2026年3月6日金曜日

『あのときキスしておけば』全8話:メモ

『あのときキスしておけば』(全8話)を完走した(TVer)。大石静脚本らしく、(「成長」前の「ももち」以外の)全ての登場人物たちが、悉く「察しのいい」人間で、気持ちよく、愉しく鑑賞した。但しそれも最終回の「結婚式」まで。麻生久美子のナレーションで語られる「1年後」が始まると、それまでの「全て」がガラガラと崩れ落ちて行った。なので、「1年後」は観なかったことにする

追記:
*どう考えても「1年後」は余計。余計というのは「あってもなくてもいい」ではなく、「あれで全部台無し」という意味。『Blade Runner』の「デッカードとレイチェルを乗せた車が、森の中を走っている場面」より酷い。それで、ふと思ったのが、蟹釜ジョーが週刊漫画の作者だということ。週刊漫画といえば「少年ジャンプ」。「少年ジャンプ」といえば、金にならない名作を、稼げる駄作にすることにかけては、右に出る者がいない漫画雑誌。その手法は「終わってるはずの物語を強引に続けさせる」こと。『あのときキスしておけば』も、「結婚式」で終わっていれば「名作」だったのを、敢えて余計な続きを描いて、「ダラダラ続けたダメな人気週刊漫画」的なものとして完成させたのだろうか?(いや、まさか)。

*「あれで全部台無し」についての補足。[あの世(死後の世界)は、この世(生者の世界)と特に変わったことのない世界(単に「場所」を移動しただけ)]という設定を取り込んでしまった物語は、生者がこの世で繰り広げる様々な「人生模様」が全て茶番になってしまう。例えば、子との死別、恋人との死別、不治の病の恐怖、戦争の恐ろしさ、若くして死ぬこと、道半ばで死ぬこと、その何もかもが、定期検診に連れて行かれる猫がキャリーバッグの中でこの世の終わりとばかりにギャーギャー鳴き喚いているのと実質的に同じになってしまう。輒ち、無知ゆえの空騒ぎ。広い意味での「夢オチ」。

(2026年3月6日)穴藤

追記2:
*「結婚式」迄は「名作」だった理由は、人間の本質は知性現象だということを、絶対の自信を持って描ききっているから。もっと具体的に言えば、【物理現象や生命現象としては紛れもなく「田中マサオ」でしかない存在であっても、それが実現している知性現象が「唯月巴(蟹釜ジョー)」なら、彼女の[恋人や元夫や母親]は、それを目の当たりした「途端」、それが自分の[恋人や元妻や娘]だと確信するし、逆に、田中マサオの妻や子供は、それが自分の[夫や父親]ではないことに「最初から」気付く】ということを、ブレなく描いているから(当初、田中マサオの息子以外全員が「憑依」を否定するが、実は、最初に「巴よ!」と言われた瞬間に、みんな、「え、ホントかも?」という顔に一瞬なる。しかし、すぐさま「そんな馬鹿な、あり得ない」と心のなかで否定する)。▼「結局、人間ってなんなのさ?」という大問題に対する「正解」が、第8話の「結婚式」まで描かれ続ける。しかし、生身の人間の知性現象は、「永遠の命」や「不死」を都合よく言い換えただけの「幽霊」や「死後の魂」とは全く違う。消滅する(「死ぬ」と言い換えてもいいけど)のが、生身の人間の知性現象(別に「魂」と呼んでも構わないけど)。しかし、「1年後」以降はそれを全否定して、軽薄な幽霊話にしてしまった。

(2026年3月7日)穴藤