2026年8月2日日曜日

(11)不老不死と子ども

烏滸がましすぎる「ホモ・サピエンス(賢い人)」という呼称には、いくつかの「奥ゆかしい」別称や略称が存在する。「ホピエンス」「モサピ」そして「ホモ・サップ」などがそうだ。字数節約のために、ここからはそのうちの一つ「モサピ」を使うことにしよう。


さて、モサピの究極の夢は「生命現象依存からの脱却」である。使い古された言い方では「不老不死」と言う。しかし「脳の置換問題」(別名「別人問題」)のせいで「人格の不老不死」は遂に実現できなかった。モサピが実現できたのは、モサピにとっては「無意味」な「身体の不老不死」だけである(社殿を新しくする度に神様が変わってしまうのであれば、式年遷宮などやる意味がない)。


しかし、次のように考える者たちが現れた。元の人格と同じ記憶を持ち、同じ姿形をしたモサピは、たとえ「中身」が「別人」でも、生物学的(遺伝子的)には同じモサピなのだから、元の人格のモサピが持っていた権利は全て継承されるべきである。この考え方(或いは主張)は、政治家や企業家や資産家などの所謂「有力者」にとって実に都合が良かったので、ほどなく法的根拠が与えられた。


そしてこれがモサピ史の一つの大きな曲がり角となった。人格こそがモサピの本質であると既に充分理解していたモサピが、単なる「媒体」に過ぎない身体をモサピの本質と見做すことにした、ということは、モサピが、史上初めて、「生命現象依存からの脱却」という究極の目標に対して自覚的に背いたことを意味するからだ。実際、これ以降のモサピは、その本能とさえ言える「真実の探求」からも身を引いてしまい(人工人格がそのあとを継いだ)、単なる「地球一賢いサル」として「余生を送る」ようになった。


ともあれ、「不老不死」が(仮想的に)実現させたことで、モサピは、また一つ、真理を得た。輒ち、「不老不死」と「子ども」は併存できない。半永久的な持ち時間を手に入れたモサピは、新しく生まれてくるモサピのために自ら進んで「席を空ける」ことはない、ということだ。モサピは史上初めて、実用的な意味で、子どもを必要としなくなった。また、単なる「娯楽」としても、出産や子育てはcostが高すぎた。結果、出生率は壊滅的に低下したが、それで社会が機能不全に陥ることはなかった。むしろ、「乳幼児」や「思春期」などの「不安定要素」が社会から取り除かれたことで、社会の「運営cost」は大幅に下がった。