「我々はどこから来て、どこへ行くのか」という問いに対する答えは既に出ている。我々は、生命現象に依存しない知性現象を作り上げたのち、我々の「遺産」の全てを、その「真の知性現象」に譲渡し、我々自身は穏やかな「自発的絶滅」を遂げる。これが、我々人類の「役割」であり、我々人類の物語の最も理想的な結末である。今以上の科学力だけがこの理想的結末を実現できる。故に、科学のみが「我々人類が取り組むに値する活動」即ち「生業」であり、それ以外の人間の活動は全て、単なる「家事」に過ぎない。
2025年9月23日火曜日
2025年9月20日土曜日
2025年9月18日木曜日
21世紀版の「生類憐みの令」か?
2025年9月14日日曜日
2025年9月13日土曜日
2025年9月12日金曜日
2025年9月9日火曜日
2025年9月7日日曜日
2025年9月6日土曜日
2025年9月4日木曜日
2025年8月30日土曜日
2025年8月29日金曜日
2025年8月26日火曜日
2025年8月23日土曜日
2025年8月17日日曜日
「しあわせな結婚」:メモ:ネルラの一目惚れ
今日、なんとなく「しあわせな結婚」の第一話を見返していて、今更気づいたことがある。ネルラは、最初から封筒のお金を回収するつもりで、幸太郎に紙袋を渡している。つまり、もう一度会って、幸太郎と言葉をかわすきっかけを作るため。なので、幸太郎がお金に気づいてメールを送信した時点で、ネルラは幸太郎の病室あたりにいた。うっかりしたら、幸太郎が一階から帰って来るよりも先に6階に戻って待ち伏せし、幸太郎がどの病室に入るかを確かめたのかもしれない。
幸太郎の、①「どうして6階にいたのか?」②「なぜ、病室(名前)が分かったのか?」という2つの質問に、ネルラは(よく聞くと)全然ちゃんと答えてない。質問①の真意は「幸太郎がネルラにメールをした時点で、既に6階にいたのはなぜか?」なのだが、ネルラは(おそらくわざと誤解して)光太郎の病室が6階だと分かった理由を説明している(6階から乗ってきたので、と)。幸太郎の質問②に対するネルラの答えが「嘘」なのは、〔幸太郎から名刺を受け取ったネルラが、その時初めて、目の前の男が、あのテレビで観る有名人の原田幸太郎だと気づいた〕という演技を、松たか子がしているから。
なので、この時点で幸太郎は、ネルラの方も自分に気がある、と(無意識のうちに)気付いた。だから、その後で、急に元気になったり、退院日をネルラにメールしたりしている。モテる男とはこういう男。女側が空とぼけていても、「この子、俺のことが好きなんだな」と一発で気付ける。だから、「誘って」も断られることがない。輒ち、モテる。
因みに、〔あの若い刑事は、当人は自覚がないのだろうけど、「再捜査」を口実に一目惚れした女につきまとっているだけ〕なのは、第4話を観たあと、夜寝ているときに気づいたよ。
(穴遠)
2025年8月11日月曜日
2025年8月8日金曜日
2025年8月4日月曜日
2025年8月2日土曜日
2025年8月1日金曜日
2025年7月30日水曜日
2025年7月29日火曜日
2025年7月27日日曜日
2025年7月26日土曜日
2025年7月15日火曜日
2025年7月14日月曜日
2025年7月12日土曜日
2025年7月11日金曜日
2025年7月10日木曜日
2025年7月9日水曜日
2025年7月8日火曜日
2025年7月3日木曜日
2025年7月1日火曜日
2025年6月28日土曜日
『LAMB/ラム』(吹替版):メモ
とは言え、なによりも、アイスランドの風景が素晴らしい。あの、(他の惑星のような)超殺伐とした風景があってこそ、この作品の荒唐無稽な設定が真実味を帯びる。あの場所なら本当にいそうだもの、羊男。
2025年6月22日日曜日
2025年6月21日土曜日
2025年6月14日土曜日
2025年5月29日木曜日
2025年5月28日水曜日
2025年5月26日月曜日
200年前から
"しかし、何よりも私が驚くとともに、全く理解に苦しんだことは、彼らがいろいろなニュースや政治問題に対して強い関心をもっていることであった。 絶えず社会一般の事柄について穿鑿し、国家の政治問題について意見を述べ、党派の主義・主張のどんな細かい点についてもまるで喧嘩でもしているかのように議論するということであった。 (中略) ...但しここの連中が、どんな小さな円もどんな大きな円もその円周は三百六十度だから、地球儀をひねくり廻す能力があれば、世界を操作し牛耳るくらい易々たるものだ、と思い込んでいるとすれば、また何をかいわんや、だ。しかし、どうやらこの性癖は、自分には関係もないし、また後天的にも先天的にも少しも自分には向いていない事柄であればあるほど首を突っこんで何だかんだと文句をつけたがるという、人間本来の性質に根ざした弱点から生じているように、私には思えるのである。"(第三篇:ラピュータ渡航記)
2025年5月25日日曜日
2025年5月24日土曜日
2025年5月17日土曜日
2025年5月14日水曜日
2025年5月12日月曜日
『ドリーム・シナリオ』:メモ
ニコラス・ケイジ主演の『ドリーム・シナリオ』を観た。2周した。
(注意:以下、ネタバレを含みますよ)
一周すれば分かるが、この作品は、「ジキルとハイド」の変奏。平安時代人向けに言えば「生霊」の出てくる話。或いは、特定の層にとってこれ以上分かりやすい喩えはない言い方をするなら、「暴走したスタンド能力」の話。
以上のどれにもピンとこない人に向けて、ごく一般的な言い方をするなら、自覚のない「怒りや恨み」が当人から彷徨い出て、他人の夢の中に入り込み、いろいろとヤラカス話。
面白いのは(そして一周目の観客をポカンとさせてしまうのは)、他人の夢に入り込む装置(NORIOだっけ?)が映画の終盤に登場するまでは、どこからどうみても、[「世界中」から謂れのない攻撃を受け、生活をめちゃくちゃにされる主人公(ポール)]の「悲劇」やら「苦しみ」やら「奮闘」やらを描いた、所謂、「SNS社会がもたらす恐怖」系の「社会派ドラマ」にしか見えないこと。その理由は、件の装置が登場するまでは、観客たちの多くが、「夢というものは夢を見ている当人の体験や思想や深層心理が作り出すものであり、それゆえ、その夢の登場人物は、たとえ、現実に存在する誰かに酷似していようと、夢を見ている当人の自作自演でしかない」(劇中のポールの主張でもある)という認識に立っているからだ。それがいきなり、「人間は他人の夢の中に入ることができることがわかった」という物語上の「設定」が登場し、「社会派ドラマ」のつもりで見ていた作品が、いきなり、SFファンタジーになってしまい、観客は「え!そっち?」と面食らう。でも、これもまあ、「どんでん返し」の一種かも。
【補記】
*一見、気弱で善良なポールが、心の内側に抱え込んでいる、当人も気づいていないらしい「不穏さ」や「邪悪さ」を暗示するカットが最初からいくつも挟まれている。
*ポールには、はっきりと不倫願望がある(例えば、数十年ぶりに二人きりで会った元カノにわざわざ、「妻の心配」を告げているのがソレ。「念の為に聞くけど、そのつもりがあるなら、どう?」的な)。
*最初は、悪夢で苦しんでいる他人の姿を「傍観」して「憂さ」を晴らすだけだったポールだが、現実世界で色々と怒りを爆発させるような体験(研究を盗まれた/本を出せない/妻が浮気している?/その一方で自分は不倫の絶好のチャンスを逃す、等々)をしたのをきっかけに、悪夢でもなんでもないただの夢の中に入り込んで、その夢の主の惨殺を始める。最後には自分自身も夢の中で惨殺する。
*ポールの「他人の夢に入り込む能力」が「発動」するのは、八つ当たりの対象にできる人間が見ている夢だけなので、自分の妻が見ている夢には侵入できなかった(エンディングでも分かるが、ポールは妻のことを本当に愛している)。
*娘の学校での事故後に、ポールが他人の夢に現れなくなったのは、①現実に女性教師に怪我をさせてしまったことと、②他人の夢に入り込む装置の実用化で「人間は他人の夢に入り込むことができる」ことが実証され、人々の夢に現れたポールの数々の残虐行為の責任は、本当に自分(ポール)にあると考えるようになったことで、③最早、被害者ぶって、他人の夢の中で「憂さ」を晴らすことができなくなったため(だろう)。
(2025/05/12 穴藤)