2018年3月25日日曜日

1-7:色素


5回目の引越しのあと離職。実は離職するために前もって安いところに越したのだ。家財道具の大半はリサイクル業者に売り払い、すっきりした四畳半に咥え煙草で寝転んで天井を見上げると、身も心もひんやりと心地いい。

コンピュータの画面で小さな蝋燭の列を眺める毎日。ふつうの蝋燭は縮むだけだが、この赤と青の小さな蝋燭は縮むし伸びる。重要なのは出会いよりも別れだ。良い別れは一時間を一週間にする。あるいは一ヶ月にする。一方で、拙い別れはひたすらの無為。
「危ういもんだ」
だが悪くない生き方だ。
「ところが」
ところが?

その夜(日本時間)、外国の双子ビルの一方に旅客機が突っ込んだ。テレビが嬉々として中継している背後で更にもう一機が最初無事だった方に頭から突き刺さった。期せずして世界同時生中継。
事故?
「いや、これは特攻だな。謂わばカミカゼ・リターンズ。半世紀ぶりの悪夢でありカタルシス。持たざる者達の血の叫びは、持つ者達の理解の埒外さ」

翌朝、アパートの上空にヘリコプターの羽音。窓を開けても、あるのは青い空ばかり。乗っ取られた旅客機は飛んで来そうで飛んで来ない。地球規模のドッキリを疑う。虚構のような現実も現実は現実。おかげで赤と青の蝋燭が縮むばかりで伸びなくなった。止むを得ずバイトを始めた。

新しい職場は極近い。外が真空の宇宙だったとしても生身で通えるほど。この通勤の軽便さだけが魅力で、あとはただドンヨリ。重量物の運搬。レジ打ち。品出し。冷蔵庫。棚卸し。暖簾の隙間から店の様子を伺い、他のバイトのイラッシャイマセの声を聞く。

煙草休憩。バックヤードは店ビルと謎の廃屋に挟まれた「中庭」。廃屋は出入り自由のガラクタ置き場で、そのガラクタの中に古い姿見が立っていた。そこに顔面包帯巻きの男が映り込んでいる。包帯に刺した煙草に、こちらの煙草の火を移す。
「こりゃ一体なんだい?」
仕事さ。
「仕事だって?」
一服したらジャガイモの芽を取る。
「芽を取ってどうする?」
箱に戻して売る。
「あの箱全部そうか?」
ああそうだ。
「それが仕事か?」
商売さ。
「アクドイな」
商売はアマネクそうさ。
「確かに。全ての商売人は詐欺師か泥棒だからな」
泥棒?
「自然の成果を盗み取ってる。ところであの名前はなんだ?」
カレー煎餅の袋の裏に書いてあったのさ。
「それで?」
まずカタカナの字面が気に入った。語感もいい。
「しかしただの着色料だぜ」
うん、それは全然気にならないな。