米軍の「ミッドウェイは水不足」という平文の通信を傍受した日本軍がまず仮定しなければならないこと。
仮定a)平文の通信は暗号解読のための罠ではない
仮定b)平文の通信は暗号解読のための罠である
その上で、次の想定をしなければならない。
想定1)日本軍の暗号は米軍によって全て解読されている
想定2)日本軍の暗号は米軍によって一部解読されている
想定3)日本軍の暗号は米軍に一切解読されていない
〔仮定b〕の場合、日本軍は「水不足」云々の情報を本部に伝えてはならない。しかし、当時の日本軍は、2つの仮定(a,b)のどちらが正しいかを判断する根拠を持っていないので、〔情報を本部に伝えない〕という選択肢は事実上存在しない。
いずれにせよ情報を本部に伝えなければならない日本軍は、次に、想定1〜3について考慮しなければならない(言うまでもなく、両軍ともに通信に暗号を用いているという事実から、そもそもの前提として、全ての通信は相手に傍受されていると、両軍ともに考えている)。
〔想定1〕なら、仮定が(a)でも(b)でも、日本軍が本部に情報を伝える手段は、暗号でも平文でも構わない。なぜなら、そもそも暗号は全て解読されているのだから。
〔想定3〕なら、仮定が(a)でも(b)でも、本部には暗号で情報を伝えるべきである。米軍(この場合ミッドウェイ)に関するどんな情報を日本軍が掴んでいるかを、米軍に知られないためである。罠であろうとなかろうと、暗号が一切解読されていない限り、これが暗号を使うそもそもの理由の一つである。
警戒を要するのは〔想定2〕である。というか、「チューリング vs. エニグマ」戦でも明らかなように、暗号使用者は〔想定2〕の状況を常に念頭に置いて警戒しなければならない。輒ち、送信した暗号文自体が暗号解読の最大のヒントになる可能性について常に考えておかねばならない、ということ。
このように考えると、〔仮定b〕の場合はもちろん、たとえ〔仮定a〕だとしても、うかうか暗号文で通信したりすると「取り返しのつかないこと」になりかねない。しかも、敵軍の「平文の通信」などというものは、どう考えても「怪しい」「裏がある」「引っ掛けっぽい」。要するに、罠である可能性が高い。だが、この時の日本軍の場合、〔手に入れた情報は本部に伝える〕という選択肢しかない以上、手に入れた情報は本部に送らないわけにはいかない。
では、どうやって送るのか?
結局、日本軍も平文で本部に情報を通信すればよかったのだ。なぜなら、(故意にせよミスにせよ)米軍が平文で通信してしまった情報が、日本軍に簡単に知られてしまうことは、米軍にも分かりきっていたからだ(前にも言ったように、両軍ともに通信に暗号を用いているのは、そもそもの前提として、全ての通信は相手に傍受されていると、両軍ともに考えているからだ)。逆に言うなら、日本軍は、「水不足」の情報を傍受したことを、暗号を使って米軍に隠す必要などなかった、ということ。
〔情報戦・暗号戦〕のキモの一つに〔敵に関する或る情報を自分たちが既に知っていることを、敵に知られないようにする〕というのがある(それが理由で、エニグマを「解読」したチューリングたちが、味方の艦船を「見殺し」にしたエピソードは有名)。しかし、この「水不足」情報に関しては、米軍は、日本軍がそれを知っていることを、知っているのだから、日本軍は、暗号など使わず、平文で情報を本部に通信すべきだったのだ。そうすれば〔想定2〕で起こりうる実害もなかった。しかし、実際に日本軍がやったことは、米軍から手渡された文章を、目の前で自分たちの暗号に翻訳してみせてやったのと同じだった。(穴)