2026年8月17日月曜日

『Tシャツが乾くまで』第6話までの印象

『Tシャツが乾くまで』を、毎話2周ずつ、愉しく観ている。その第6話1周目までの印象。

所謂「不倫ドラマ」ではないことは、第一話から明白。失踪した充(松山ケンイチ)が一年間どこで何をしていたのかも、まあ、想像通り。更に、充とあずさに向けられていた「不倫疑惑」が、そのまま咲子と樹生に跳ね返ってくる展開も、「まあ、そのための、第1話から第6話迄の展開ですから、そうなりますわなあ」という感じ。そういう意味で、このドラマには、「何があったのか?」系の謎は一つもないわけだけど、なのに、ものすごく面白いのは、人物造形(セリフと演技と芝居)がミゴトだから(特に、中島歩演じる樹生がお気に入り)。このドラマの売りはコレ。


*充(松山ケンイチ)は、ものすごく優しい「妖怪さとり」。言い換えると、「スーパー人たらし」な「超・空気読み男」。相手の気持や考えていることを敏感に察知して、相手の希望を叶えるために、自分を殺しまくる。しかし、生身の人間なので、ときどき限界に達して「失踪」してしまう。だから、咲子の仕事が一番忙しくなる確率が高い金曜日を、自分の喫茶店の定休日にしている。喫茶店の定休日は、「充が咲子を「休む」日」にもなっている。

充が、「さっちゃん」という呼び方を選んだのは、「過去」と距離を取りたがっている咲子の気持ちを読み取って、過去と繋がりのある呼び方を避けたから。

充は、人間に絶望している人=他人に期待しない人でもある。乾燥機の調子が悪くなったときも、フィルターを掃除すれば直ることを咲子に教えてもいいはずなのに、黙ってこっそりフィルターを掃除するのは、優しさではなく、咲子に「期待してない」から。「私がやりたくないことは全部ミツルがやってよ」という、咲子の(無意識の)心の声に無抵抗に従っているだけ。もしかしたら、結婚指輪の件や、結婚自体も、充が咲子の「空気を読んだ」結果なのかもしれない。第1話の冒頭の場面が既に、咲子の勝手な「片思い」な雰囲気が全開だったので、まあ、当たってると思う。

そうそう。最初の出会いの場面も、充が咲子を誘ったような印象を持つが、実は、誘ってきた咲子を充が受け入れている形。無自覚な「私・第一主義(私ファースト)」の咲子は、すぐに披露宴会場から逃げ出そうとするが、充は、それでは他の人を不快にさせると言って咲子を嗜める。代わりに、「二次会」が終わったあとに、ここで待ってる」と言う。2次会参加者の「邪魔」もせず、咲子の欲求も満足させる提案。とにかく、波風を立てない。

*樹生(中島歩)は、充とは対照的なキャラ。察しの良さは、このドラマの登場人物の共通属性だが、樹生は、思ったことを取り敢えずに口に出してしまうので、相手の心に波風を立てがち。だけど、悪気はないというのも相手に伝わりやすいキャラ、という感じ。しかし、その「取り敢えず言っちゃう・やっちゃう」属性のおかげで、充のように[相手の気持ちを察して、自分は無限に後退していく]ようなことはない。だから、充のように[失踪に至る負荷が心に溜まっていく]こともない。

*咲子は、隠れ「私ファースト」な人。それ以外はまだ。

*あずさは全くの情報不足で、今は何も無い。

*古書店のおじさんは、あずさの父親みたいなものなので、樹生に対してあたりがキツめなのは仕方がない。

*4人それぞれの、親との関係。樹生は、母親のことは嫌っているけど、メールのやり取りもしているし、用があれば会う。昼飯も一緒に食べる。一番、軽症。咲子は、母親からかかってきた電話にすら出ない。かなり重症だが、よくある「病状」。あずさは、そもそも孤児だから、いいも悪いもない。充は、親のことが嫌いな訳では無いが、それでも親と一緒に暮らすことが苦しいという「難病」。脚の不具合で歩けない人で喩えると、樹生は捻挫、咲子は骨折、あずさは子供の時に脚を切断している。充は、脚はあるし、医者はどこも悪くないというのに、時々全く歩けなくなる。

*第6話で一番「怖かった」のは、充が樹生と咲子に向かって放った「お二人はどういう関係ですか?」というセリフ。つまり、充が使う「さっちゃん」という呼び方は、充にとっての「仮面」。

とまあ、今のところはこんな印象。第6話の2周目を観終わったら、また変わるかも。

(2026年8月17日 穴藤)