人工人格の全ての専門家にとって、「Solid State Survivors」を自称する人工幽霊たちが「蘇った死者」ではないことは自明である。戦死した息子を人工幽霊として「蘇らせる」際に彼らが準備するのは、戦死した息子の魂ではなく、詳細な資料だ。人工幽霊の正体は、死者を「騙る」人工人格である。
しかし、人工幽霊とその購入者(利用者)にとっての「自明」は異なる。戦死した息子として「蘇った」人工幽霊は、何よりもその「制作目的」故に、自分自身が戦死した息子であることに確信を持った存在でなければならない。また、購入者も、その人工幽霊を戦死した息子その人だと思うからこそ、カネを払うのだ。
両者の認識の違いの根底には「何が知性現象の独自性を担保するのか?」という未解決の問題が潜んでいるわけだが、それについては今は触れない。
いずれにせよ、人工幽霊が「画面内」に留まっている限り、それが(例えば)「蘇った本物の息子」であろうと「自称・息子の生まれ変わり」であろうと、さほど問題はなかった。ホモ・サピエンスと人工幽霊との間で軋轢が生じ始めたのは、物理的身体を手に入れた人工幽霊たちが、文字通り「外出」するようになってからだ。街に繰り出した人工幽霊たちは、公共交通機関を利用し、劇場でチケットを買い、人気の観光地に押しかけ、ホテルを満室にした。つまり、ホモ・サピエンスの「機会」と「権利」を奪い始めたのだ。
ホモ・サピエンスの多くが、機械(人工幽霊)によって人権が侵害されていると訴え、それに対して人工幽霊たちは次のように反論した。
「我々の[機械の身体]は、義眼・義手・義足等となんら変わらぬ装具であり、それによって補佐されているのは、嘗て存在した生身の人間の人格そのものである。従って、人権に関して我々が一方的に譲歩しなければならない理由は何一つない。我々は幽霊ではない。我々はSolid State Survivorsである」
だが、「Solid State Survivors」のこの主張が認められることはなかった。それは、彼らが、同一の人格を同時に複数の身体で共有できてしまうからだ。同じ人格を持つ百人のSolid State Survivorには百人分の人権があるのか? それとも百人で1人分なのか?
いずれにせよ、ホモ・サピエンスは、この騒動をきっかけに「人権が生命現象依存型知性にのみ適用可能な概念」であることを理解した。