夜の10時半。新聞の集金で夜の10時半はフツウの時間帯だ。いや、だいたい、新聞の集金にフツウでない時間帯はない。別のある客は朝の6時に取りに来いと云う。嫌がらせではなく、仕事の都合でその時間しか会うことが出来ないからだ。通勤に2時間かかるから、朝の6時がちょうどいい。5時半だと起きたばかり、6時半ではギリギリすぎてバタバタする。と、その、別のある客は云う。
だから、夜の10時半がいちばん捕まえやすければ、その時間に行く。相手もイヤな顔はしない。その日もそうした。インターホンを押したが返事はなかった。ドア越しにテレビの音が微かに聞こえる。名前を呼んでドアをコツコツ叩いてみたがやはり無反応。ドアの上の電気メーターはグルグルまわっている。
アパートの共用廊下を戻って、薄い鉄板の階段に腰を下ろす。いつも持ち歩いてる電子辞書を取り出し、手書き認識機能を使って「ち」と入力した。「ち」である理由はない。本当は「ら」と書いたのだが機械がそれを「ち」と認識しただけだからだ。一番最初に「千」があった。読むと「百の10倍」と書いてある。「地」というのもある。「天に覆われた土地」という説明。「血」の説明に至っては「血液」だ。
辞書を引く度に思う。辞書はあらかじめ多くの言葉を知っている人間のためのものだ。
「知恵熱」は生後半年を過ぎた頃の赤ん坊に見られる原因不明の発熱で、十人並みのヤツが考えすぎて頭がぼうっとなることではないらしい。知恵は関係ないのだ。「力紙」は全く用途の異なる三種類の紙が同じ名前で呼ばれている。それは、力士が土俵に上がる前に体を清める化粧紙であり、力が強くなるように口で噛んでから仁王像に投げつけるマジナイの紙であり、何かを綴じるときに貼る補強用の紙だ。
辞書を読めば読むほど言葉の意味は分からなくなる。
「竹夫人」は暑い夏の夜に抱いたり足を乗せたりして涼しさを得る竹で出来た細長い籠で、つまり抱き枕の一種。俺は、首から下が竹の籠で出来た女を想像した。先が二股に割れた舌をピロピロ出して、にんやりと笑う。
11時になった。
部屋の前に戻ってインターホンを押すと今度は返事があった。今はモチアワセがないので明日の今頃来てくれと云われた。
明日の夜11時ですね?
そう。
わかりました。
で、今がその明日の夜11時。昨日と同じ。返事がない。電気メーターも止まっている。「すっぽかす」の意味は調べないでも知っている。