2019年7月5日金曜日

アナトー・シキソの「ケセラセラ」


あのさ、違うよ。「どうにかなる」と「なるようになる」は全然違うから。たとえば、何かノッピキナラナイ事態が進行しているとして、それについて、何の根拠もなく、とにかく最悪の結末は回避されると能天気に信じているのが「どうにかなる」で、最悪の結末が回避されても、訪れても、どちらであっても気にしないと笑ってるのが「なるようになる」。

アイツの態度は「なるようになる」であって「どうにかなる」じゃない。みんなよく間違えるんだけど、アイツのは「なるようになる」なんだよ。「どうにかなる」じゃなく。

アイツの態度の根底にあるのは諦め。人生に対する絶対的絶望だね。アイツの過去に何があったのかは知らない。何もなくて、ただ生まれつきそうなのかもしれない。いや、まあ、生まれつき人生に絶望している人間が果たしているものかどうかは知らないけどさ。

イイコトなど全く期待してないのに楽観的になるってことは、要するに、悲観が強すぎて楽観にまで突き抜けてしまった状態。アイツの場合はまさにそれなんだよ。

そういう点ではブラジルのサンバに似てる。サンバは、明るくて、ナンにも考えてないみたいに楽しげだけど、元々は、普段ギュウギュウに抑圧されている奴隷たちが、祭の時だけはハジケることが許されて、それで発展した音楽だからね。つまり、明るく楽しいサンバの、あの明るさや楽しさは、絶望的情況があればこその明るさや楽しさなんだ。

それはともかく。だから、普段の態度を見て、アイツのことをただの能天気だっていうふうに捉えると、アイツの本質を見誤るよ。ただの能天気は往く道だけど、アイツの能天気は還り道だから。

あと、日本の仏教には「他力本願」ていう考えがあるから、君は、アイツの態度をソレとゴッチャにしているところがあるね。でも、超越的な存在が良きに計らってくれると考えるのが他力本願で、良きに計らうも計らわないもないってのがアイツなんだ。全然違う。

そう、だから、相当テゴワイよ。あのお気楽そうな見た目とはウラハラに、その内面は複雑怪奇。実際、俺の仲間が何人もアイツの中に入り込んでソレッキリだからね。取り憑いて操るつもりが、ことごとく捉えられ、分解され、最後はきっとアイツの屁になって体外に放出されてしまったんだよ。だから帰って来ない。

うん。俺はもう退散する。俺たちが何をやっても無駄だってコトが、もう充分に分かったから。アイツはある意味、最強だね。