2024年1月30日火曜日

乙だね

「ラヴィット」で、令和ロマンのくるまが提案した「F1ゲーム」は、最初何が面白いのかわからなかったが、ゲームが始まって時間が進むに連れ、このゲームの「キモ」が分かった。

要は「我慢比べ」なんだけど、特に芸人やテレビタレントが生放送中にやるとなると殊更に「ツライ」種類の我慢比べになっていて、これを「ラヴィット」に持ってくるとは、さすがM-1チャンピオンと思った。

一見すると単純で馬鹿みたいなのだけれど、この「遊び」を「理解できる」者だけが愉しめるという点で、或る種の「お座敷遊び」的な「乙なもの」を感じた。

2024年1月29日月曜日

「本物」が立ち上がるからやめてくれ

【注:以下、ニューヨークと銀シャリの漫才に関する「ネタバレ」あり】

 「ザ・ベストワン」でニューヨークの「誰かに怒られるスレスレの漫才」を観た。「炎上」の「火種人(ひだねじん)」の方じゃなく、「薪人(まきじん)」の方を「本物」と称して、「本物が立ち上がるからやめてくれ」とか「本物は〔ラッパーみたいに怖い人〕には近づかない」とか、「占い師自体が本物」だとか、「本物」を嘲笑いつつ、「本物」がニューヨークのこの漫才に対して「立ち上がらない」ようにしているところがウマい。ニューヨークのことは「ラヴィット」とかで知っていたけど、ネタを見たのはほぼ初めて。だから、元ADと味音痴のコンビという認識しかなかったけど、今回、見直した。ニューヨーク、すごく好かった


一番笑ったのは、銀シャリの「すもももももももものうち」。ももももものすごく愉しかった。トドメの「庭に埴輪鶏がいる」も。埴輪鶏!ああ、あと「そもそもすもも」も。

2024年1月27日土曜日

『まあだだよ』:メモ

◯『まあだだよ』黒澤明監督/2024年1月27日/Hulu/飼い猫が行方不明になるまでは、ただひたすら「変な映画」という印象。ただ、第一回「摩阿陀会」の様子は凄いと思った。輒ち「こりゃあ大変な撮影だ!」と。各駅停車の駅名を北海道から鹿児島まで暗唱する元「教え子」の存在は、摩阿陀会の「タイムスケール」の役割なのだということはすぐにわかった。あの人が、駅名を読み上げているお陰で、会が始まってどのくらい時間が経ったかを、観客に示すことができるし、たとえ、撮影を分割して行っても、「継続感」が出せる。/飼い猫が行方不明になってからは、「ああ、ペットロスの話か」と思った。その時、「先生」が飼い猫「ノラ」のことを書いた本『ノラよ』が画面に映し出され、作者が「内田百閒」になっているのが見えた。要するに、「先生」は内田百閒で、これは内田百閒のことを描いた映画なのだと気づいたら、もうそこからは、全然「変な映画」という印象はなくなった。/「摩阿陀会」の第一回のとき、「先生」は60歳で、劇中では最後に描かれた、第17回のときは(当然)77歳。/「先生」の観ている夢の描写がエンディング。子供の先生が、他の子供達とかくれんぼをしている。隠れる側は「先生」だけ。〔子供姿の「先生」〕がふと見上げると、夕焼けだか朝焼けだかわからない、ちょっとこの世のものとは思えない色合いの空が広がっている。先生は、あの空を観ながら「死んだ」のかもしれない(ちょっと手持ちの本で確認したら、82歳で死んでるので、それは違う)。/オイチニ、オイチニ。/飼い猫の名前は初代が「ノラ」(茶トラ)、二代目が白地に黒ぶちの「クルツ」(ドイツ語で「短い」という意味。奥さんは略して「クル」と呼んでいる)

2024年1月26日金曜日

『WANTED』メモ

今年の『格付けチェック』の「大活躍」で、ふと思い出し、DAIGOが主人公の吹き替えをやった『WANTED』を引っ張り出してきて、また観た。


DAIGOの吹き替えは変だけど、映画はやっぱり面白い(因みに、この手の「変な吹き替え」はわりと平気。他にも、ジョーカーの吹き替えをデーモン閣下がやったティム・バートンの最初の『バットマン』とかも平気)。


この映画を、単なる〔弾丸を曲げるだけ『刃牙』的バカ映画〕と侮ってはいけない。初めて観たときも思ったが、とにかく「運命の織機」というアイディアが秀逸なのだ。「運命の織機」に「翻弄」されるフラタニティのメンバーの姿は、歴史に「翻弄」される人間そのもの。みたいな、感慨がある。


今回観て思ったのは、クライマックスの「銃撃乱戦」が、まるっきり、のちの『ジョン・ウィック』。『ジョン・ウィック』を観たときに、妙な既視感があったのはコレか、と納得した。


2024年1月26日 穴藤


2024年1月25日木曜日

【バイコマ】ライトアーマーのままだと、オスプレイとの戦い(「ダイ・ハード戦」)が、かなり油断のならないものになる。輒ち、「無益な殺生はしない」主義は、「殴る蹴る」の達成が遅れ、自らのクビを締めかねない。
【バイコマ】2人組で無駄口を叩いている敵兵が、道中何度か登場するけど、多分、全組、素通りできる。
【バイコマ】FSA記念ビルの麓おゴリメカ(2体)対策:中間地点のビルの屋上(安全地帯)から、通常の銃で、背中の弱点(青い光)を狙撃できる。その場合、無闇に連射するのではなく、一発ずつ撃つ。連射すると3発に1発くらいしか当たらないが、0.5秒間隔くらいでゆっくり撃つと、全弾命中する。

2024年1月23日火曜日

『ニュー試』ケンブリッジ大学編の第一問:メモ

録画して放置してあった『ニュー試』のケンブリッジ大学編(前編)を観はじめて、いきなり最初の問題でひっかかり、(『千鳥の相席食堂』風に)「ちょっと待てぇ!」と、映像を止めた。



「ジョーンズとボーンズとウィルソンの3人のうち、ウソをついてるのは何人?」という問題の正解を、番組は「B:1人」と言っていたけど、「本当の正解」は(どうしてもと言うのなら)「C:2人」だろ? つまり、散々悩んだ挙げ句「C:2人」と答えた真ん中のお姉さん(上田さん)が「正解」で(お姉さんが2択で悩んだ理由もわかるし、2択の内容も分かる)、場合分けの表を描いて自信満々に「B:1人」と答えた松丸君は「間違ってる」。番組も「間違ってる」し、言ってしまえば、そもそものケンブリッジの出題者も色んな意味で「間違ってる」。まあ、せいやの「D:3人」は論外だけど。




「正解」が割れる原因は〔ウィルソンの「扱い」〕と、〔「ウソ」の定義〕なんだけど、今、ものすごく腹が減って、手が震えてるので、その話はまたあとで。


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食べた。手の震えも止まった。


まず、簡単だから、ジョーンズとボーンズを最初に片付けておく。


この手の「正直族とウソつき族」系のパズルで、二人の人間が互いのことを「あいつはウソつきだ」と言っているとき、ウソつきはどちらか一方でしかない(どちらか一方は必ず正直者)。理由は簡単で、ウソつきはウソつきのことをウソつき呼ばわりできないから。早口言葉みたいになって分かり難いから言い直すと、ウソつきは、ウソつきのことを「あいつは正直者ですよ」と言って、ウソをつかなければならないから。だから、ジョーズとボーンズの二人に限って言えば、ウソつきは1人だけ。この時点で、本当のことを言っている者が1人いるので、せいやの「D:3人(全員がウソをついている)」は早々に脱落。


で、問いは、「3人のうちでウソをついているのは何人?」だから、飯前に書いた通り、本当の「難問」は「ウィルソンが果たしてどちらなのか?」ということになる。ウィルソンはウソをついているのか、いないのか?


松丸君がほんの数十秒で「正解」に辿り着き、上田さんが散々悩んで「不正解」を選んでしまったのは、松丸君が暢気な「パズルゲーム脳」で、「何も考えずに」或る種の「解法」に条件をはめ込んで答えを出したのに対して、上田さんは、「ウソをつく」ということを厳密に考えた結果、このパズルの「不完全さ」と「曖昧さ」、というか、要するに「出来の悪さ」にハマってしまい(そして多分気づいてしまい)、「お手上げ」状態になってしまったからだろう(古舘に無理強いされて「C:2人」と答えたけど、もう一つの候補は「E:情報が足りない」だったはず。でも、この手のパズルで「情報が足りない」なんて答えは、特にテレビ番組に取り上げられているのだから、有り得ないと判断し、「C:2人」を選んだのだろう)。


松丸君は、〔ウィルソンの「最大2人」という主張は「ウソをついているのが0人か1人か2人かのどれかだ」という意味なので、そこには「正解」の「1人」も含まれている。だから、ウィルソンはウソをついていない〕と考えた。が、それは、先にも書いた通り、松丸君が暢気な「パズルゲーム脳」だから言えることで、実際は(現実の世界は)、それほど単純ではない。


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そもそも「ウソをつく」とはどういうことかを考え出すと、この問題の「出来損ない」ぶりに気づく。


現代日本人の実感に即して言えば、「ウソをつく」とは「正しい情報を持っていながら、意図的に、それに反する(それとは異なる)情報を伝えること」だ。だから、何か間違ったこと(事実に反すること)を言ったからといって、それが自動的に「ウソをつく」ことにはならない。誤解や無知が原因で、自分では正しいと判断したが本当は正しくなかった情報を伝えてしまう場合もあるからだ。「ウソをついたんじゃないわ! 知らなかったのよ!」というヒロインの叫びが、「ウソをつく」とはどういうことかを端的に表している。


繰り返すと、「ウソをつく」には、「正しい情報・本当のこと」を知っている必要がある。正しい情報を全く持っていない状態で、当てずっぽうで適当な事を言った結果、それが事実に反していたからと言って、それで「ウソをついた」ことにはならない。適当なことを言って間違えただけだ。これを反対側から言えば、〔当てずっぽうで適当なことを言ったら、結果として、事実に合致していたので、これをして「本当のことを言った」とも言えない〕ということになる。この場合、推測や当てずっぽうが結果的に正解だっただけで、当人には「本当のことを言った」意識もつもりもない。


で、ウィルソン。彼の言う「3人のうち最大2人はウソ」は、彼自身にとって「本当のこと」なのか? 「意図的なウソ」なのか? 「当てずっぽう」なのか? それとも他の何かなのか?



【解釈1】ウィルソンは他の二人に関する情報を持っている


番組の「解説」では、ウィルソンの発言は、他の二人の主張対立に関連付けて、その真偽が確定されるべきものとして扱われている。曰く〔対立する二人の主張から、ジョーンズとボーンズのどちらか一方はウソをついている事がわかる。ウィルソンの言う「最大2人がウソ」は、ウソをついているのが1人か2人ということなので、もし、ウィルソンがウソをついているのなら、3人全員がウソつきになってしまうだから、ウィルソンは本当のことを言っている〕云々。これを読む限り、ウィルソンは他の二人に関する情報を持っていると考えていい。


序だから言うと、番組のこの「解説」もかなり怪しい(上で太字にした部分)。「最大2人がウソ」は「ウソつきは、0人か1人か2人のどれかだ」という意味なので、番組(とケンブリッジ大学)は、ここから、〔だから、「最大2人がウソ」がウソなら、ウソつきが0人か1人か2人である」という可能性がなくなる〕と勝手に決め込んでいる。しかし、「最大2人がウソ」という主張がウソであることが、「最大3人がウソ」という主張を無効にするわけではない。そして、「最大3人がウソ」は「ウソつきは、0人か1人か2人か3人のどれか」という意味であり、「ウソつきは必ず3人」という意味ではない。現実のウソつきが1人でも2人でも、本当のことを言っていることになる。そして、「最大3人がウソ」という証言それ自体も、どう転んでも本当のことだ。それは、要するに「わからない/知らない/俺に訊くな」と言ってるだけなのだが、ここで言う「わからない」は、「当選した候補が、私が投票した候補」である〔投票に行かない有権者〕が、事実上100%の確率で当選する候補に「投票」しているのと同じ理屈で、100%の確率で本当のことを言い当てる。


話が横道に逸れた。


ジョーンズはボーンズが予測した通りの言動をするし、ボーンズもジョーンズが予測した通りの言動をする。そして、両者は互いのことを、自分のように知り尽くしているし、知能レベルも同等。これが、この手の「ウソつきパズル」の登場人物の基本設定。そして、そのことは(番組の「解説」から判断して)ウィルソンにも当てはまる。要するに、このパズルの3人の容疑者は互いのことを知り尽くしていて、知能レベルも同じくらい。だからこそ、ジョーンズとボーンズは、互いに「あいつは必ずウソをつく」と言い切れるし、その判断が間違うこともない(というか、間違うようでは、この手のパズルは成立しない)。


すると、ウィルソンも、〔ジョーンズとボーンズのそれぞれが、相手について何と言うか〕を、聞かなくて分かる。ウィルソンは、ジョーンズとボーンズが、互いにウソつき呼ばわりするのが「初めから」分かっている。先にも言ったように、①二人の人間がお互いをウソつき呼ばわりする時、どちらか一方が正直でなければならない(ウソつきは、ウソつきのことをウソつきとは呼べないので)。ウィルソンは自分以外では、ウソをついているのが1人しかいないことを初めから知っていることになる。


あるいは、万一、ウィルソンが、〔ジョーンズとボーンズそれぞれの属性(正直かウソつきか)〕について知らなくても、互いがウソつき呼ばわりしているということを知らされた時点で、①から、一方が本当のことを言い、もう一方がウソをついていることが分かる。


いずれにせよ、ウィルソンが本当のことを言うとしたら、「3人のうちで、ウソをついているのは1人」と言う以外にない。自分以外の2人のうちで、ウソをついているのは1人で、自分は本当のことを言うのだから、そうなる。逆に言えば、「ウソつきは1人だけ」以外の発言は、ウィルソンにとって、全てウソということになる。なぜなら、ウィルソンは〔ウソつきは1人〕だと知っていながら、〔ウソつきは最大で2人になる可能性がある〕と言うわけだから(そんな可能性はないのに)。パズルゲームではない、日常生活の感覚から言えば、それは明白なウソである。


例えば、〔あなたの目の前で戦死した戦友〕の母親にばったり出会う。〔息子が戦死したこと〕を知らない母親は、「息子は帰ってくるでしょうか?」と、あなたに訊く。この時、戦友の母親をがっかりさせたくないと思ったあなたが「帰ってくるかもしれないし、来ないかもしれません」と答えれば、あなたはウソをついたことになる。輒ち「戦友の生死については知らない」というウソだ。年老いて自分自身が死ぬ時、あなたは高い確率で、「あの時、俺は、あの母親にウソをついた」と思うだろう。


つまり、ウィルソンが、ジョーンズとボーンズの「正体」を知っているか、二人の発言内容を知っている場合、「3人のうち最大2人はウソ」と証言する彼は、ウソをついていることになる。だから、「ウソをついているのは何人?」の答えは「2人」だ。


ところが!である。


この場合のウィルソンのウソ、輒ち「最大2人がウソをついている」は、結果的にはウソになってない! なぜなら、ジョーンズかボーンズのどちらか1人と、ウィルソン自身の合わせて2人がウソをついているからだ。ウィルソンが、「最大2人がウソをついている」というウソをつくと、ウィルソンのウソは本当になってしまう(〔ウィルソンは、ウソをつくことで本当のことを言う〕というちょっとした「自己言及のパラドックス」が生じる)。上田さんが答えに窮したのはコレが原因(な気がする)。古舘にセカされ、しょうがなく「C:2人」を選んだのは、「最大」という表現がウソだと言えば言えなくもないからだ。そして、この隘路が、出来の悪いこのパズルの、苦し紛れな「脱出口」になる。なぜなら、「最大」をつけることで、「0人の可能性もあるし、1人の可能性もある」というウソ(そんな可能性はないことをウィルソンは「知っている」)をついているから。



【解釈2】ウィルソンは他の二人に関して何も知らない


番組の「解説」の一件は忘れて、ジョーンズとボーンズはお互いのことをよく知っているようだが、〔ウィルソンはこの二人について、何一つ知らないし、知らされていない。彼が知っているのは容疑者の人数が自分を含めて3人ということだけ〕という場合を考えてみる。


この場合のウィルソンの「3人のうち最大2人はウソ」の証言の「正体」は、「他の二人のことは知らないが、俺だけはウソはついてない」という、ただそれだけのことだ。要するに、この「ウソつきパズル」とは「無関係」な存在。南極でコウテイペンギン相手に、ひとりつぶやいているのと変わらない。しかし、そうなると、ウィルソンがウソをついているかどうかは、そもそも全く推測できなくなってしまう。要は登場人物がたった一人現れて「俺はウソをつかない」と言ってるだけだから、「ああ、そうなんですね」と答えるしかない。


この場合、「俺だけはウソをつかない」というかわりに「ウソつきは最大で2人まで」と言ったら、「結果」として、それがジョーンズとボーンズのやり取りに「ハマって」、ウィルソンが〔さも本当のことを言ったかのように〕見えただけのこと。


先に述べたように、当てずっぽうやデタラメが結果的に事実と矛盾しなかったことを指して、「本当のことを言った」「ウソをついてない」とは言えない。この場合だと、〔ジョーンズとボーンズのどちらか一方だけがウソつきであるという論理的帰結(ウソつきの人数)〕が〔ウィルソンの発言〕に含まれるからと言って、ウィルソンがウソをついてないことにはならない。


繰り返すが、この場合のウィルソンの発言の「正体」は「私だけはウソを言わない」であり、ウソつきの人数の正しさを主張するものではない。「私はウソを言わない」という主張が、ウソなのか本当なのかは、ウィルソンの発言単独からでは全く判断できない。だから、答えの候補として「E:情報が足りない」が浮上してくることになる。



【解釈3】黙秘


これは「解釈1」の変奏。輒ち、ウィルソンの発言内容は、「或る種の黙秘」だと解釈する事もできる。他の二人に関する情報を持っているウィルソンが、自分の発言の真偽に関しては「黙秘」しているのである。


ウィルソンの発言の「3人のうち最大2人がウソ」の「2人」のうちの1人がウィルソン自身になることは、当人にも取調官にも自明のことだという前提のもとで、だからこそ「最大」という文言を付け加えたのだ。この場合での「3人のうち最大2人がウソ」という主張は、「自分(ウィルソン)はウソをついているかもしれないし、ついていないかもしれない。教えない」という意味になる。


この、「或る種の黙秘」解釈が、「厳密に本当のことも言ってないし、さりとて、丸出しのウソをついているわけでもない」というウィルソンの証言の本質を言い当てているような気もする。表面的には本当のことを言っているようだが、内面を覗き込むとウソをついているように思えるのは、それが「黙秘」だから。或る質問に対して「答えないこと」は、或る場合には「肯定」となり、或る場合には「否定」となり、或る場合は「欺き」となる。


***


まあ、要するに、我々のような細かいこと(言葉のニュアンスなど)が気になるタイプにとって、このパズルは破綻していて、だから、上田のお姉さんも途方に暮れた(のだろう)。


最初に戻ると、「ウソをつく」を、「〔意図はともかく、結果として事実に反していたこと〕を言う」と捉えると、松丸君のように数十秒で「正解」にたどりつけるけど、「事実に反することを言おうとする意図」と捉えると、真ん中に座っていた上田さんのように、答えに窮して時間切れになる。


だから、例えば、「問い」の文を、「3人の容疑者のうちウソをついているのは何人?」から「3人の容疑者の各主張のうちで、事実と異なる内容の主張はいくつある?」とかに変更すれば、ウィルソンの「意図(ウソをつく意図の有無)」は全く考えなくてよくなるので、今まで書いてきたごちゃごちゃも全部要らなくなる。


もしかしたら、〔問い〕とか〔容疑者の発言〕とかの本来のニュアンスが、日本語訳のせいで変わっているのかもしれない。原文(英文)で読んだら、この辺のモヤモヤはスッキリするのかもしれない。



2024年1月22日 穴藤


追記:こんなことを長々と書いていたせいで、まだ第一問しか観れてない。


2024年1月20日土曜日

ブルース・ウェインの自家用車

メガネのリドラーが出てくる『The Batman』を観た。アーカム・アサイラムなニオイ満載で気に入った。が、一番「!」となったのは、ブルース・ウェインの自家用車が「シボレー・コルベット(C2)」だったこと(たぶん)。「正体」は蝙蝠男なので色は当然、黒。


これでもう大体のことは許せる気分になった(逆に、ブルース・ウェインの自家用車がランボルギーニとかって、全然分かってないよね)。


で、早速、『Gran Turismo 6』(ウチにある最新のプレステは「3」)で、同じ色の同じ車を買って、シルバーストンで国内Aclassレースを楽しんでますよ。いいねえ。


2024年1月18日木曜日

『秋刀魚の味』:メモ

◯『秋刀魚の味』小津安二郎監督/2024年1月18日/Hulu/小津安二郎最後の作品。カラー/好かった/ひょうたん(東野英治郎演じる中学時代の恩師)が、今は中華そば屋「燕来軒」の店主をやっていることがわかった時に、主人公たちが口にする「チャンそば」という言葉。中華そば、のことだろう。初めて聞いた。/コウイチ(佐田啓二)の妻(岡田茉莉子)が、団地の隣の部屋の主婦(友達)からトマトを二個「借りる」。時代性/コウイチ宅を訪ねたミチコ(岩下志麻)が、たまたま後から訪ねてきた三浦と一緒に帰ろうとしているのを見た瞬間に、ああ、ミチコは三浦が好きなんだね、とわかったよ。で、その後の駅で電車を待つ場面で、その直感が正しいことを確信した/三浦が他の女と結婚することになったと伝えた時のミチコの心の内を全く察することができない、父親(笠智衆)と長兄(佐田啓二)には笑った/最大の謎は作品のタイトル。なぜ、どうして、「秋刀魚の味」なのか?分かる人にはすぐに分かるのか?/

2024年1月17日水曜日

『水ダウ』放送禁止用語4発回:メモ

先週の『水曜日のダウンタウン』で、ビートルズの来日公演のときに気絶した人を探し出して、今でもビートルズの熱狂的なファンかどうかを確かめる「説」を検証していた。


検証VTRの中で、当時(約50年前)のテレビ番組(モノクロ)の映像が流れた。その番組の中で、所謂、識者(老人)が、ビートルズに熱狂する若者をキチガイ呼ばわりした瞬間、現在(2024年)のスタジオにいたタレントたちが「わ〜、言っちゃったよ」みたいな感じになった。その後、よく、昔の漫画の中に出てくる「現在ではふさわしくない表現が含まれますが〜」的な「ことわり文」が画面に表示され、結局、件の識者の老人が3回、若者(若い女)の側も「キチガイなんて失礼ね」的な反論の形で1回、合計、4回、「キチガイ」という単語が令和のテレビで放映された。


それはいい。「キチガイ」や「メクラ」のような、今では差別感ムンムンの言葉(という烙印を押されている。特に放送業界において)も、「発明」された当時は「婉曲表現」だったのだから(輒ち、「気が狂っている」とは言うかわりに「気が違っている」と言ったのだし、「目が見えない」と言うかわりに「目が暗い」と言った)。



画面のこちら側で観ていて本当に「うわ〜」と思ったのは、令和のタレントたちの〔キチガイという単語に対する、或る種、病的とも言える反応〕の方。まるで、中世の聖職者が神を冒涜する言葉を聞かされて、慌てて十字を切っているようなテレビ業界人たちの反応に、業界人ではないこちらは唖然としてしまった。要するに「職業病」なんだろうけど、その驚きように驚いて、ちょっと引いた。


いや、テレビ業界人だけの「病気」ではない。そもそも、見逃していたあの回をTVerで確認した理由が、ネット上で、「放送禁止用語が4回も流れた」「さすが『水ダウ』」「神回!」などと「騒がれて」いたからだ。どんな「禁忌」な禁止用語(うかうか文字にも書けない、言葉は数多くあるからね)が流れたのかと思って見てみたら、ただの「キチガイ」だったわけ。この程度のことで、「神回」だの「さすが」だと騒いだり喜んだりしている「世間」の方も、言葉に対して相当に「神経症的」。


なんだろう? YouTubeの「伏せ字」だの「垢BAN」だのも同様の「病気」なんだろうけど、全部、嘘臭いんだよね。八百長感を覚える。言葉に対する〔嘘の「正しさ」〕とか〔偽の「正しさ」〕とか〔偽の「上品さ」〕が蔓延していて、かえって不誠実に思える。口先だけの「寄り添い」や「共感」と同類。


**


結局、ビートルズの来日公演で失神した人は存在しないことが判明し、この「説」は、実は前提から成立していなかったにも関わらず、これが実際に放送されたのは、番組の意図が、ビートルズ云々ではなく、令和のテレビで「キチガイ」という「放送禁止用語」を流すことの方にあったのは間違いない。


その場合に、番組が伝えたかった主張は2段構えになっている。


まず、ビートルズに熱狂する若者たちをキチガイ呼ばわりした50年前の識者(老人)も、50年後の令和の時代から見れば、非常識極まりない人間にしか見えなくなる。つまり、価値観や常識というものは、完全に時代ごとに変化していくものだから、今の自分が持っている常識というものを過信するな、用心を怠るな、ということ。


その上で、放送禁止用語に対して神経症的に反応する、2024年のタレントたちの様子を流し、ここにもまた、「今の常識」に毒された者たちがいることを示して見せて、「ほら、でもやっぱり、人間は何も変わらない」と。


2024/01/17 穴藤


追記:検証VTRが終わったあとで、松っちゃんが披露した「ロケ中に絡んできた一般人に対して本気で切れる浜ちゃん」エピソードは好かった。


2024年1月16日火曜日

一般に「スポーツ」と呼ばれている「経済活動」に全く関わっていないし、興味も関心も持ってない「先進国」は存在するのか?

2024年1月15日月曜日

リアル・ベクター

所さんが、アンガールズの田中と、日本中の旨いモノ(その回は蓮根だった)をスタジオに取り寄せて食べている番組のアシスタントらしい女性(アナウンサー?)が、『Japangle』の助手のベクターそっくり(はい、よろこんでー/声:杏)で好感を持った。「リアル・ベクターやん!」と叫んだ。

2024年1月14日日曜日

『光る君へ』(第二話まで):メモ

『光る君へ』を愉しく見ている。

クラシックとエレキギターと『ツイン・ピークス』的なジャズなBGM。
主人公二人の「愛と誠」的な再会。
次期天皇の「親子丼」話。
等々。

戦国武将の類を持て囃す「いつも」の大河ドラマは、「現在」で言えば、プーチンやネタニヤフやヒトラーの人生を持て囃しているようなもので、観る気がしないが、今回は、平安時代で、しかも紫式部や藤原道長が主人公なんだから、そこまでアカラサマな侵略バカ同士の「活躍」は描かれないだろうから、それも好い。

2024年1月11日木曜日

海原雄山は、岡星さんより、多分、料理は下手。
「評論」と「表現」の「違い」の本質。


ベートーベンの聴衆は民衆。
モーツァルトの聴衆は皇帝(と貴族)。
しかし、バッハの聴衆は「神」。

2024年1月10日水曜日

【ガンダム】カイの「いやに冷え込むじゃないか」

第20話「死闘!ホワイト・ベース」で、カイが言う「いやに冷え込むじゃないか」は、カイたちの「脱走」が、先に「脱走」をやらかしたアムロレベルの覚悟すらない、単なる「子供の家出」であることの「暴露」。

砂漠なんだから、日が陰ってくれば冷えるのは当たり前。カイは、あのセリフをちょっとカッコつけて言ってるけど、手荷物一つ持たず、近所のコンビニにプリンでも買いに行くような「薄着」で、どこにいるのかもわからない「近くの連邦軍」に行くつもりで、庇もない車で砂漠に飛び出しているのは、はじめから「寒くなったりお腹が空いたら引き返す気満々」の「子どもの家出」
どうやら、密林の音をAIに聞かせて、そこに棲息している生物種を割り出す技術があるらしい。いや、まだ、開発中だったかな?

絶対王者と超ポンコツ

2024年の『格付けチェック』を堪能した。

「格付け」絶対王者のGACKT米粒2つでミシュラン炒飯で一人勝ちし、神憑りのポンコツ(或る意味「裏GACKT」)のDAIGOが、最後の最後に、たった一撃でGACKTを消して、ザコシショウに変える。

能登半島地震で、放送日が延期になったりもして、「格付け」史上稀にみる劇的な「格付け」だったなあ。

あと、「浜ちゃん炒飯」、あとで公開されたレシピ(隠し味)を見たら、そりゃ旨いに決まってる、と思った。もしかしたら、逆に、米2粒しか食べなかったからこそ、GACKTは正解を見極められたのかもしれない。いや、高嶋さんも正解を言い当ててたので、それはないか。

2024年1月9日火曜日

『正直不動産』featuring『タンポポ』

『正直不動産2』の第1回を愉しく観た。いきなりの「ゴローさん(『タンポポ』)」にひっくり返りそうになったよ。いや本当に、「40年後のゴローさん」がラーメンすすってるふうにしか見えなくて(本人だから当然なんだけど)、泣きそうになった。

【バイコマ】敵スナイパーが撃った弾が、別の敵スナイパーに当たることがある。当然、撃たれた方は死ぬ。同士討ち。はいご苦労さん。植物園の出口の上に陣取っているスナイパーがその犠牲になった。190周以上やって、今のところ一回だけ。
◯『ザ・ファブル/殺さない殺し屋』2024年1月9日/Hulu/1作目も面白かったが、この2作目も面白かった。ちょっと種類が違う映画になっていたけど。/アクションは、ハリウッド映画は無論のこと、(マリオネットな)「香港」映画よりも「リアル」だと思うなあ。マンションの外装工事の足場が崩れていく場面も好かった。/佐藤二朗と山本美月の「おもしろシーン」も好い。/ところで、4年前のウツボ(堤真一)の暗殺は、なぜ「中止」になったのだろう? その理由は説明されなかったが、物語の顛末をじっくり考えると、そこに「答え」があるのかな? ウツボって、実はいい奴?