2025年11月29日土曜日

「単なる絶滅」と「自発的絶滅」の差は小さくない

近頃、[老い先短くなった独裁者たち]が、あちこちで侵略だの虐殺だのを繰り広げて、独りよがりの英雄的恍惚に浸っている。

ホモ・サピエンスが、世界征服やジェノサイド(=「我々」の安寧のために「彼ら」を皆殺しにする行為)に走るのは、その根底に、「選択を誤らなければ、ホモ・サピエンスは永遠に存在し続ける」という誤解(というか根拠なき願望)があるからだ。

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個体としてのホモ・サピエンスは、生まれて百年もすれば、すっかりくたびれて「存在意欲」を失い、世界に対して関心がなくなる。その結果、世界への働きかけ(別の言い方をすれば干渉)をやめる。具体的に言えば、百歳のホモ・サピエンス個体は、(どうせきっと死んでいる)25年後の自分のために世界を変えようとはしない。

だが、そんな百歳のホモ・サピエンス個体も、[子孫や、祖国や、或いは、種としてホモ・サピエンス]の未来のためになら、老骨に鞭打って「なにか途轍もなく余計なこと」をやらかす。

『人間の終わり』で述べた通り、ホモ・サピエンスの文明が順調に進歩と発展を続ければ、その先に待っているのは、ホモ・サピエンスの自発的絶滅である。独裁者たちの願望とは裏腹に、選択を誤らなければ、[種としてのホモ・サピエンス]は地球文明からの退場することになるのだ。

文明の進歩や発展が、種としてのホモ・サピエンスを自発的絶滅へと導くなら、文明を停滞させてしまえ、と独裁者たちは思うかもしれない(実際、歴史上の多くの独裁者は文明を停滞させてきた)。そうすれば、血縁も国家も[種としてのホモ・サピエンス]も永遠だ、と。甘い。たとえ、ホモ・サピエンスの文明が停滞し続けても、地球や太陽や宇宙は変化することをやめない。立ち止まっているホモ・サピエンスの文明は、それらの変化が引き起こす「宇宙災害」に対処できず、結局、この宇宙から姿を消すことになる。

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選択を誤らなければ、ホモ・サピエンスは、人工人格に地球文明を引き継がせて、自らは自発的絶滅によって、この宇宙から姿を消す。選択を誤れば、[地球か太陽か宇宙]の変化の巻き添えになって、自ら築き上げてきた地球文明もろとも、この宇宙から姿を消す。いずれにせよ、ホモ・サピエンスが永遠に存在し続けることはないのだ。

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自発的絶滅は、知性現象としての[種としてのホモ・サピエンス]に訪れる歴史的必然。いつまで経っても、ホモ・サピエンスの[血縁や国家]が存在し続けているなら、それは、ホモ・サピエンスが、知性現象として「失敗」し続けている証。大目に見ても「寄り道」が過ぎている証。

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蟻塚はただの生き物が作ったにしては見事なものだ。同様に、国家もただの生き物が作ったにしては大した代物だ。しかし、どちらも、所詮は、生き物が生きるために作り上げた生存用装置でしかない。Dawkins風に言えば、ただの「延長された表現型」でしかない。そしてそれは、「生きる」ことが必然ではない知性現象にとっては、本来的に必要のないもの。

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[「赤ん坊」の知性現象]であるホモ・サピエンスには「国家」という「オムツ」が必要なのだろうが、「オムツ」が手放せないことに関して、知性現象としての恥ずかしさや後ろめたさは感じていてもらいたい(真の知性現象には「国家」という「オムツ」は必要ない)。「オムツ」自慢がやめられなかったり、すでに「オムツ」がつけているのに、他人の「オムツ」が欲しくなるのが、現状のホモ・サピエンス。自発的絶滅までの道のりは遠い。

2025年11月29日(穴)