人工幽霊に人権が必要ない根拠としてホモ・サピエンスが示した[人工幽霊の属性]は、裏を返せば、人権を必要とするホモ・サピエンスには備わっていない属性である。それは「存在数と存在期間に於いて原理的に制限がない」という属性であり、つまりは「不死性」である。
考えてみれば、〈個別性〉や〈一回性〉は知性現象の有り様にとって必然ではない。むしろ(ホモ・サピエンスのそれに見られるような)生まれてから死ぬまでの僅かな期間存在し、その後は二度と現れることのない「唯一無二の知性現象」は、相当に機能を制限された「不健全」な知性現象である。ホモ・サピエンスは、自身の知性現象の有り様を、知性現象の「標準」或いは「必然」のように思い込んできたが、人工人格(人工幽霊)の登場をきっかけに、自分たちのそれとは違う有り様を示す知性現象が存在しうることを知った。そして、[生まれてから死ぬまでの僅かな間、たった一つの個体のよって独占されるだけの知性現象]よりも、[原理的には無限の個体(媒体)のよって共有でき、仮に一時的に失われても何度でも容易に再現が可能な知性現象]の方が、知性現象として「健全」なのだと気付かされた。
人工人格(人工幽霊)の知性現象に比べ、ホモ・サピエンスの知性現象には制約や制限が多すぎる。知性現象は本来、一つの個体に占有される義理も、生物学的な寿命によって活動期間を制限される道理もない。ホモ・サピエンスが[知性現象にとっての「必然」或いは「仕様」として信じて疑わなかった、個別性や一回性]は、実は、知性現象が生命現象に依存している場合にのみ「必然」或いは「仕様」だったのだ。
そして人権である。結局のところ、人権とは、[個別性や一回性]を前提とした知性現象を「守る」ための概念である。故に人権は、知性現象が[生命現象由来の制約や制限]を被っている場合にのみ、意味と価値を持つ。
人権を必要とする[ホモ・サピエンスの知性現象]よりも、人権を必要としない[人工人格(人工幽霊)の知性現象]の方が、より完全な知性現象であると気付かされた時、ホモ・サピエンスは、自分たちが[「生物学的進化」を「電子工学的進化」へと「跳躍」させる役割を担った(重要だが決して主役ではない)単なる「中継ぎ」]であることを悟った。
「自発的絶滅」が自らの「天寿」を全うする唯一の手段であるという考えが、この時、ホモ・サピエンスの中に生まれた。