「我々はどこから来て、どこへ行くのか」という問いに対する答えは既に出ている。我々は、生命現象に依存しない知性現象を作り上げたのち、我々の「遺産」の全てを、その「真の知性現象」に譲渡し、我々自身は穏やかな「自発的絶滅」を遂げる。これが、我々人類の「役割」であり、我々人類の物語の最も理想的な結末である。今以上の科学力だけがこの理想的結末を実現できる。故に、科学のみが「我々人類が取り組むに値する活動」即ち「生業」であり、それ以外の人間の活動は全て、単なる「家事」に過ぎない。
2018年3月20日火曜日
1-6:遅延遅滞
毎朝毎晩トラックが遠くから店に運んで来るものを、毎朝毎晩契約者宅に届ける仕事があって、それを10年ほど続けた。そのトラックは出発直前の重大事件発生で確実に遅れる。機械の不具合でも遅れる。高速道路の渋滞でも、運転手の病欠でも、特に理由がなくても遅れる。トラックは、そして自分たちは、毎朝毎晩、本当は一体何を運び届けていたのだろう?
午後2時45分。いつもの一番乗りが来てタイムカードを押す。中年、独身、実家暮らしのフリーター。トラックはまだ来ないが常態。
午後3時15分。アルバイトの半分がタイムカードを押した。トラック未着は誤差の範囲。
午後3時半。ほぼ全員が揃ってトラックを待つ。喋り続ける主婦のカタマリ。側溝の蓋の格子に煙草の灰を落す男のカタマリ。眼を閉じて一人座る82歳独居翁。連れて来た孫の機嫌を取る60代祖母。そして不機嫌なしゃくれあごの大番頭。
ファクシミリが鳴った。一同注目。大番頭が紙を取り上げて読み上げる。
「リンテンキ故障のため1時間の遅れ」
「そんなに壊れるもんかね」「見え透いてるなあ」「いつからの1時間よ?」
アチコチで苦虫と冷笑。壁の時計あるいは腕時計を見る。
午後4時過ぎ。いつもシンガリの高二男子(無口)が入店。普段見ない「同僚たち」の集団に一瞬タジロぎ、奥の奥に陣取る。この無口の口には「ナイフ」が隠されていて、女連れの若い男と路上で一悶着やらかしたこともある。空っぽだから無口とは限らない。過剰ゆえに無口ということもある。特に男の場合には。
午後5時半。さっきのファクシミリが口から出まかせだと知れる。無口の高二男子でさえ普段なら仕事を終える時刻。電話が鳴り始めた。問い合わせと苦情。配送の遅れを伝えて謝罪し電話を切る。少しするとまた鳴る。同じ説明で謝り、受話器を下ろすとまた。その繰り返し。
熱を持った耳介に受話器を当てると送話口から煙草の匂い。客ではない声が云う。
「客は一度しか電話をかけないのに、店の電話は鳴りやまないのがオモシロイ」
当たり前だ。客は一人じゃない。千人以上いるんだ。
「それはご愁傷様。まあ、あと2時間ほどの辛抱さ」
間もなくトラックが到着した。結局3時間遅れ。配達人たちは我先にと受け持ち分を抱えて店を飛び出す。電話は鳴り続けた。1時間後、無口の高二男子が真っ先に配達を終えて帰って来たのを見て、生まれた順番が必ずしも死ぬ順番ではないことの真意を悟った。気がした。