2023年7月26日水曜日

TwitterがXになったので、今日、Twitterも「卒業」しました。

2023年7月25日火曜日

イデオンの「正体」

イデオンは、エルメスの「ビット」や、キュベレイやνガンダムの「ファンネル」の最終完成形。

「岡田斗司夫ゼミ:限定」卒業

コロナが始まって『コナン』経由で観始めた、「岡田斗司夫ゼミ」のメンバーシップを退会した。2年11ヶ月、どうもありがとう。

イセリナとララァ

「前線でラブロマンスか。ガルマらしいよ、お坊っちゃん」と、イセリナに入れあげるガルマを嘲笑ったシャアが、後に「入れあげる」ことになるララァは、イセリナと同じ声(潘恵子)という、富野さんの意地悪さ。(あるいは、イセリナの復讐?)

2023年7月21日金曜日

『シン・仮面ライダー』:メモ

◯Prime Video/好かった。「映画」としてみたら、いろいろと「至らない」ところはあるけれど、『仮面ライダー』なんだから、あれでいい。つまり、「『仮面ライダー』(という番組・作品)は凄かった」という「思い出」を守りたい「昔の子供」たちのために、私なり(庵野秀明なり)に、『仮面ライダー』を「清書」してみました、という映画だから、あれでいい。


本郷の「運命」も「原作」通りで好かった。特別編の最後にも一瞬出ていたあのヒトが、「どう見ても、あのロボット刑事だけど?」と思っていたら、名前もそのままの「ゲスト出演」だった(マザ〜!)。あと、浜辺美波をたっぷり鑑賞できるのもいい。それから、斎藤工がいつベーターカプセルを出すかと思って、ハラハラした。


追記:今気付いたけど、あれは森山未来のダンスだったのか!


2023年7月20日木曜日

『ウルトラマン』第15話「恐怖の宇宙線」:メモ

期間限定配信の『ウルトラマン』第15話「恐怖の宇宙線」を観た。落書きの怪獣ガバドンが謎の宇宙線のせいで、実体化するエピソード。『ウルトラマン』は『ウルトラQ』に輪をかけて、荒唐無稽で破綻しまくっていることは充分分かっているのだが、今回のエピソードは特に酷かった。ファンタジーの部分ではなく、科特隊の組織としての「無責任な邪悪」さが。

イデ隊員が、ガバドンは夜の間は、土管に描かれたただの落書きなのだから、夜のうちにその落書きを消してしまえばいいと提案すると、まず、アラシ隊員が、科特隊が落書き消しなんかできるかと怒鳴り、更に隊長のムラマツが、科特隊は正々堂々と戦ってガバドンを倒すと宣言する。恐ろしいほどの、イカれた武装集団ぶり(男たちは手に入れた「オモチャ」を使いたくてしょうがない)。しかも、結局、ウルトラマンが宇宙に持ち去って「解決」するのだから、科特隊は、人類にとって害悪以外の何物でもない、と改めて思った。

60過ぎて「シン〜」を作った庵野とかは、科特隊の「異様さ」に代表される、物語としてのデタラメ具合は完全に「through」して、特撮とかの方だけで、『ウルトラマン』(や『仮面ライダー』)評価してるんだろうなあ。じゃないと、バカバカしくて、こんな作品リメイクしようとは思わないもの。

2023年7月18日火曜日

『夢みるように眠りたい』:メモ

◯林海象監督・佐野史郎主演/Prime Video/

初めて観た。冒頭の無声映画で黒頭巾の格好をした佐野史郎が出てきて、その直後に、死にかけてるようなおばあさんが出てきたので、『INLAND EMPIRE』系の話なのだとすぐ分かった。

あと、なんで、このタイミングでPrime Video7日と思ったら、通常のエンドロールが終わった後に、それよりも長い別口のエンドロールが流れた。もしや、と思ったら、案の定、クラウドファンディングだった。フィルムを「修復」して、「2K」にしたらしい。

2023年7月17日月曜日

久しぶりに「味のするガム」だった。

ここ何ヶ月かの「岡田斗司夫ゼミ」を視聴していると、「味のしなくなったガムをずっと噛んでる」ような気分になっていたけど、今日の『君たちはどう生きるか』の解説は、久しぶりにちゃんと「味がした」。

「本当に好きなもの」を語るのはイイね。

2023年7月15日土曜日

「本当の魅力」は「ニュータイプ」と「SF戦争ギミック」以外にある

初代『ガンダム』が、今も鑑賞に耐えるのは、「ニュータイプ」だの「SF戦争ギミック(MSや宇宙移民や)」だのという「バカバカしい要素=絵空事」を全部取っ払った後に残る、〔今生きている自分(観客)と「地続き」になっている「人の振る舞い(=或る状況、或る環境、或る人間関係に置かれたときの人間の振る舞い)」〕が満載だからだよ。

初代『ガンダム』の、所謂、「続編」と呼ばれている作品には、大きく2つの流れがあって、一つは「ニュータイプ」というアイディアを追いかけ掘り下げていく流れで、もう一つは、モビルスーツをはじめとする各種「SF戦争ギミック」を精密化したり高度化する流れ。

言い換えると前者は「spiritual」系で、後者は「military」系。で、どっちもそれなりにオモシロイんだけど、最初に書いた「バカバカしい要素=絵空事」の方に「本腰」を入れている作品群なので、「初代」に比べると、鑑賞中に、登場人物たちの振る舞いに対して「お、分かってるねえ!」と唸る機会がものすごく少ない(場合によったら、全然ない)。

もっとぶっちゃけて言ってしまえば、「ニュータイプ」にしても「戦争」にしても、観客は勿論、制作者たちも、誰ひとりとして実際に体験してはいない。要するに、100%想像。作る側も観る側も想像。童貞が作ったアダルトビデオを童貞が鑑賞しているような、独特の「不毛さ」と「バカバカしさ」がそこにはある。だから、あんまり本気になれない。

ところが、機材も人材も時間も足りてない状態でどうにかしなければならないブライトが「置かれた状況」というのは、社会で働く人間にとっては、ものすごく馴染みのある、他人事ではない「実体験」に属する。あるいは、アムロがどんどん「離れて」いってしまうフラウ・ボウの「悲しみ」だってそう。宇宙戦争とかニュータイプとかとはまるで次元の違う「生々しさ」を、この凡庸な21世紀を生きている観客もちゃんと感じ取ることができる(他にも例はいくらでも出せるけど、きりがないのでもうやらない)。

『∀ガンダム』が富野さんの最高傑作だと思えるのは、だから、「初代」の持っている「本当の魅力」を最もよく全面に出しているから。輒ち、『∀』には「ニュータイプ」は出てこないし(そういう概念すら出てこない)、戦争だって、まあ、終始「小競り合い」(武力衝突レベル)。

この『∀』の特徴を、逆向きから言うと、「ニュータイプを匂わせる現象」すら起きないせいで、『∀』はspiritual系ガンダム好き」からは相手にされないし、いつまで経っても同じ顔ぶれの「地味な」モビルスーツが「地味な」小競り合いを続けているだけなので、military系ガンダム好き」にもあまり喜ばれないだが、それでいいのだ。『∀』には「初代」の「本当の魅力」が満載ということは、ニュータイプでも戦争経験者でもない我々が、素直に「実感」や「共感」を覚えられる「登場人物たちの振る舞い・言動・物語」が満載ということだから。

最近お気に入りの自前の「弁当理論」をまたしても持ち出せば、たとえどれほど、「オカズ」が美味かったり珍しかったりしても、肝心の「米(ご飯)」が不味ければ、我々にとってその「弁当」は不味い(そして、もう二度と買わない)。オカルトオタクや軍事オタクは、総じて「米」の美味い不味いに無頓着で、「オカズ」の美味さや目新しさだけで、その「弁当」を評価するが、我々は違う。「米」が美味いなら、「オカズ」は、「梅干し」や、変哲のない「厚焼き玉子」で充分。「平文」に「翻訳」すれば、日常と地続きの人間の有り様が見事に描かれていれば、ダイソレタSFギミックや大戦争は必要ないのだ。例えば、特に何も事件の起きない『海街diary』が美味くてたまらないのは、我々が何よりもまず、「米の美味さ」を求めている者たちだからだ。

2023年7月14日金曜日

『モンティ・パイソン/人生狂騒曲(吹替版)』:メモ

☆Prime Video/初めて観たけど、この作品が、映画(というもの)の「一周目」の終わりのような気がする。つまり、この作品以降の映画は、全て「二周目」に属するように思えてきた。冷蔵庫から出てきた歌手の歌(歌詞)が好い。


2023年7月12日水曜日

「夜中の夜明け」までは

富野さんの最高傑作は初代『ガンダム』ではなく、『∀ガンダム』(だと思っている)。もし、ちょっと興味を持ったら、たとえ途中で気に入らないことがあっても、とにかく、第27話「夜中の夜明け」までは観て欲しいよね。28話以降も観続けたいかどうかが、自分の中でハッキリするエピソードが「夜中の夜明け」だから。

細野さんがゲストの「星野源のオールナイトニッポン」を愉しく聴いた。radicoで。細野さんが出てから、腹が鳴って、帰るまで。

2023年7月11日火曜日

『劇場版Gのレコンギスタ』(1)〜(5):総評

意識的かどうかはともかく、結果として、「ガンダム」で「タイムボカン」シリーズをやっている。(因みに、「ガンダム」で「カルピスこども名作劇場」をやったのが『∀』で、こちらは大成功だった。)

輒ち、
①「作者に守られている」感が全開の主人公たち(おかげで、殺し合ってるのに妙に能天気)。
②次々現れる「ビックリドッキリメカ」。それを悉く倒す、結局無敵の主人公メカ。
③愉しく通好みな「SFギミック」がてんこ盛り。

①と②のせいで、「他人」は死ぬけど、「自分たち」は死なない「戦争ごっこ」という印象が最初から最後まで続いた。ただただ③がやりたくて、適当なストーリーをでっちあげたって印象もすごくする。


全体の印象が「ギャグアニメ」なのも、「タイムボカン」シリーズに思える理由。というのも、戦争大好きの「愚かな」大人たちの言動演出(特に死に様)が、例えば、ドロンボー(ドロンジョ、ボヤッキー、トンズラー)のそれと変わらない。勿論、ドロンボーとは違い、『Gレコ』の「大人たち」は生き残れない。けど、「扱い」は「同じ」。

あと、これは「タイムボカン」説には当てはまらないけれど、とにかく、ラジオドラマかと思えるほど、全編「説明ゼリフ」だらけで、これは語りを端折っているはず(TV版は未見)の「劇場版」だからそうするしかなかったのか、「言葉で説明してやらないとわからないでしょ」という「子供をナメた」態度なのかは分からない。何れにせよ、「全ての漢字にフリガナが振ってある本」を呼んでいるのとそっくりの作品体験


運動選手と違って、創作者(creator)は、自身の「高齢化」の「実害」を自覚しづらいのだろう。しかし、出来上がった作品を第三者(鑑賞者)が見れば、高齢の創作者の作品からは、「高齢」の運動選手の「振るわない成績」や「お粗末なプレイ」に相当するものを強く感じることがある。勿論、「高齢化」が「害」を及ぼさないどころか深みになる種類の創作物はいろいろとある(画とか書と詩とか音楽とか)。しかし、映画やアニメのような、複数の人間が関わって作り上げるものは、創作者が「高齢」になると、「他人の邪魔」や「余計なお世話」を跳ね返しきれなくなって、「らしくない」作品が完成してしまうんだと思う。

2023年7月10日月曜日

『劇場版Gのレコンギスタ・5』:メモ

△prime video/これで全部。最後まで「ライトノベルSF」だった。作者に守られているお陰で「絶対に死なない」子どもたちが「本当に人が死ぬ戦争ごっこ」をやる物語。SFオタクが、SFギミックやSF設定をふんだんに盛り込んで喜んでいるのは間違いない。富野さんには「子供」は描けないことがよくわかった。さんざん殺し合った同士が、物語が終わると、まるで、殴り合いの喧嘩くらいしかしてなかったみたいに、ケロッと仲良しになってるところが「怖い」。


結局、『Gレコ』って、凝ったギャグアニメだったんじゃないって、今は思ってる。嘗て、「ガンダム」で「カルピスこども名作劇場」をやってみたのが『∀ガンダム』だったように(そしてこれは成功している)、「ガンダム」で「タイムボカンシリーズ」をやってみたのが『Gのレコンギスタ』のような気がしてならない。


『犬神家の一族』のリメイク版を思い出した。作らないほうがよかったんじゃないかなあ。


2023年7月9日日曜日

『劇場版Gのレコンギスタ・4』:メモ

△2023年7月9日/prime video/ライトノベル・ガンダムで、SFオタクが好きなだけSF設定を愉しんでいる(だけ)の映画。言い方を変えると、ガンダム風「ライトノベルSF」。「ライトノベル」というのは、〔戦闘が「八百長(どんなに激しい戦いでも主要キャラは誰も死なないし傷つかない)」ということ〕と、〔登場するモビルスーツや装置や巨大設備が、これれまでの全て(富野版以外も)の「ガンダム」の「引用」になっていて、たとえば、ザクとドムとズゴックを思わせるモビルスーツが、それぞれ準主役級の非量産型MSとして登場すること〕とか。

あと、劇場版ということもあって、「ドナルドのもしもし亀さん」現象が酷い。

所謂「おかずは美味いが米が不味い弁当」の類いの作品で、初代ガンダムとは「真逆」。輒ち、作画やSF描写が緻密なのだが、人間物語が「ライトノベル」な「ご都合主義」なので、物語を真面目の追っていくのがちょっとバカバカしくなるのが本作。で、その逆が、「初代」。「至らない」作画やSF描写は鑑賞者に脳内で「補完」してもらい、とにかく物語で鑑賞者を惹きつける。

2023年7月8日土曜日

全く何の共感もできないことに驚く

ここ何週間か、「犬骨堂」の昔(10年前くらい前)の投稿の「整理」をしているのだけれど、何が好くてリブログしたのか、もはや全く分からない投稿(写真も動画も)が全体の半分以上もあって、戦慄している。

これは「成長」ということなのか? それとも、感性が鈍ったということなのか? 肌感では、「目が肥えた・舌が肥えた」という感じなのだが、まあ、アテにはならない。

しかし、『ストレイト・ストーリー』のアルヴィン爺さんも、年を取って唯一良かったことは、本物と偽物の区別が付くようになって、余計なものに振り回されなくなったことだと言っていたので、まあ、成長ということにしている。

2023年7月7日金曜日

『帰ってきたウルトラマン』の最終回が酷い

 団時朗が死んだので、ULTRAMAN OFFICIALで『帰ってきたウルトラマン』の最終回を特別配信していた。観た。酷かった。物語も、人物描写もガラクタ。子供のごっこ遊びをテレビ放映していたとしか思えない。

重要な点は、特撮がお粗末だから観てられないのではなく、物語自体がお粗末だから観てられないということ。

前にも言ったことがあるが、『完全版純情パイン』におまけでついている、未発表漫画ネームが、そうとう雑な鉛筆書きなのに、読んでいてオモシロイ。商品として完成してなくても、オモシロイものはオモシロイのだ。つまり、特撮がしょぼいことは、作品が「観るに堪えないガラクタ」であることの理由にも言い訳にもならないということ。

『帰ってきたウルトラマン』に限らず、昔のあらゆる特撮モノは、(初代『ゴジラ』を除いて)今見ると、そもそも物語として観てられない。物語製作者として、あの「ふざけた態度」は何なんだろう? 子供を含めた視聴者(観客)を舐めてるのかな?

若いときにああいうシロモノに影響を受けて、年を取ってから、あんなガラクタをわざわざリメイクしている人達にとっては、「撮影を工夫するオモシロサ」が全てなんだろう。まるで、オカズばっかりに凝って色々作り直すけど、いつまで経っても米が不味い弁当屋や定食屋みたいだ。

rough: 2023.07.06

 




2023年7月5日水曜日

『8 1/2』:メモ

◯『8 1/2』フェデリコ・フェリーニ監督/Prime Video/2023年7月5日/D. Lynchの「心の師匠」とでもいうべき、フェリーニの作品。煮詰まった映画監督が、現実の女たちに振り回されたり、妄想の世界にさまよったりする話。最後の最後も妄想。もしかしたら、「拳銃自殺」は現実で、最後の場面は「死後」なのかもしれない。

しかし、確かに、Lynchの「師匠筋」という感じの作品。現実と非現実(妄想や夢や異世界)を行ったり来たりする表現は、今の映画ではアタリマエになっているけど、どうやらその手法を初めてやったのが、この作品らしい。なるほど、だから、「何がそんなにすごいんだ?」感があったのか。『8 1/2』手法とでも言うべきものが、今やアタリマエになっているので、その凄さに気付けないということ。

2023年7月1日土曜日

『海街diary』:メモ

◯是枝裕和監督。綾瀬はるか、長澤まさみ、夏帆、広瀬すず/Prime Video
全編、4姉妹の「一人称」で描かれる映画。