2023年11月30日木曜日

【バイコマ】アタマの行方

バイオニックアームを取り戻して最初にぶっ飛ばしたやつのアタマが大変なことになっていることに、190周目で気づいた。



2023年11月29日水曜日

『メイズ・ランナー』:スルー・メモ

『メイズ・ランナー』

観始めて5分くらいで、主人公が、「入るな」と言われている迷路に入ろうとして、無理やり止められ、その直後に迷路が動き出した。ここで観るのやめた。主人公の行動が、アカラサマに「物語演出のための行動」だったから。

〔自分の名前も思い出せない状態で、どこに居るのかもわからないときには、周りにいる「事情をよく知ってるふうの人たち」の「親切な助言」には、とりあえず従っておく〕というのが、人間の心のリアルな動き。

例えば、どこかの巨大工場に見学に来ているときに、現場の工場労働者から「危ないから、そこには入るな」と言われれば、そこには入らないし、入りたくないのが、普通の振る舞い。

あと、「入るな」と言って止める側が、「もうすぐ壁が動き出して押しつぶされるから」というような具体的な説明を全くしないのも、(映画とかではよくあるけど)やっぱり現実に考えるとわざとらしい。

ああこのレベルか、以降も、この感じが続くんだろうと思って、なら、もういいや、と判断し、観るのをやめた。


2023年11月28日火曜日

『シャイニング』:メモ

 ◯『シャイニング』(字幕版)2023年11月28日/Prime Video/4周目くらいか?/久しぶりにまた観た。「今までに何回も観てるのに、ネットで或る解説動画を観たら怖くて仕方がなくなった」という話をどこかの誰かがネット動画上でしているのを見て、興味が再燃したのだ。ちなみに、その「解説動画」は見てない。誰のどんなのかも知らない。


で、今回気づいた。この映画は、ホテルに取り憑いた死霊たちが、訪れた人間を「仲間」に引き入れていくホラーの「フリ」をしてみせているけど、「正体」はコメディ。輒ち、霊が見えるとか未来が見えるとか言い続ける神経疾患気味(発達障害?)の「鬱陶しい」子供と、その子供のことが「第一」で何かと予定を狂わせるメンヘラな妻に対して、遂にブチギレてしまった作家志望の夫が巻き起こす悲喜劇。劇中で、ジャックがウェンディに向かって捲し立てているセリフを聞くと、それがわかる。ジャックは、この「めんどくさい」妻と「めんどくさい」子供に、ずっと、自身の夢の実現の「邪魔」をされてきたと思っているのだ。この物語の〔心臓=エンジン〕はこれ。


しかし、そのままだと、(クリエイター以外には)共感を得られないし、読んでも観てももらえないので、「ホテルの死霊たちに取り憑かれたせいで、殺人鬼になった」ということにしている。


でも本当は違う。


「面倒くさい・足手まとい」の妻子にうんざりしたクリエイター(志望)の男が、限界に達して、暴れてまわって、自滅しているだけ。ダニーが見るビジョンも、ジャックが話をする死霊たちも、最後にウェンディが見るビジョンも、実は彼ら自身に原因がある。そもそもあの一家は全員「そういう系」ということ。ホテルは関係ない。なぜ、ウェンディの見た目が、ああいう「ムンクの叫び」みたいなのか謎だったけど、今回合点がいった。三人共に「やばい」ということ。「やばい」二人の間にできた子供(ダニー)は、二人に輪をかけて「やばい」。所謂、劣勢遺伝(今風に言えば、潜性遺伝)の発現?


以上のことに気づくと、もう、只々、ジャックが気の毒なだけの映画。ホラーでもなんでもない(別の意味ではホラーだけど)。有名な「血の洪水」や「双子」も、キューブリックお得意の「単なる」アート表現にしか見えなくなる。もう、何一つ怖くなくなってしまったが、逆に、前よりも好きな映画になった。

2023年11月26日日曜日

『THE BOYS』:メモ

ふつうの男たちが、調子に乗った性悪のスーパーヒーローたちを殺す話で、例えば、ダイヤモンドのように堅い皮ふを持つスーパーヒーローのケツの穴にプラスチック爆弾を突っこんでバラバラに吹き飛ばす――という説明をどこかで読んで、俄然興味が沸き、今更観始めた『THE BOYS』だが、パンクなノリが気に入った(流れる曲も好い)。オモシロい!

第1話を観てすぐに、「元FBIのキャラ(ブッチャー?)って、引退したセブンのメンバーのグリーンランタン...じゃなくてランプライター(?)でしょ?」と直観した。

で、とりあえず、「無事に」プラスチック爆弾も炸裂し、ハイジャックの件で、スーパーマン(ホームランダー?)のサイコパスぶりがハッキリしめされた所まで観て、グリーンランタンは、ワンダーウーマン(メーベル?)と寝たことがスーパーマンに「バレた」ので、「引退」したのだろうと「確信」した。

でもそうなると、フレンチの告白(最初の「スーパーヒーロー殺し」は11年前)と合わなくなる。じゃあ、グリーンランタンも、ブッチャーたちに始末されただけなのかな? 

【追記】ブッチャーとフレンチは、やってることと雰囲気は、もうどっからどう見ても「貧乏なバットマンとロビン」なので、それも気に入ってる。昔、クリストファー・ノーランの『ダークナイト・ライジング』を観たとき、バットマンの「コスプレ」が完全にジャマだと思ったけど、今回の『THE BOYS』を見て、その見解は正しかったと確信したね。バットマンの格好は、ティム・バートン版くらいの「とぼけたファンタジー」ならちょうどいいけど、ノーラン版くらい「真面目で深刻」なノリになると、もう滑稽。逆に言えば、バットマンをふつうの格好の「ガジェットおやじ探偵」にしたらきっとオモシロイと思っていた。やっぱりオモシロかった。

第六話くらいにから出てきた、他人の心を読むメズマーって、どっかで観たことをあると思ってすぐに気づいた。『シックス・センス』のあの子やん! ハーレイ・オスメント? こんな仕上がり!?

【追記2】(2023年11月17日)「シーズン1」を全話観た。最初の直感は全然当たってなかったけど、面白かったから問題ないよ。キャラクターの人物造形が複雑で好い。

【追記3】(2023年11月23日)第2シーズンを観終えた。
Stormfrontは、「宣伝(SNS等)で大衆を扇動」「ゴリゴリの人種差別主義者」「人体実験の推進」と、わかりやすい「ナチス・ドイツの亡霊」感だったけど、話が進むと、全くその通りだった。一時、アメリカの一部市民たち(ジョン・フォードとか、リンドバーグとか)にも熱烈に支持されたという点も、本物のナチスドイツと同じ。
ライアンは、きっと子供の頃の「孫悟飯」的な存在+展開になると思ったら、やっぱりなった。Stormfront、ご愁傷さま。
回を追うごとに、Homelanderが好きになっている自分に気づく。とにかく、登場人物が、超人一般人の隔てなく、全員がメンヘラ。特にHomelanderは、その圧倒的超人能力故に、「普通の人間が超人能力を持つと心が保たない」ことの最悪の「症例」になっていて面白い。第二シーズンの最終話の最後の場面で彼があんな事になったのも、心を寄せた女が実はナチの残党で、しかも、自分のレーザーも「平気」だったその女を、実の息子(ライアン)が、黒焦げの再起不能に陥れているという現実に直面したから。「最愛のヒト」をこんな目に合わせたのが、唯一の血縁(愛してもらいたくて仕方がない)だから、いつもの(怒りに任せた)仕返しもできない。それは、或る種の「八方塞がりな屈辱感・無力感」。「俺は何でもできる〜!」と月に向かって絶叫したくもなるだろう。
▼「アタマがポン!」は、超能力モノの古典『スキャナーズ』への敬意でしょうなあ。


【追記4】(2023年11月26日)第3シーズンを観終えた。
▼ソルジャーボーイ(キャプテン・アメリカ)の血の繋がりなど全く気にしないキャラが好い。作り手の「そんなソルジャーボーイと比べたら、家族を求めるホームランダーの方がまだまし」感が出ていて、笑った。
▼ブッチャーとホームランダーが表裏の関係にあるのはわかっていたけど、時効性Vで得た能力(目から出るレーザー/色違い)が同じなので、やっぱり、と確信した。
▼マインドストーム(だっけ?)の能力の「おかげ」で、ブッチャーは自身の「トラウマ」と正面から向き合うことができた。
▼ブラックノアール退場(ホームランダーに殺された)。ブラックノアールがずっとマスクを付けていたのは、ウォーズマン的な理由だとわかっていたけど、あの可愛いアニメのおかげで、それがソルジャーボーイによる「暴行」だと言うことはわかった。あと喋れないのは、その暴行で脳に損傷を受けたからというのもわかった。要するに、ソルジャーボーイって、ホームランダー以上のサイコパス。というか、ブッチャーの親父の「系譜」。ちなみにブッチャーの親父の「系譜」は、ブッチャー、ホームランダー、ソルジャーボーイ。
▼クイーン・メイブ退場(ソルジャーボーイとの相討ちという偽装。死んではいない。密かに引退。ただし、ソルジャーボーイの「核爆発」に巻き込まれた、スーパーヒーローとしての能力は失ったので、ホームランダーに親指で潰された右目は失った)。
▼2024年に第4シーズンが配信されるらしいけど、ブッチャーは余命一年宣告を受けてるし、ホームランダーは公衆の面前で一般市民をレーザーで惨殺したのに、支持者に「歓喜」を持って受け入れられてるし(まさに、トランプとトランプ支持者だよね)、なかなか、厳しい物語づくりになると思うけど、どうなんだ?

【3シーズンを通しての印象】
とにかく、人間と人間社会のあらゆる問題が暗喩も含めて盛り込まれていて素晴らしい。更に、どんな作品も「性的おもちゃ」や「政治的おもちゃ」にしてしまう現代のSNS社会がやりそうなことを、作品の中で全て先にやってしまっている点も痛快。所謂、「リアル路線アメコミ・ヒーロー」モノは、『THE BOYS』で究極に到達したという印象。もうあとは何を作っても、『THE BOYS』の簡易版や劣化版や譲歩版にしかならないだろう。
▼あと、『THE BOYS』を世に生み出したことだけでも、Amazon Primeには存在した価値があったと言える。

2023年11月23日木曜日

将棋や囲碁で人間が機械(computer/AI)に歯が立たないのは、もう、子供でも知っていることだけど、世界大会なんかで変に盛り上がっている、所謂「格闘ゲーム」も、本当は機械が最強なんだよね? プレイヤーが「不愉快」にならないように、メーカーが手加減(調整)しているだけで?

もはや、チェス・囲碁・将棋の人間の世界チャンピオンは、実は全員「マイナーリーグ・チャンピオン」で、ビデオゲームの世界チャンピオンは(当事者全員がしらばっくれてるだけで)「最初からずっと」そう。いずれオリンピックの金メダリストも同じ「憂き目」に遭うことになるのだろうが、だが、それでいい。人間の「役割」はそこではないし、人間の存在理由もそれではないのだから。

2023年11月21日火曜日

【Twin Peaks】ヒロユキを見るたびに、「ポーンの中で殺されていた若者(Rusty Tomasky)」を思い出す。

2023年11月19日日曜日

「名探偵津田」前後編を堪能した。

津田の「好さ」は、嫌だとか面倒くさいという気持ちを全く隠すことなく、しかし、「事件」に関して何か気づいたり思い出したり、あるいは事件に展開があったときに、素直に驚いたり喜んだりする点。

「ふつう」の探偵ドラマは、実は探偵自身も事件の展開や真相についてすべて知った上で、〈ただ〉演技をしているだけなのだが、津田探偵は、その都度、〈実際に〉驚いたりボヤいたりしている、その表情(感情表現)が、我々を愉しませてくれるという仕組み。ちょっとした「発明」だと思う。

勿論、今は亡き『笑ってはいけない』の系譜なのはその通り。

2023年11月13日月曜日

生涯、『ガンダム』がどーこー言ってるのと、漱石の『こころ』をどーこー言ってるのには、何の違いもないよ。

2023年11月11日土曜日

『笑わない数学・第2シーズン/超越数』:メモ

『笑わない数学』第2シーズンを愉しく観ている。Thank you、 尾形。今回の「超越数」。なにより名前が好い。超越数。英語で言えば「transcendental number 」?  しらんけど。

ただ、毎度、細かいことが気になる性格で、今回も一点、どうしても「許せない」部分があったので記録しておく。

それは番組中に二度出てきた、「集合」風の図。

1つ目のこれが出たときに、まず、ちょっとモヤモヤした。


というのも、「超越数とは、代数的数ではない数のこと」という説明があったのに、この図だと、なんとなく、代数的数は超越数に含まれる「超越数の中の特殊な数」のように見えてしまうからだ。高校数学(多分)の「集合」的に言うと、実際の超越数は代数的数の「補集合」のはずなのに、この図からは、代数的数が超越数の「部分集合」のような印象を受ける。

この違和感が伝わりにくいのは数学用語なんか使ってるから。「数全体」を「人間」、「超越数」を「女」、「代数的数」を「男」に置き換えて言い直せば、途端にわかりやすくなる。それで言うと、上の図はまるで、「人類は全体として女であるが、女の一部は男である(男は女の一種である)」ことを表しているように見えてしまい、どうしても「全体としての人類は、女と男の二種類がある」というふうには見えない。という話。

「でも、それは、こちらの受け取り方がダメなのであって、ちゃんと色分けもしてあるし、息を止めて見れば、代数的数ではないものが超越数だというふうに読み取ることもできる。πも弾かれてるしね」と、思い直し、更に番組を観続けると、しばらくあとに第2の図が現れて、堪りかねて一時停止ボタンを押した。

第2の図。



なんか、嫌。すごく嫌。さっきと同じ構図で、今回の図は、〔「周期」は「超越数」の「部分集合」である(「周期」は「超越数」の一種である)〕と言っている。第1の図で「代数的数」だったところが、第2の図では「周期」になっているだけなのに、さっきと言ってることが違っている。つまり、第1の図は〔「代数的数」は「超越数」ではありません〕の意味で、第2の図は〔「周期」は「超越数」です〕の意味。色分けで「含まれる/含まれない」を区別してるんだろうけど、モヤモヤどころか、イライラして仕方がない。

では、どうすれば、このイライラを解消できるかを考えて、「形」を変えればいいんじゃないかな、と思いついた。


自分的には、この方が、随分、マシな気分。あと、自分で図を描いてみて気づいたけど、第2の図のように、「周期」の「中」に「代数的数」を描きこむのは、いずれにせよ全然オハナシにならないと思った。




2023年11月10日金曜日

THE HIGH-LOWSは、まど・みちおだと思って聴いてます。

2023年11月8日水曜日

▼無律法主義:Antinomian:無律法的――新約聖書の中でイエスが「与えられたルールを全て捨てなさい。代わりに一つの指示を与えよう。輒ち、お互いを愛しなさい」的なことを言っている。これが、専門家や専門性に対する反発の「根拠」になっている。

▼「理性の穴埋め問題」」――西洋の理性に対する行き詰まりを、「西洋が想像した東洋思想」で穴埋めしようとすること

▼「キャンセルカルチャー」――過去の「汚点」「過ち」をネット上で探し出してきて、当該の人物の社会的に抹殺する風潮。

▼「ネオ・ヴィクトリアン」――19世紀のイギリスのヴィクトリア朝時代の人々のように、公共の場では本音を隠して建前だけで生きる〔21世紀の「若者たち」〕のこと。

(ジョセフ・ヒース:「反逆の神話」「啓蒙思想2.0」などの著者)

(Eテレ「日本サブカルチャー史」スピンオフ)

「続編」は大抵の場合、単なる「キャラ萌え」作品。見るに堪えない。

人間の知性現象にとって、自身の身体すらも、日々便所に流される糞と変わらない。もう少し上品な物言いをするなら、知性現象にとって、〔生まれ・老い・死んでいく〕身体は、単なる「消費財」ということ。

序に言うと、知性現象にとっての「耐久財」とは、所謂「後世に残るもの」。輒ち、芸術であり、思想であり、科学であり、技術である。大きく言えば、文明である。

2023年11月4日土曜日

「おかず」が旨けりゃ「米」の味は気にならない岡田斗司夫

岡田斗司夫との付き合いは、「コロナ(covid-19)禍」の期間と同じになった。『コナン』の解説動画きっかけで観始めて、「最悪な平和とまだマシな戦争」発言で実質的に見限り、その後少しして、完全に「卒業」した。それ以降、全く視聴してない。その代わり、というわけでもないが、今は『山田玲司のヤングサンデー』を有料視聴している。

――もう少し詳しく

パンデミックで『キングダム』のアニメ制作がにっちもさっちも行かなくなったNHKが、倉庫の奥から『未来少年コナン』を引っ張り出してきて穴埋め放送したお陰で、数十年ぶりに『コナン』を目にすることになり、(いかにも今どきなことだが)それで、岡田斗司夫の解説動画に引っかかったという流れ。

最初に動画を見たときには、「この人が、数年前に『アオイホノオ』で濱田岳が演じていた『岡田斗司夫です〜♪』本人かあ」というくらいにしか、「全く知らない人」だったのだが、その後の約3年間の有料視聴で「だいたい分かったから、もういいや」となった。

――更に詳しく

岡田斗司夫が面白がる作品を「弁当」に喩えると、「確かにおかずはいろいろで美味いけど、とにかくどれも米が美味くない」というのが、一番ぴったりな表現になると思う。岡田斗司夫は不味い「米」が好きなのではなく、「米」の美味い不味いがよく分からない(気にならない)のだ。

ここでの「おかず」は、「新しい知識」や「物語の世界設定・SF設定」や「表現技法」や「時代背景」や「創作秘話」など。「米」は、「文章の美しさや気持ちよさ」とか「登場人物たちの心の描かれ方の深さや複雑さ」、要するにもっとずっと普遍的な要素。

岡田斗司夫が高く評価する「作品」にいくつか接してみれば、とにかく「米」に相当するものに対する評価が、「素通り」か「凡庸と言っていいほど甘くて幼稚」なことに気づく。だから、例えば、彼が強く推すSF小説などを試しに読んでみても、「設定は面白いが、物語は退屈」という感想になる。「わざわざ拙い小説に仕立てなくても、直に設定資料集で読ませてくれればいいよ」という感想になる。

――「卒業」の決め手になったこと

去年かそこらに岡田斗司夫が「激賞」していた『コーダ あいのうた』を自分でも観たとき、岡田斗司夫のサイコパスがただの「自称」ではなく「本物」であることを確信した。

岡田斗司夫は「安い感動」にしか感動できない人のことをよくバカにしているけど、あの映画を観て、「最後の2分間に訳の分からない感動を覚え」、「今年一番」「歴代二位の高得点」と褒めちぎるような60過ぎのおっさんが、「24時間テレビで安い感動をしている人」をバカにしちゃいけない。

ただし、もしかしたら、岡田斗司夫が体験した「訳の分からない感動」は、本当の感動というより、もう少し「手の込んだ」、或る種の「メタ感動」だった可能性もある。

つまりこうだ。

『コーダ あいのうた』の劇中で、娘(主人公)の歌の発表会に出席した父親(耳が聞こえない)が、自分は娘の歌は全く聞こえないのだけれど、周囲の観客が涙を流したり喜んだりしているのを目にして、自分の娘の歌の価値(娘が歌を歌うことの価値)に気付く場面がある。その場面と、感情移入が得意ではない(輒ちサイコパスな)岡田斗司夫が、映画館で、周りの観客が映画の観て泣いているのを目にして、この映画の価値に気づく状況とが、岡田斗司夫の中で「同じ」になったんじゃないかな? つまり、「劇中で父親に起きたことが、現実の自分の身にも今起きている!」と。それがあって「訳の分からない感動」を覚えたんじゃないのか?

しらんけど。

――岡田斗司夫ゼミの面白さについて

岡田斗司夫ゼミを視聴する面白さは2つあって、一つは、いわゆるオタク的な情報を聴く面白さ。要するに、今はなき「タモリ倶楽部」で、様々な分野のオタクが出てきて、愚にもつかない知識を喜々として披露しているときのアレ。もう一つは、サイコパス(感情移入が苦手)な岡田斗司夫の「人の心の機微の分からなさ」の面白さ。知能は高いのに、人の心の機微がわからないばっかりに、キャラクター分析や物語展開の理解が「大暴投」になる面白さ。それは、耳の聞こえない人の音楽解説のような面白さ。

例えば、「サイコパスの人生相談」の「独自性=キモ」はまさにこれで、要は、相談者と岡田斗司夫の「スレ違い」。弁当の喩えを使うなら、弁当の米が不味くて困っている相談者に対して、米は食わずにおかずだけ食べればいいでしょと答えてしまうのが岡田斗司夫。米なしでおかずだけを食べる味気なさや物足りなさに全く気づけない人間だけが「じゃあ、おかずだけ食べとけばいいでしょ」と平気で言える。でも、これでは、相談者の相談を答えたことにはなってない。岡田斗司夫当人にそのつもりはなくても、実際には「逸して」いるだけ。つまりは、一休さんの「とんち」と変わらない(だから、サイコパスの人生相談は面白いとも言える)。

――最後に

岡田斗司夫は『ガンダム』で何を学んだのだろう? 何を観ていたのか? サイコパスの「物語(映画・アニメ・小説)鑑賞者」は、耳の聞こえない音楽鑑賞者のようなものなのだということを、岡田斗司夫との3年間で学ばせてもらった。それで言えば、『コーダ・あいのうた』に対する、岡田斗司夫の頓珍漢な高評価が、岡田斗司夫卒業の決定打になったことは、なにやら意味深い。

ありがとう、岡田斗司夫。そして、さようなら。

2023年11月1日水曜日

5代目コントローラ。大変結構です。

▼5代目のPS3用(というか、Bionic Commando用)コントローラとして採用したHORIPAD(PS4/PS3兼用機)が素晴らしい。照準合わせが、これまでになく繊細にできて素晴らしい。左スティックと十字ボタンの位置が入れ替わっているのがどうかと思ったが、左手の親指(スティック)・人差し指(L1)・中指(L2)がコンパクトにまとまる感じも好い(但し、十字ボタン下のクイックターンがやりにくくなった。まあ、慣れだけど)。移動用の右スティックもヌルンヌルン反応してよろしい。

▼startボタンとselectボタンが見当たらないので、最初面食らったが、optionボタンとshareボタンが、それぞれに対応していた。これは多分、PS4がそういう仕様なのだろう。しらんけど。(PS4は持ってない)。

▼そうそう。最初、接続したら、スティックは反応するのに、それ以外のボタンが全て無反応だったので、不良品か!と思ったけど、何のことはない切り替えスイッチを「4」から「3」にすればいいだけだった。それについての注意書きステッカーを、メーカーがちゃんと、本体の目立つところに貼ってくれているのに、当方、そういうのすら見ないから。説明書とかも基本的に見ないから。これって、Jobs(Apple)の「薫陶」の「おかげ」。悪い癖。