2018年6月12日火曜日

5-6:猿場取氏の死刑論


菓子を盛った青い鯖柄の器。主人の万袋氏に尋ねると、知り合いが生み出した「鯖九谷(さばくたに)」という焼き物だと云う。紹介状を持って、鯖九谷焼の生みの親を訪ねた。

猿場取主水(サルバトリモンド)氏が鯖九谷焼を完成させたのは、彼が死ぬ間際で、それゆえ猿場取氏自身の手による鯖九谷焼はわずか一点しかない。しかもその貴重な一点はずっと行方知れずだ。「おそらく、もう壊れてしまっているでしょう」と猿場取氏。現存する鯖九谷焼は全て、彼の死後、彼の弟子たちによって作られた。「生み出したのは私ですが、それを育て、世に広めたのは、私の12人の弟子たちなのです」

猿場取氏は30代で若死にした。磁器に対する彼の主張が、反発と危機感を招き、罪を捏造されて処刑されたのだ。部外者から見れば、冤罪ですらない茶番である。

「ですから、ここに来てからは、専ら死刑について研究しています。人間にとって死刑とは何なのかという研究ですね。焼き物はやっていません。EMMAには焼き物の醍醐味を再現できるほどの物理模擬装置が実装されてはいませんから。本物の焼き物を楽しむには、宇宙の物理環境を完全に再現するしかありませんが、それは、宇宙そのものを再現することを意味します。今の人類にそこまでの技術は、さすがにまだありません」

猿場取氏によると、死刑の本質は復讐ではなく〈排除〉だという。だから、「もしも或る人間を完全かつ永久に排除する方法が他にあるなら、死刑は不要になりますね」

猿場取氏の話はこうだ。

人間以外の生き物には〈死をもって償わせる〉という行動原理はない。殺されたから殺し返すという意味での復讐の観念がないのだ。ライオンに子供を食べられたバイソンが仇討ちを試みることはない。それは、バイソンにそれだけの殺傷能力がないからではなく、そもそも、生き物に〈死をもって償わせる〉という行動原理がないからだ。殺されたり殺したりすることが〈込み〉になっているのが生き物である。殺されないように抵抗はしても、一旦殺されてしまえば、それでその件は終わりだ。代わりに存在するのが、生きていく上で邪魔になる存在を〈排除〉しようとする行動原理だ。人間の〈死をもって償わせる〉の根底にある駆動力もこの〈排除〉であって、決して〈死の実現〉ではない。人間の「死刑」の根底にあるものも、実は[死をもたらした〈実績〉を持つ存在]の〈次〉を防ぐための〈事前の排除〉である。

2018年6月11日月曜日

5-5:万袋氏の殺人鬼論


桜木谷氏の紹介で、〈前世〉が殺人鬼の万袋貞堂(バンダイテイドウ)氏に会った。とてもそうは見えない。むしろ魅力的ですらある。
「自分で云うのもなんですが、人を惹き付けるナニカがなければ、人殺しにはなれても、殺人鬼にはなれません」
今は殺人鬼ではない?
「もちろん違います。私が殺人鬼だったのは、前世、つまり前駆体(生身の人間)のときです。しかし、今の私もその〈仕様〉すなわち身体データ的には殺人鬼のときと同じなんですよ。まあ、〈氏より育ち〉とはよく云ったもので、人の有り様は資質が全てではないのです。生物学的には典型的な殺人鬼の私も、環境ひとつで無害な一市民です」
生物学的に典型的な殺人鬼というのは?
「ご承知の通り、私たちAG(人工幽霊)は、或る個人の完全なデータ、つまり身体データと体験データ、すなわち〈ハイパーライフログ〉によって作られます。そのハイパーライフログを解析すると、私の身体データは、まさに典型的な殺人鬼なのです。私の〈仕様〉は殺人鬼に最適化されているということです」
なぜ、そんな〈仕様〉を引き継いだのですか?
「前駆体と完全に同じに保つのが人工人格技術のキモですから。ほんの少しでもデータを弄れば、そこから現れるAGはもはや私ではありません。私のケースで特筆すべきは、人間は、たとえ完全に同じ〈仕様〉であっても、やり方次第で全く別様の人間になれることを人工人格技術が初めて明らかにしたことでしょう」
今は何を?
「なんと殺人鬼の研究をしています。人はいかにして殺人鬼となるかという研究です。これもまた人工人格技術の有益な副産物です。私の前駆体は電気椅子の上でその生涯を終えました。その、凶悪な殺人鬼の一生を〈全う〉した私の前駆体と、AGとしての今の私は全くの同一人物です。で、ありながら、別の存在なのです。私は、殺人鬼の全生涯の体験を持っていながら、その罪業からは完全に自由です。〈現実に〉死刑に処されたことで法律的にも自由ですし、或る確かな理由から、殺人衝動それ自体からも完全に解放されています。そういう点から、私の殺人鬼研究は、よくある殺人鬼の〈告解〉に陥ることはなく、殺人鬼の有り様を詳細に暴き出し、その原理を一般化するものになると自負しています」
具体的な研究成果は?
「殺人鬼に不可欠な条件は分かっています。自身が生命現象であり、尚且つ、生命に対して過剰な価値や意味を見出していることです」

2018年6月10日日曜日

5-4:桜木谷氏の絶滅論


アッチ側からのヒモはずっとみんなの目の前にあった。しかし、それは細くて透明で、とても見えにくい。魚はこの見えにくさのせいで釣りあげられる。人間はこの見えにくさのせいで機会を逃し続ける。酔っ払った連中が、ヒモの実在や伝説や嘘や推測や冗談や、とにかく、愚にもつかない(英語で云えば、ridiculous)なことを披露しあっている後ろで、こっそりそのヒモを掴んだ。

「やあ、どうも」
と、柔らかい日差しの中で、桜木谷潮(さきやうしお)氏は云った。

桜木谷氏に拠ると、ヒモは、掴んだ瞬間に、掴んだ者をコッチからアッチ(いまやアッチからコッチだが)に〈引き上げる〉。その速さは秒速30万キロの亜光速である。「我々がそんな瞬間移動に耐えられるのは、ここが EMMAだからですよ」と桜木谷氏は微笑んだ。テッキリ、ヒモというものは自力で登るものだと思っていたと話すと、「なぜ?」と訊き返された。

蓮池のほとりで甘茶をご馳走になりながら、桜木谷氏の思想を拝聴した。しかし、そこに至るまでが大変だった。最初に「ちょっと聞くと恐ろしい、理解しがたいものなので、無理強いはしませんが」と云われた。そこで、せっかくの機会なのでゼヒとお願いした。すると「私の話を聞いて、分かったという人は多いのですが、まあ、実際には、たいてい、分かってません」と躊躇するので、分かったふりはしませんからと更に粘ったら、今度は「苦労して説明して、分かってもらえないのは、ただ疲れるだけです」と来た。じゃあ、仕方がないのでアキラメマスと答えたところで、「では、一丁やってみましょう」とようやく話が始まった。桜木谷氏は、悪人ではないが、かなり面倒くさい性格である。

桜木谷氏の思想の究極は「生命現象の自発的解体」であり、当座の目標としては「生命としての人類の自発的絶滅」である。そして、その実現のための手法は「決して無理をしない」というものだ。到達すべき目的地自体は苛烈を極めているが(少なくとも現に生き物である人間にとっては)、道中はデキウル限り穏やかでなければならない。そうでなければ、そもそも誰もそこにたどり着くことができず、それでは本末転倒だからである。それが桜木谷氏の説くところの全てだ。

「人間の本質が生命ではないことを理解しさえすれば、特に難しくも過激でもない話ですが、人間が現に生命であることがその理解を猛烈に妨げるのですね」と桜木谷氏は笑った。

2018年6月5日火曜日

5-3:屋上の超ひも理論


エレベータの老女は、トークン6枚全てを要求した。3階建のEMMAの4階に行くにはこのエレベータに乗るしかなく、このエレベータを操作できる(つまり資格が与えられている)のは、彼女ただ一人なのだ。「それにソレはここ以外に使う場所はないんだよ」。エレベータの老女は受け取ったメダル型トークンを二回数え直し、肩から下げたズタブクロの中へチャリンと落とすと、「上へ向かいます」と云った。

何のことはない。4階とは屋上のことだ。ただし見上げた空の向こうに地面が見える。地面の上には街があり、こっちの地面とあっちの地面の間をトンビが飛んでいる。
「伝説では、千年に一度、あっちの地面からヒモが降りてくるらしいけど、今日はもう昼を過ぎちゃったからね」
エレベータの老女は、エレベータの箱から首だけ出してそう云うと、ヒヒヒと笑った。

屋上では懇親会が開かれていた。給仕の盆から金色の液体の入ったグラスを一つ取って、端の方に立っていたら、こんな話が聞こえてきた。
「まったくのところ、人間は悉くヒモだよ」「そうとも。しかし相手は人間の女とは限らない」「アタシは酪農をやってる。だから、アタシは牛のヒモだな。よく乳を出す牛でね、ソイツのおかげで食えてる」「俺なんかマグロのヒモさ」「マグロってのは、アレのときの喩えじゃなくて?」「本物のサカナのマグロさ。俺は漁師だから、マグロに逃げられたらオシマイ」「それは確かにマグロのヒモだ」「考えてみれば、農民は、コメでもムギでもトウモロコシでも、農作物つまりは植物にそっぽを向かれたら終わりなんだから植物のヒモだね」「結局、人間全部とまでは云わなくても、少なくとも第一次産業従事者ってのは、所謂natureのヒモなのだよ」「ネーチャン?」「ネイチャーさ」「英語で自然のことだよ」「それくらい知ってる。しかし我々ヒモにとってネイチャーはすなわちネーチャンだろう?」「なるほど」「ウマイこと云うねえ」
「アンタはどう思う?」
突然、一人がこちらに話を振ってきた。
「ネイチャーがネーチャンという話ですか?」
「違うよ。人間はみんな自然のヒモだと思うかい?」
「そりゃそうでしょう。でも、自然のヒモというより、宇宙のヒモでしょう」
それぞれにグラスを持っていた一団は酒で赤くした顔を見合わせた。
「こりゃあ大きく出たね」「しかし確かにそうだ」「我々はみんな宇宙のヒモだ」「宇宙に見限られたらオシマイだものねえ」

2018年6月4日月曜日

5-2:湯賀美博士


EMMA3階の所長室で湯賀美博士が待っていた。その姿は、黎明期の8ビットビデオゲームに出てくるドット絵のようだ。博士が口を動かすとポヨポヨとふざけた音がどこからか聞こえてきて、博士の座る机の上の空間に「ようこそ いらっしゃい」の文字が浮かび出た。点滅する[▽]が文末に見える。グンペー式操作装置を取り出し、Aのボタンを押した。
「どうぞ おかけなさい」
と、博士が続きを〈喋った〉。

博士との面会は非常に有意義なものとなった。EMMAに関するいくつかの貴重な情報を手にすることができたからだ。故にそれは、面会よりは講義に近いものだった。博士に拠れば、EMMAに於いてまず何よりも重要なのが「人工人格」の定義と概念である。

*人工人格(AC:Artificial Character)=人間の意識現象全般を機械によって再現し、ゼロから作られた新しい人格のこと。後に述べる「人工幽霊」に対して「人工幽零」(最後の〈霊〉の字が〈零=ゼロ〉に置き換わっている)と呼ばれることもある。人工人格技術の基盤を作り上げたのは、他でもない湯賀美博士である。

そして人間にとっては、或る意味、より重要な「人工幽霊」の定義と概念。なぜなら、それは、人類の長年の夢の実現そのものだからである。

*人工幽霊(AG:Artificial Ghost)=ACの一種だが、こちらは、もともと生身の人間として存在した人格を再現したものを指す。生前に蓄積された膨大な人生体験情報と身体情報の精密な数値を取り込んで作られる。今の湯賀美博士自身が、ごく初期型の人工幽霊である。因みに、博士が洗練された最新型にバージョンアップせず、ごく初期型のままでいる理由のひとつは、博士の人工幽霊が、やや緻密さに欠ける人格情報によって作り上げられた「プロトタイプ」であるため、謂わば、その「解像度」の低さ故に、最新型への移植/変換が困難なためなのだが、実はもう一つの理由があって、それは、8ビットビデオゲーム的なこの初期型の姿こそが、既に人工幽霊としての博士のアイデンティティになっているからだ。ちょうど、嘗て、宇宙物理学者のホーキング博士が生涯にわたって人工音声の古いバージョンを使い続けたのと同じ理由である。

話が終わって立ち上がると、ポケットの中でチャリンと音がした。取りだしてみると6枚のメダル=トークンである。
「さきだつものがいるでしょう」
博士が〈云った〉。

2018年6月3日日曜日

5-1:撥ねられ続ける


「一階に、画面を直に触って動かすタッチパネルのキカイが5台ある。空いているキカイのところに行って、キカイに条件を入れる。キカイが条件にあったモノを一覧表で出してくるから、その中の適当なのに触ってナカミを見る。ナカミを見て、まあ大丈夫と思ったら、印刷する。紙は、キカイの上のプリンターから出てくるから、それを持って帰る。あと、そう。窓口に行って、出席カードにハンコももらう。その時に、次回の日取りを云われるので、忘れずに、次も行くようにする。そうすれば、しばらくの間は、月に一回どこからかカネが振り込まれるという、アリガタイようなブキミなような仕組み」
ハンチング帽を被った、顔の皮膚が野球のグローブみたいな、ニヤニヤ笑いのオッサンが、一緒に長い横断歩道を渡りながらそう云って話しかけてくるのを無視して先を急ぐ。
「メンドウだけど、ちょっと変わったアルバイトだと思えば…」
そこでドンと音がして、見ると、オッサンは空中を飛んでいた。信号無視で突っ込んできたSUVに撥ねられたのだ。空中のオッサンの顔はニヤニヤ笑いのままだった気がする。この分だと、アスファルトに落ちたあとの顔もニヤニヤ笑いのままだったろう。撥ねたSUVはそのまま走り去り、周りからわーっと人が集まってきた。遅れそうだったので、その後のことは知らない。

次の週も同じことがあった。同じハンチング帽の、顔の皮膚が野球のグローブようなオッサンが、同じ横断歩道のところで話しかけてきて、今度は赤いコルベットに撥ねられて飛んだ。そして、その次の週も、また次の週も。撥ねられているのはいつも同じオッサンだが、オッサンの話す内容は常に「前回の続き」で、オッサンを跳ねる車の車種は毎回違った。

「毎週の交通事故騒ぎ」を尻目に「EMMA」の建物に入る。一階のロビーには(実際はほぼ全員別人なのだろうが雰囲気からすると)いつもと同じ連中が、そぞろ歩いたり、キカイを操作したり、あるいはただ座ったりしている。「カード」を提出して、椅子に座ってしばらく待つと、窓口の一つに呼ばれた。窓口で待ち構えていたEMMA職員が云った。
「人間の脳に取り憑く神概念は或る種の脳梗塞だ。それが悪性でも良性でも、間違いなく脳の機能にナンラカの制限を与えている。脳の機能は全体の流れで決まるからな。故に梗塞は、何であれ取り除かれるべきだ。違うかね?」
全く同感です。
カードにハンコが押される。

2018年6月2日土曜日

ありふれたカエル


つらい季節を耐え忍び、最初の雨に喜び勇んで飛び出した。
ありふれたカエル。
ケロンと一声鳴いた次の瞬間、デッカいタイヤが轢き潰す。
今はもう、アスファルトの上のアオいシミ。
「止まれ」の「ま」の字のマルの中。


無限の周回数


死はリタイアだ。ゴールじゃない。
充分に満喫した果ての死であっても、
誰よりも長く生きた末の死であっても、
栄光のチェッカーが振られることは決してない。
無限の周回数を走り続けるレースを誰も完走など出来ない。

高いところに頭を乗っけた僕ら


高いところに頭を乗っけた僕ら。
思い切りツマズけば、きっとヒドイ目に会う。
後ろ向きにタオれたら、ときどきは死ぬ。
それでも僕らは高いところに頭を乗っけてる。
重たいそれをユラユラさせて、僕らの道を歩いてる。