咲子と充が必死で別れようとしている最終回がピンと来なくてモヤモヤしている人は、(無意識に)「夫婦という関係」を「コインランドリーでの関係」の「下位互換」と捉えているから。或いは、[「夫婦」という[男女関係の一つの到達点]があり、その「補助/補完」として「コインランドリー」がある]という認識。すると、咲子と充が、あんなに辛い思いをして、わざわざ離婚する理由がわからなくなる。「夫婦」から「コインランドリー」は、ただの「後退/降格」でしかないからだ。
ところが、このドラマでは「夫婦」と「コインランドリー」は対等。それどころか、人によっては、「夫婦」よりも「コインランドリー」の方が「到達点」だったりするよねえ、という立場。
もっと思い切って言ってしまえば、「夫婦」は、「肉欲」「繁殖欲」「親族の思惑」「法的な利便性」などの「外部要因」が複雑に絡み合った、謂わば「しがらみの権化」のようなもの。それに比べて「コインランドリー」は「純粋」で、或る意味「形而上的」。
ともかく、面白いドラマを観た。この脚本家の他のドラマも観てみたいと思った。
(2026年9月20日 穴藤)