2022年11月12日土曜日

ティム・バートン版『バットマン』:メモ

バットマンもジョーカーも、実は、無目的。どちらも、一応、事前に計画ふうなものを立てるが、現場に来ると案外行きあたりばったりで、めちゃくちゃ。けなしてるのではない。だから好いのだ。

この逆が、のちに作られたクリストファー・ノーラン版の「バットマン」というか「ダークナイト・シリーズ」。硬派な感じで、最初は嬉しいが、少し経つと、ただの犯罪映画crime movieだと気付く。そして、冷める。結局、大真面目な犯罪映画の中で、無理なコスプレをした探偵が、無理なコスプレをした犯罪者と取っ組み合っているわけで、観ている方が妙に恥ずかしくなってくる。

ノーラン版の悪口はほどほどにして、本題。

ティム・バートン版の『バットマン』は、自分でもなんでこんなことをしているのかがわからない。けど、やめられない変人たちのドタバタが本質。だから、主人公が変な格好をしていても、観客は全然恥ずかしくない。だって、そもそも、そういう変なことをやめられない人たちのことを描いている作品だから。彼らが、「正義の味方」だったり、「犯罪者」だったりするのは、たまたまそうなだけで、当人たちにとっては、単なる「周りの勝手な評価」。まあ、オタクのさがを描いた寓話。

というふうなことを昔どこかで書いた気がする。そのときは、バットマン(というかブルース・ウェイン)やジョーカーを表す適当な言葉が「オタク」くらいしか思いつかなかったけれど、今はそれよりもピッタリのものがある。YouTuber。あの人達はなんであんなことをしてるんだろう、と思う。けど、まあ、熱心にやってる。身を削ってやってる。カネとか再生数が目的という人もいるだろうけど、そんなのはオマケで、ただただ熱心にやってる人たちがいる。要するにバットマンやジョーカー。

バットマンやジョーカーの本質はYouTuber。そう思う。観ていて、おかしみの中にペーソス哀愁を感じるのもそっくり。何が悲しくて…と思う。


【おまけ】
教会での最終決戦。
「Ever dance with the devil in the pale moonlight?」
と、バットマンがジョーカーに尋ねる。この質問は、ジョーカーがまだジャックだった頃から、誰かを殺す時に使っていた決め台詞。つまり、ジョーカー(ジャック)本人と彼の仲間以外で、この決め台詞を聞いた人間はみんな死んでいる。ただし、例外が二人(というか一人)いる。子供の時のブルースと、ヴィッキーのアパートでジョーカーに撃たれたブルースだ。

若きジャックは、前夜自分が撃ち殺した子連れ夫婦がトーマス・ウェインとマーサ・ウェインだと新聞で知ったはずだし、彼が見逃したのが、その子どものブルース・ウェインだということも新聞で知ったはず。そして、ジャックの成れの果てのジョーカーは、ヴィッキーのアパートで弾を撃ち込んだはずのブルース・ウェインの死亡報道(新聞・テレビ・ラジオ)がないので、ブルース・ウェインが死ななかったことを知っていたはず。

長々と書いたが、要するに、ジョーカーは、自分以外で「月夜に悪魔と踊ったことはあるか?」の決め台詞を知っているのは、ブルース・ウェイン以外にない、と教会のてっぺんでバットマンにぶん殴られながら思ったはず。つまり、あの瞬間、バットマンの「中身」がブルース・ウェインだと気づいたのだ。

で、次のやり取り。

バットマン「You killed my parents. I made you, but you made me first」
ジョーカー「I was just a kid. I say you made me, you say I made you. How childish can you get?」

だからこれは、ブルースとジャックの会話

というわけで、バットマンの正体を知ってしまったジョーカーは、どうしても、この物語の最後に死ななければならなくなった。