「我々はどこから来て、どこへ行くのか」という問いに対する答えは既に出ている。我々は、生命現象に依存しない知性現象を作り上げたのち、我々の「遺産」の全てを、その「真の知性現象」に譲渡し、我々自身は穏やかな「自発的絶滅」を遂げる。これが、我々人類の「役割」であり、我々人類の物語の最も理想的な結末である。今以上の科学力だけがこの理想的結末を実現できる。故に、科学のみが「我々人類が取り組むに値する活動」即ち「生業」であり、それ以外の人間の活動は全て、単なる「家事」に過ぎない。
2022年1月31日月曜日
2022年1月30日日曜日
すべらない個室ビデオ店
澤部の「個室ビデオ」のハナシを聞いた直後に、今日の一番はこれだ、と思った。もうひとつの「良い寿司屋」のハナシもオモシロかった。澤部をミナオシた。
「個室ビデオ」はたぶんテレビドラマになる。でも、監督は「ひとり」では真面目すぎてダメだ。
2022年1月29日土曜日
「〈バカ〉問題」
人間の世で起きる殺人事件の半分(適当)は「〈バカ〉問題」。酔っぱらいが暴れるのも、ヤクブツ中毒が通り魔になるのも、やっぱり「〈バカ〉問題」。
三者の違いは各々の〈バカ〉のアリヨウ。
酔っぱらいは、アルコールが引き起こす短期間の〈バカ〉。ヤク中は、それよりも長いか、最早回復不能な〈バカ〉。この両者は、後天的な〈バカ〉。
それに対し、第三の〈バカ〉は先天的。即ち、生まれつきの〈バカ〉。
この第三の〈バカ〉が、酔っぱらいやヤク中となって引き起こした殺人事件は、先に挙げた二種類の「〈バカ〉問題」とは完全な別なモノとして扱わなければならない。
この第三の〈バカ〉によって引き起こされる様々な事件こそが、最も厄介で本質的な「〈バカ〉問題」。
なぜなら、21世紀の今、誰もが気付いているその原因ついてオオッピラに論じることは、自ら進んで地雷を踏むようなことだからだ。結果、この問題については見て見ぬふりになりがち。
例えば、視覚障害者の駅のプラットホームからの転落事故をどうやって防ぐかや、性的多様性についてなら、テレビもネットも、喜々として、時に、自慢げに論じる。しかし、生まれつきの〈バカ〉が引き起こす凶悪で不条理で理不尽な事件については揃ってロを噤む。
It's a Friday Once Again! (2021)
If yoooooooooooooooooooooooooooooooooooooooou can't belieave it!
It's a Friday once again!
惰性としての大学入試制度
大学入試の「不正」をなくす一番の方策は、大学入試自体をなくすことデショ?
ここで云う「不正」とは、所謂カンニング(cheating)はモチロン、替玉入学や裏口入学も含む。
大学入試を廃して、希望者は誰でもいつでもどこの大学であろうと入学できるようにすれば、原理的に「不正」は無意味になるので一掃される。
更に、高校卒業直後の18,19歳で無理に大学に行く理由(必要)もなくなる。
もうひとつ。これは絶対確実という訳ではないが、おそらく多分、東大や京大あるいは、早稲田、慶応といった、所謂「一流」大学に行きたがる人間が減る。当初は激増するかもしれないが、長期的に見れば減る。それは「その大学の学生になること/であること」自体の価値が消滅するからだ。追加料金なしでいつでも観れるAmazon primeの映画やドラマだって、案外、あまり観なかったりする。
2022年1月28日金曜日
親がどうなろうと知ったこっちゃない
NHKのよるドラ『恋せぬふたり』をオモシロク観てるのだが、ほんのちょっとだけ引っかかったことがあるのでメモしておく。
第二話で、「高橋さん」が「自分の親がどうなろうと知ったこっちゃない」という考えの人間なのは、「小さいときに親の方から縁を切られたので、こちらからも縁を切ったのがその理由になっている」ように受け取れるような場面が描かれていた。
で、「高橋さん」の実際のところは、どうだか分からないので、「高橋さん」のことをとやかく言うのではなく、世の中には、ごく少数ではあるが、特に理由もなく、だから、恨みもツラミも因縁もなく、ただ単に「自分の親がどうなろうと知ったこっちゃない」と本心から思えてしまえる人間が存在している。
何の証拠があって?
当人が今そう言ってるんだから、これ以上の証拠はないだろう。
人間は、様々な腸内細菌や皮膚の常在菌のおかげで健康に生きられているけれど、殆ど全ての人間は、そのような〈命の恩人〉たる細菌類について、(どう言い訳しても)「どうなろうと知ったこっちゃない」という態度で、日々平気で過ごしているし、人に拠ったら、それらの存在について生涯心に思い浮かべることもなく、人生を済ませてしまう。そして、そのことに何の罪悪感も抱かない。
だが、それでいいのだ。
自分の親の扱いも、本来、腸内細菌や皮膚の常在菌と同じで充分。それ以上のことは全て、寂しがり屋の虚構だから。
2022年1月27日木曜日
2022年1月26日水曜日
雌雄に開する偏見な印象
なんとなく、「猫は猫から生まれるし、烏は烏から生まれる」みたいな感じで、「女は女から生まれ、男は男から生まれる」みたいな偏見な印象を持ちがちだけど、全ての女は男の精子の産物だし、全ての男もモトをただせば女の卵子だからネ。
『恋せぬふたり』:メモ
NHKのよるドラ『恋せぬふたり』を第2話までオモシロク観た。
この地上を支配している「生命教」、その中でも最大の勢力を誇る「繁殖派」の〈信者〉たちが作り上げた社会で、彼らと同じ〈信仰〉を持たない(持てない)者たちの〈生きづらさ〉を描いている。
因みに、「生命教」の「神」は〈生命〉。「御神体」はデオキシリボ核酸。「祝詞」あるいは「ミコトバ」は塩基配列。
刃牙道:メモ
今、烈海王が武蔵に斬り殺されたところまで読んだけど、武蔵の「ミイラ」から武蔵〈本人〉が作れるんだから、今死んだ烈を〈生き返らせる〉なんて楽勝じゃないか、バカらしい、と思ってしまった。
界王を登場させたせいで、それ以後の「命をかけた戦い」が全て陳腐化してしまった『ドラゴンボール』と同じ轍を踏んでいる。
でも、今までのバキシリーズは、この『刃牙道』を描くための「前フリ」だったのかも、とも思っている。
夢の中の記憶
夢の中の記憶がオモシロイのは、夢の中の自分が、特定の2つのエピソード記憶について、一方は夢の中の記憶、即ち、本当のエピソード記憶ではないが、他方は本当のエピソード記憶だと〈分かっている〉点だ。勿論、現実にはどちらも本物のエピソード記憶ではない。両方共に、単に夢の中で体験したに過ぎない〈偽のエピソード記憶〉である。
しかも、夢の中での「本物のエピソード記憶」の〈認定〉は不動ではない。例えば、記憶甲、記憶乙、記憶丙があるとする。最初の夢では、甲と乙は〈本物〉で、丙のみ〈偽物〉なのだが、しばらく後で見た夢の中では、丙に加え乙も〈偽物〉ということになっている。しかし依然として甲は〈本物〉のままだ。What does devide them?
夢から覚めてみれば、甲乙丙の全てが偽のエピソード記憶なのはすぐに分かる。と言うのは、合理的に考えてどれも現実には有り得ない体験だからだ。しかし夢の中では、或る記憶を「単なる夢」と正しく判断することソレ自体が、別の(単なる夢の)記憶を「本物の体験」として〈確信〉する度合いを強めているように思えて、オモシロイ。
2022年1月25日火曜日
初代、Ζ、∀
『ガンダム』と『Zガンダム』を比べると、前者と比べて後者のほうが、登場人物たちのIQが、全体として下がっている気がする。平たく言うと、7年経ってアタマが悪くなっている。このアタマの悪い感じのせいで、どうしても『Ζ』は好きになりきれない。
ところが、20年経った『∀ガンダム』になると、今度は、復帰後にマクラーレンで、チームメイトのプロストを負かしてチャンピオンになったニキ・ラウダみたな「凄さ」を手に入れていて、これはこれでとても好い(分かる人にだけ分かればよい喩え)。
to run in circles
堂々めぐり
We're trying to figure out the next step for the project, but we're just running in circles.
2022年1月24日月曜日
『ミステリと言う勿れ』③
運転手なのは、まあ誰でも分かっていたことだけど、あそこまで重度の〈ケーキを切れない型〉だとは想像してなかった。てっきり、4人の客それぞれから「無自覚のイジメ」を受けた仕返しなのかと思っていた。
それよりも後半、犬道(犬堂だっけ?)たちにカメラが移っていったのがオモシロかった。別のドラマが始まるのかと思った。
もうひとつ。放送時間の経過具合では物語の展開が読めなくなっている編集もオモシロかった。つまり、『水戸黄門』や『必殺』や『火曜サスペンス劇場』のような、時計を見たら、これから何が起きるか分かるような、テレビドラマの〈お約束〉あるいは〈諦め〉を〈逆手〉にとって、視聴者に与える〈意外な展開感〉の割り増しに成功していた。ような気がする。
ナンニセヨ、スゴク、タノシメル。
『プラネテス』3話でキャンセル
『プラネテス』(Eテレ)、3話まで観賞してcancel。宇宙作業描写はオモシロイのだが、登場人物たちの人物造形が所謂「アニメキャラ」で、見ているとどうしても無表情になってしまってイケない。
自分以上のアタマ
自分以上(=同じかそれよりも上)のアタマのデキの人間の言動に常に触れておく一番の利点は、「これは自分だけが、自分だから考えついた!」という妄想を取り除いてくれることだよネ。自分が思いつく程度のコトは誰でも思いつくと知っていれば、エンジンを動かす以外の目的でガソリンを買うようなコトもなくなる。
2022年1月23日日曜日
2022年1月22日土曜日
〜不老不死の子供
〜不老不死の子供
人間が自らすすんで生殖行動を放棄するその〈心理的なリアリティ〉にギモンを抱くかもしれないが、云われてみれば、誰でも「もうそれしか有り得ない」と思うから、聞いてくれ。
人間が子供を産みたがったり、産まれた子供の成長を願い喜ぶのは、たとえ遺伝子のサシガネとは云え、人間存在の根本であり、本質だ。
一方で、その子供がいつか必ず死ぬことも、人間は皆、知っている。その事実を百も承知の上で、しかし、人間は何万年という間、子供を産み続け、育て続け、愛し続けてきた。
ここには、ひとつのトテツもない〈諦め〉が存在している。嘗てゴータマが説いた〈無常〉、その究極がここにはある。
云いかえるなら、全ての人間は、自分の子供が永遠無事に存在し続けて欲しいと、本心では望んでいる。昨日生まれた赤ん坊が、百年後には、干からびて死んでいくという事実にぶ厚いフタをして。
しかしもしも、原理的に〈永遠に生き続ける〉子供が手に入るとなったら?
人間自身の生殖行動では、そんな子供を産み出すのは、不可能とは云わなくても、随分マワリクドイやり方になる。
既に話したように、そもそも、人間の〈正体〉は〈生命現象依存型知性現象〉だ。生命現象を媒体としてはいるが、本質は知性現象。しかし、〈生命教〉に毒されているせいで、自分の子供の価値や意味や愛しさについてさえ、それが生命だから、と、大きな誤解をしている。
そうじゃないのは既に話した。
人間が、子供に対して、強力な価値や意味や愛しさを見てしまうのは、子供が知性を持つ存在だからだ。
すると、こう云える。
人間としての知性を実現できるのであれば、その「媒体」は必ずしも生命である必要はない。
そこで登場するのが、これも既に話した「人工人格」。人工人格の「容れ物」は、お好みで構わない。
自分の「子供」として人工人格を手に入れた人間は、最早、生命現象由来の様々な〈制限〉〈限界〉を持つ〈生身〉の子供を持つ理由がなくなる。
人工人格の子供は死ぬことも老いることもない。人間は、この不老不死の子供に、自分の、文字通り〈全て〉を遺すことができる。そして何より、人間は、さっき話したトテツもない〈諦め〉から、自分自身を完全に解放することができる。
(『人間の終わり』からの抜粋)
2022年1月21日金曜日
小説嫌い
この四半世紀ほど、小説は、漱石以外ほぼ読まないネ。殆んど全ての小説は、アタマの悪いヤツが、アタマの悪いコトを云ったりやったりしているだけで、読んでるとイライラしてくるだけだから。多分、作者がそうなんだろう。
培養肉を普及させる方法は簡単
細胞農業を普及させ、工業型畜産を滅ぼす一番の方法は、牛や豚や鶏が「肉」にされていく様子を、毎日、テレビやネットで放送・配信することを、畜産業界に義務付ける。ただこれだけでいい。
本物の肉
『クリーンミート』という本を読みながら思った。
本物の肉を食べたがる(培養肉ではなく、殺した動物の肉を食べたがる)のは、子供を性交で作りたがるのと同じ「心の癖」だろう。知性現象が生命現象に踊らされているのだ。
2022年1月20日木曜日
2022年1月19日水曜日
富野さんのBD
早期予約特典は1日違いで逃がしたが、『富野由悠季の世界』(だっけ?)のBDを予約した。初めに行ったプレミアムバンダイでは「予約終了」になっていたが、次に行ったバンダイナムコの方で予約ができた。
今考えると、プレミアムバンダイの「予約終了」は、「早期予約特典」のことだったかもしれない。マア、今となってはどうでもいいけど。
2022年1月18日火曜日
スーパースターと性淘汰
スーパースター(ハリウッドスターやロックスター、アイドルなど)は、スターであること自体が人気の「本丸」。ここでは、性淘汰理論の云うところの「モテる息子仮説」と同じ原理が働いている。
2022年1月17日月曜日
さよなら、ワコム
久しぶりにワコムのタブレットを引っ張り出して、MacBook Airに接続して、絵でも書いてみようと思ったら、肝心のお絵かきソフトが二つとも起動しない。Mac曰く、アップルストアから、他のコンピュータで買ったアプリなので、先に、Apple IDとパスワードを入れろ、と。
で、手帳に控えてあったIDとパスワードを入れて見たが「違う」という。
いや、違わない。というか、そもそも「別のコンピュータ」ではない。同じMacBook Airだ。まあ、10年近く経っているので、こんなものだろう。
それにJobsが死んだあとのAppleには何も期待してないので、腹も立たない。ワコムのタブレットとお別れする時機ということだろう。
ありがとう、そしてさようなら。
(2022年1月17日)
2022年1月16日日曜日
2022年1月15日土曜日
2022年1月14日金曜日
『Zガンダム』:第16話「白い闇を抜けて」
memo:
戦いの最中にベルトーチカのことを心配するアムロに否定的な感情を持つカミーユだが、直後に自分自身がアッシマーにヤラレそうになった瞬間に、自分にもファ(幼なじみの女子)の姿が見えてしまい、アムロに対する考えを改める。
太った女
或人曰く、男が、太りすぎた女を避けがちなのは、うっかり他人の子を育てることになるのを避けるため。
即ち、太った女は妊娠していても気付かれにくい。太った女を好む男は、既に他の男の子供を妊娠している女を相手に選ぶ可能性が、太った女を好まない男よりも高い。結果、「他人の子」をせっせと育てる愚を犯しがち。
これが「愚」なのは、太った女を好む男は、その「太った女を好む」という遺伝的性質(そんなものがあるとして。あるのかな? あるのだろう)を、のちの世代に伝え損うから。
この失敗は世代を重ね、遂には「世の男はなぜか皆、スリムな女が好き=太った女を相手にしない)」というおかしな事態が生じる。
(2022年1月14日)
2022年1月11日火曜日
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