「我々はどこから来て、どこへ行くのか」という問いに対する答えは既に出ている。我々は、生命現象に依存しない知性現象を作り上げたのち、我々の「遺産」の全てを、その「真の知性現象」に譲渡し、我々自身は穏やかな「自発的絶滅」を遂げる。これが、我々人類の「役割」であり、我々人類の物語の最も理想的な結末である。今以上の科学力だけがこの理想的結末を実現できる。故に、科学のみが「我々人類が取り組むに値する活動」即ち「生業」であり、それ以外の人間の活動は全て、単なる「家事」に過ぎない。
2018年3月13日火曜日
1-3:グリル
その店には三日とあけず通った。但し条件あり。
条件(1)残金に余裕がある。
条件(2)日が沈んで外が充分に暗い。
金文字で店名をプリントした珈琲色の強化ガラスの扉を引くと店内は暗い。橙色の照明と模造レンガの壁。入ってすぐの左側にある階段で二階の雀荘(外に看板)に行けるが用はない。人間と競っても虚しいだけ。中央に長いカウンター。右側にテーブル席(複数)。奥に伸びるその光景はキリコの『街の神秘と憂鬱』。すなわち、壊れた遠近法と消失点の消失。入り口の一番近くが逆に死角の指定席で、最も暗く、店内全体を見渡せる一等地。
マスターが来て、ニヤリ頷く。水のグラスを置く。
「今日は(なんにする)?」
常連相手の気安い口調。
とんかつ定食(和風おろしポン酢味)を。
マスター再度、ニヤリ頷く。
この街で半年。生乾きの常連感。
カウンターの向こうで、咥え煙草のマスターがつまらなそうに作る料理が美味い。料理は愛情ではない(断じて)。技量/感覚/時機。そしておそらく何よりも沈黙。三日とあけずに通える店の条件の方程式は、(美味さ+沈黙+時機)÷距離。距離が増すほど評価点は下がる。
グラスの水を飲む。
食事を終えると、注文していない珈琲をマスターが持ってきた。
「サービス」
礼を云うと、マスターはニヤリ頷く。
マスターが行ってすぐに別の煙草のニオイがした。
死神B。
向かいに座って、今マスターが持ってきた珈琲を、顔面包帯ぐるぐる巻きのままで勝手に啜り、「まあまあだな」と、訊いてもいない感想を述べた。
「この店の味が一生残る味になる」
こんな喫茶店飯が?
「喫茶店ではないな」
グリル。
「グリル」
グリルってどういう?
「焼網」
ヤキアミ?
「簡易食堂」
なるほど。
「炎でじわじわ炙る」
もういいよ。
マスターは(やはりつまらなそうに)二階の麻雀客用の料理を作り始めた。
「所謂おふくろの味になる」
そこまでの思い入れはないけど。
「今はないさ。しかしあとでそうなる」
あと?
「そう、ずっとあと。25年後」
確信してるね。
「知ってるのさ」
赤の他人が作ったタダのおろしポン酢トンカツ定食。薄い肉と水の出た千切りキャベツの貧相な盛りつけを思い浮かべる。
「決め手は、誰が作ったかではないし、どこで食ったか、いつ食ったかでもない」
じゃあ、何?
「得られた安らぎの量だよ」
ヤスラギ?
「心の平安さ」
アンタにはあるの?
「coffee and smoke!」
死神Bは珈琲を啜り、煙草を吹かした。