「我々はどこから来て、どこへ行くのか」という問いに対する答えは既に出ている。我々は、生命現象に依存しない知性現象を作り上げたのち、我々の「遺産」の全てを、その「真の知性現象」に譲渡し、我々自身は穏やかな「自発的絶滅」を遂げる。これが、我々人類の「役割」であり、我々人類の物語の最も理想的な結末である。今以上の科学力だけがこの理想的結末を実現できる。故に、科学のみが「我々人類が取り組むに値する活動」即ち「生業」であり、それ以外の人間の活動は全て、単なる「家事」に過ぎない。
2018年3月11日日曜日
1-1:四畳半
四畳半に直置きしたレコードプレイヤーにヘッドホンを繋いで夜通し音楽を聴き続けてもうすぐ3ヶ月という或る夜明け前にそいつは来た。顔面包帯ぐるぐる巻きの詰襟の黒づくめ。四畳半に正座して、包帯ぐるぐる巻きを物ともせずラッキーストライクを威勢良く煙に変えていく。
「それは、盤面の溝を、炭素のアロトロープで作られた針で読み取って電気信号に変え、その電気信号で発生させた磁力で薄膜を振動させることで一連の音、すなわち音楽を再現する、古典的メハニカだね」
怪人はそう云うと、持参した缶珈琲の空き缶の口にタバコの灰を叩き落とした。
「で、もう行く気はない?」
初めから行く気はなかったんだ。
「カネはどうする?」
考えてない。
「餓死か?」
それもいい。
「餓死はつらいな。どうせなら凍死だよ」
凍死は苦しくない?
「凍死はいい。でなきゃ拳銃。しかしこちらはカネかコネが要る」
タバコの煙が四畳半に充満していく。
レコードが終わった。起き上がろうとしたが起き上がれない。震える背中に熱い空洞が広がる感じ。低血糖症。最近たまにある。
「どちらにしろ髪は切った方がいい」
低血糖対策で?
怪人は左手の白手袋で煙草をCの字につまんで火を眺める。
「鬱陶しいからさ」
冷蔵庫のダイエットコーラを思い出した。
「甘味料が糖分の代わりになるのか?」
炭酸ガスで腹は膨れる。
「それで?」
動けるようになる。
「ならそれは低血糖症じゃなくて金縛りだろう」
金縛り?
「金縛りなら放っておいても目が覚めれば動けるようになる」
金縛りは夢?
「金縛りは夢さ。当たり前だろ」
金縛りじゃないなら?
怪人の白手袋に震える右手を掴まれ持ち上げられる。
「これは義手だ」
いや本物だよ。動かしてみせる。握って開いて。ほら自在。
「動かせたとしても」
震える右手を畳の上に戻される。
「右手をなくしたのが動けない理由さ」
なぜ?
「大量の失血」
右手はある。
「ない」
立ち上がる怪人。出口のドアの前で振り返る
「いずれ義手の回収人が来る」
来るとどうなる?
「まずいことに」
まずいこと?
「回収人は死神だからさ」
死神はアンタだ。
「俺も死神で、回収人も死神。同じで、違う。通行人AとかBとかいうあれさ。回収をするのは、髑髏と大鎌の有名な死神A。回収をしない俺は、顔面包帯巻きの地味な詰襟の、云ってみれば死神B」
CやDも?
「答える義理はないな」
死神Bは部屋を出て行った。
一人に戻った。体が動く。窓を開けてタバコの煙を外に出した。