「我々はどこから来て、どこへ行くのか」という問いに対する答えは既に出ている。我々は、生命現象に依存しない知性現象を作り上げたのち、我々の「遺産」の全てを、その「真の知性現象」に譲渡し、我々自身は穏やかな「自発的絶滅」を遂げる。これが、我々人類の「役割」であり、我々人類の物語の最も理想的な結末である。今以上の科学力だけがこの理想的結末を実現できる。故に、科学のみが「我々人類が取り組むに値する活動」即ち「生業」であり、それ以外の人間の活動は全て、単なる「家事」に過ぎない。
2018年3月27日火曜日
1-9:乗船
夜のフェリーターミナル。妙に高いところを歩いて大きい船に乗り込んだ。船は水でもない陸でもない暗闇に浮かんでいるように見えた。余分にカネを払って二人部屋を占有したので、あてがわれた船室にはベッドがふたつあってバカバカしい。鍵付きの入り口、洗面台、テレビ、電気ポットは好いとして、低い天井のセントラルヒーティングが嫌な音でウルサイ。しかし全体としては、小さい絵のような独房感に居心地の良さを感じた。もしアレなら三年くらいは大丈夫だろうし、半年ほどなら積極的に住んでみたいほどだが、あさっての朝には追い出される。羽を休める場所もなく飛び続ける蜂。それが生きとし生けるものだとチベット人も云う。
出港。動いている感じはない。大きさのせいだ。移動装置としては地球最大規模で、乗り込むためだけの特別な設備まである。さっき歩いた搭乗橋。英語で云えば「boarding bridge」。こんな代物は、他は旅客機か宇宙ロケットくらいだろう。しかし旅客機もロケットも正体は窮屈な乗り物で、そこにパーソナルスペースの概念はない。同じ詐欺が大劇場や大映画館。客は狭い椅子に長時間縛り付けられるためにカネを払う。その点フェリーは違う。広さの割に乗船客が少ないせいもあって、まるで早朝の街をブラブラする感じ。展望室、甲板、食堂、カフェ、売店、大浴場。利用する気はなくても、あるというだけで好い気分なのも街歩きに似ている。
煙草をつけた。
「まるでクジラだ」
クジラ?
「クジラの腹の中に住んでたジイサンがいただろ?」
ピノキオの?
「それ!」
原作はクジラじゃなくてサメだけどね。
「サメの腹の中では暮らせないな」
クジラよりもデカイサメなのさ。
「デカいってどれくらい?」
キロメートル単位。
「そりゃあ豪勢だ」
まあ、巨大海洋生物の腹の中というのは確かにそうだ。
「住もうと思えば住める」
いや、でも医者がいないから。
「医者なんか…。煙草を吸って好きに死ね」
命が惜しくて云ってるんじゃなくてさ。
「そりゃそうだ。医者に命は救えないからな」
歯が痛いとか…
「医者がいてもいなくても人間は一人の例外もなく死ぬ」
耳が詰まったとか…
「最後に勝つのはこっちだ。連戦連勝の負け知らず」
花粉症がツライとか…
「気がかりは生き続ける煩わしさか」
そう。だから医者は要る。死の一刺しはどうすることもできないけど、生の小さな刺くらいなら抜くことが出来る。
ツカレタ。
煙草を消した。
寝る。