか思い込んでいるだけ。
しかし、本当の「悲劇」は、カミーユ自身にこの「真実」が全く見えていないことの方。それに比べれば、フォウやロザミアの悲劇的な有り様は、悲劇としては、一段「軽い」。
カミーユは、相手がフォウであろうとロザミアであろうと、嘗て、アムロとララァが、「あの一瞬」でお互いの「全て」を分かり合えようには、分かりあえていない。カミーユが「これこそフォウだ、ロザミアだ」と、ニュータイプ能力レベルで「共感=精神感応」しているのは、カミーユ自身が、「本当の」フォウだ「本当の」ロザミアだと、「都合よく」思い込んでいる彼女たちの「一面」に過ぎない。
何を言いたいのかというと、これって、「ニュータイプ」としての人間洞察や感能力としては、大いに「不足・欠陥」があるんじゃないか、ということ。
カミーユとフォウの「出会い=精神感応」と、アムロとララァの「出会い=精神感応」とでは、共感の「深さ」が違う。というか、カミーユとフォウの場合は、お互いに深く分かり合えた気になっているだけで、要するに思春期の「私はあの人のことが好き・あの人も私のことが好き」という「思い込み」レベルをそれほど出ていない。
「健全/まとも」な女子にモテモテのアムロと比べると、同じ「ニュータイプ」でも、アムロとカミーユではそもそも「種類」が違う気がする。言ってしまえば、アムロ(や多分シャア)のニュータイプ能力は、健全な「共感力の拡大」なのだが、カミーユのニュータイプ能力は、病的な神経症(あるいは偏執狂)に近いもののように思える。だから、アムロとの「共感」があったときに「普通の女子(ニュータイプを含む。ただし強化人間ではない女子)」はアムロに「惹かれる」けれど、カミーユとの「共感」があったとき、「普通の女子」は或る種の鬱陶しさを感じるのではないか(想像。でも、エマさんとかレコアさんのカミーユに対する「態度」ってそんな感じだし、あのファでさえ、若干そんな感じ)。カミーユと「惹かれ合う」のは、薬漬けで脳が壊れた強化人間の女子だけ。21世紀風に言えば、メンヘラ同士なら惹かれ合う。
カミーユに訪れる「結末」を予言する不穏がここにある。
最終回、カミーユの精神が崩壊するのは、シロッコのせいでもなんでもない。「カミーユが元々持っていたもの」が、ついに「発症」しただけ。
極端な言い方をすれば、カミーユは、全50話をかけて、「実地の強化人間実験」に晒され続け、最後の最後に、とうとう、フォウやロザミーの「お仲間」になってしまったのだ。
【追記】おそらく、強化人間の候補に選ばれるのは、感じやすい情緒不安定気味の子なんだよ。つまり カミーユ みたいな子。だから、フォウとかロザミアと惹かれ合う。言ってしまえば、カミーユは、ムラサメ研究所やオーガスタ研究所の人間が喜ぶ「素材」なのだが、「自力」でニュータイプになっているので、もし、ニュータイプ研究所に連れ込まれても、フォウやロザミアみたいな目には合わずに済む。
もう一つ。カミーユのニュータイプ能力は、戦争の道具としては、うっかりしたらアムロすら凌ぐ。しかし、「本来」のニュータイプの有り様からすれば、相当に「病的」。カミーユは最初から「危うい」。遺伝か環境か、原因ははっきりしないが、とにかく自然発生的な「病気(精神疾患)のせいで」ニュータイプ能力が出現しているのがカミーユ。だから、変な喩えをすると、カミーユのニュータイプとしての異常な戦闘能力の高さは、脳にできた腫瘍のおかげで、もの凄い絵が描けるみたいなこと。
2023年9月4日月曜日
『ジャスティス・リーグ』:メモ
◯『ジャスティス・リーグ』(吹替版)2017年/2023年9月5日/prime video/本当の評価は△なんだけど、フラッシュ(バリー)とバットマン(ブルース)の掛け合いが好かったので、一評価おまけ。特にフラッシュのキャラが好い。もうひとつ。作品全体の軽妙さもいい。
香川照之、元気かな?
2023年9月3日日曜日
『DUNE/砂の惑星』(2021年版):メモ
2023年9月2日土曜日
【memo】crack babies
crack babies:母親が妊娠中にコカイン中毒だったせいで、生まれたときからコカイン中毒の赤ん坊。アニメの中で描かれているような意味でのクラックベイビーは、現実というよりフィクション。
Slash:ギタリスト:サンタクロースと同じで実は存在しない、というフィクション。クラックベイビーとは逆で、こちらは本当は実在するミュージシャン。
(『サウスパーク:15−5』)