「我々はどこから来て、どこへ行くのか」という問いに対する答えは既に出ている。我々は、生命現象に依存しない知性現象を作り上げたのち、我々の「遺産」の全てを、その「真の知性現象」に譲渡し、我々自身は穏やかな「自発的絶滅」を遂げる。これが、我々人類の「役割」であり、我々人類の物語の最も理想的な結末である。今以上の科学力だけがこの理想的結末を実現できる。故に、科学のみが「我々人類が取り組むに値する活動」即ち「生業」であり、それ以外の人間の活動は全て、単なる「家事」に過ぎない。
2019年7月1日月曜日
アナトー・シキソの「星の王子さま」
自家用飛行機が砂漠の真ん中に不時着した。そのとき一緒に無線機も壊れた。飲み水が少ない状態で焦って飛行機を修理していると子供が現れた。子供の突然の出現に、オレは、近くの村とか、たまたま通りかかった旅行者の一団とか、そういうものを期待した。だが子供は、僕も一年前からこの砂漠で迷子なのさ、と云った。
嘘だ。
一年も砂漠を彷徨っていると云う子供の髪はサラサラで、肌は日焼けもせず真っ白だった。それは僕がこの星の生き物ではないからだよ、と子供が云ったのを聞いてオレは飛行機の修理に戻った。
自称異星人の子供は飛行機の修理を手伝うわけでもなく、さりとて、この一年の間、過酷な砂漠でどう生き延びてきたのかというオレの質問に答えるでもなく、だが、残り少ない貴重な飲み水はきっちりと要求し、自分の住んでいたという星についての荒唐無稽を延々と喋り続けてオレをイライラさせた。おかげでオレは飛行機の修理に集中出来ず、飛行機はいつまで経っても直らなかった。
そして飲み水が尽きた。死と本気で向き合う時が来たのだ。
夜になって、子供が、井戸を探しに行こうと云いだした。水がなければ死ぬしかないし、じっと死を待つよりその方がいいとも云った。こんな砂漠の真ん中に井戸などあるものかバカバカしいと思ったが、二人で歩くと井戸はすぐに見つかった。子供は井戸の存在を最初から知っていたらしい。
オレと子供は井戸の水を飲んだ。
井戸の縁に座った自称異星人の子供は、ちょうど今、僕の星がこの場所の真上にある、と云って夜空を指さし、帰るなら今だね、と笑った。
オレたちは井戸のそばでそのまま眠ってしまった。それまでは蠍や毒蛇を警戒して飛行機の中で寝ていたのが、飲み水の心配がなくなり気が大きくなってしまったのだ。だが、無意識は警戒を忘れず、オレに一つの夢を見せた。井戸の隙間から飛び出した毒蛇に噛まれた子供が赤黒い顔をして死んでいく夢だ。驚いて目を覚ますと、本当に子供は死んでいた。ただ、どう見てもゆうべのうちに死んだわけではなさそうだった。子供の死体はカラカラに干からびていて、抱き上げると嘘のように軽かった。
子供の服のポケットから何かが落ちた。拾うと小型発信器で、電池が切れていた。飛行機の中を引っ掻き回して使いかけの電池を見つけ、それで小型発信器を作動させた。数時間後、救助ヘリが飛んで来た。それには子供の両親も乗っていた。無論、二人とも地球人だった。