「我々はどこから来て、どこへ行くのか」という問いに対する答えは既に出ている。我々は、生命現象に依存しない知性現象を作り上げたのち、我々の「遺産」の全てを、その「真の知性現象」に譲渡し、我々自身は穏やかな「自発的絶滅」を遂げる。これが、我々人類の「役割」であり、我々人類の物語の最も理想的な結末である。今以上の科学力だけがこの理想的結末を実現できる。故に、科学のみが「我々人類が取り組むに値する活動」即ち「生業」であり、それ以外の人間の活動は全て、単なる「家事」に過ぎない。
2018年10月31日水曜日
現の虚 2014-1-6【大大蚊】
約束をすっぽかされた次の日の夜の11時、客はフツウにドアを開け、フツウに一万円札を出し、フツウに領収書とおつりを受け取ると、疲れた様子ながら、フツウに、ハイゴクロウサマと云ってドアを閉めた。前日の約束をすっぽかしたことについて客が一切触れなかったのは、約束をすっぽかして悪かったという自覚がないのか、それとも、そもそも約束は最初から今日の11時で、つまり、もしそうなら、約束はそもそもすっぽかされてなどいなかったかのドチラかだ。
どう思う?
知らんね。
昨日カメムシが駆除された自販機の前に、今日は人が乗れそうな大蚊(ガガンボ)、大大蚊(ダイガガンボ)が浮かんでいた。大大蚊は、そして更に、顔が人間の女だった。しかも老婆ではなく若い美人。
顔だけが人間の女の大大蚊が、羽音もたてずに空中に浮かび、自販機の光に魅入っている。虫は光に否応なく惹き付けられる。それは本能で自分の意志ではどうすることも出来ない。大大蚊の女の顔が自販機の光を見つめるその表情は、ただひたすらに光の虜だ。
イヤ、それとも、単に、自販機で何を買うか決めかねているだけなのか?
昨日と同じようにリードの端を渡された俺は、そのリードに繋がれた猫と並んで、猫の飼い主であるテンガロンハットの男が、美人面大大蚊にスプレー缶の中身を吹き付けるを眺めた。
記憶は体験さ。そして体験は主観でしかない。
猫はスプレーされて消えていく美人面大大蚊を見ながら俺に云った。
過去のある時点に於ける異なる記憶は、それに連なる未来での一方の正当性を担保するわけじゃない。体験としての記憶はその都度ごとの体験でしかないからね。今思い出し振り返る過去のある時点に於ける記憶は、その過去を、ではなく、今その時の振り返りについての正当性だけを担保するのさ。
猫語訛りが強すぎて云ってることが分からない。
テンガロンハットの男は、大大蚊が消えた自販機の前の地面から何かをつまみ上げ小瓶に入れ、猫がニャアと声をかけると、振り返って親指を突き上げた。
その瞬間、自販機が、テンガロンハットの男を食べてしまった。アッと思う間もなく、自販機はカエルみたいにピョーンと跳ねて俺たちの所に来ると、毛を逆立てて盛んに威嚇していた猫もパクリと食べてしまった。
俺は、自販機の、おしるこの缶の目玉で散々ギロギロと睨まれはしたが、結局何もされなかった。自販機は、カエルのようにぴょんぴょんと跳ねて夜の闇に消えた。