2018年12月28日金曜日

現の虚 2014-5-1【アリギリス】


忘年会で散々飲んで、それじゃあまた、と店の前で別れたのはいいが、大雪の路上でタクシー三台に無視され、やっと止まった四台目は後ろから割り込んで来た知らない女に乗られ、いっそ歩いて帰るかと歩き始めたら、こんな大雪なのに寒さを全く感じないので、相当に酔っているなあ、と我ながら心配になりつつも、歩き続けていれば寒さは気にならないのも事実で、けど、もちろん、真冬の夜に酔っぱらいが一人で長い道を歩いて帰るのはちょっとした賭けだから、もしかしたら俺は死にたいのかもしれない、などと思いながら、こっちの方が少しだけ近道だと知っている路地に入ったら、そこは思っていたのとは全く違う袋小路で、行き止まりの塀の前に雪に埋もれかけた飲み物の自販機があり、じゃあせっかくだから熱い缶珈琲でも買うか、とポケットから財布を出したところで全商品に売り切れランプが付いているのに気付き、ルートマンがサボったのか、こんなドンツキだから存在自体を忘れられたか、いやまさかそんな、などと考えながら、財布をポケットに戻して回れ右をし、その拍子にバランスを崩して雪の上に倒れ、ナニカで頭を打ってそのまま気を失った。

と、そんな記憶。

気付くと俺は自分の携帯を握って雪の中に半分埋もれていて、見知らぬ小柄の女が、俺を雪の中から引きずり出そうと俺の脚を掴んでグイグイ引っ張っていた。俺はその刺激で意識を取り戻したらしい。

あ、アンタ、気が付いたんなら自分で出なさいよ。

と、その小柄の女は云った。体は小さかったが子供ではない。銀色のヘルメット、二眼ゴーグル、白いマフラー、茶色の革のツナギ。つまり古典的バイク乗りスタイル。ただ、バイクには跨がってなかったし近くにバイクも止めてなかった。

俺は立ち上がって雪を払った。バイク乗り風の小柄の女は俺が倒れていた場所に屈み込むと、手袋をはめた両手でそっと雪を掻いて何か探し始めた。

いた!

小柄の女は手袋を脱いで、素手で雪の中からナニカをつまみ上げた。見せてもらうと小さな黒い虫だった。

なに?
アリギリスよ。
アリギリス?

小柄の女は背負っていた鞄を降ろして中から瓶を取り出した。瓶には金色の液体が入っている。瓶の蓋を開け、今拾った虫を金色の液体に沈めた。

虫は一瞬モガいてすぐに動かなくなった。

アリギリスはアリのフリをしているキリギリス、と瓶の蓋を閉めながら小柄の女が云った。そして、今のアンタにピッタリでしょ、と続けた。

会った


放課後の下駄箱で会った。
徹マン明けの帰り道でも会った。
順番待ちのレジ前で会い、
火事を見物する人混みの中でまた会った。
仮眠室、職安、旅先、女の葬式で会って、
今この最期の時に、僕はまたこうして君と会った。

2018年12月26日水曜日

皆が落とすもの


ソレは失うものでも絶つものでもありません。
ソレは落とすものです。
人は皆、うっかり/わざと/気付かず財布を落とすように、
うっかり/わざと/気付かずソレを落とすのです。
拾ってくれた人への謝礼は一割ですよ。

現の虚 2014-4-9【穴の中】


穴の中を這ってる。最初柔らかだった穴は今は固い。湿ってツルツルした鍾乳石のような手触り。そして暗い。真っ暗だ。

何より恐ろしく生臭い。

穴の中を這い回って結構経った。オモシロくないのは、どういう経緯でこんな穴に入りこんだのか全く思い出せないことだ。だが、今現に穴の中にいる。穴の中を這い回っている。上ったり下りたり右に曲がったり左に曲がったり。それでも穴はまだ終わらない。

疲れた。少し休む。

俺は裸足の左足の裏を裸足の右足の親指で掻く。足の指で足の裏を掻くのはイライラしている今の気分に合っている。ガムはもうない。代わりに煙草とジッポーがあった。なら、煙草を吸おう。

煙草をくわえ、ジッポーをつけると正面に男の顔が出た。額に小さく丸い火傷痕。火傷痕の男は穴の中でこっち向きに腹這いだ。ゆっくりと俺に云う。

「モナ・リザ」は、貴婦人も背景の山も同じ絵の具で出来ている。

俺は煙草に火をつけずジッポーを消す。男の顔も消えた。もう一度、左足の裏を右足の親指で掻く。ジッポーを再点火。

現実の世界も「モナ・リザ」と同じだ。

火傷痕の男はゆっくりはっきりと発音する。瞬きしないその男と俺は見つめ合う。目玉にジッポーの火が映っている。俺はぐっと我慢して、ジッポーの火をくわえた煙草の先へ運ぶ。

例えば、光の速度とは究極の速さではなく、世界の真の距離のことだ。

ジッポーの火を消すと暗闇にオレンジ色の煙草の火だけが残った。火傷痕の男は、まだ目の前の暗闇にいるのか、いないのか。いた。暗闇から声だけが聞こえる。

それゆえ、隔たった二つのやりとりが光の速度を越えていたなら、その隔たりは「見せかけ」ということ。真実の姿は距離無し。舞台上には父と呼ばれる者と息子と呼ばれる者がいるが、実は一人の人間。もつれた量子など初めからない。

その途端、穴が固さを失ってだらんと垂れ下がり、俺を逆さに滑り落とした。落ちた先には雪が積もっていたが、頭から落ちた俺の首はイヤな角度に曲がった。イヤな音もした。首から下との連絡が絶たれた可能性がある。それならば、首から下にまだ意識の惰性が消え残っているうちに急いで立ち上がり、あそこに落ちている携帯電話を拾って救急車を呼ぶのだ。人間の体は、たとえ首を切り落とされても少しの間なら動けるはずだから。

俺の「首から下」は、立ち上がり、携帯電話まで走ってそれを拾い上げ、だが、そこでただのモノになって雪の上に崩れ落ちた。

2018年12月21日金曜日

ズローチ


謎の薬「ズローチ」。
「水やけど」の治療薬で、
唇を虫に噛まれたときにも使える。
或る年齢以上の老人はみんな知っていて、
かつては小学校の売店でも普通に売られていたが、
最初の東京オリンピックを境に姿を消した。

現の虚 2014-4-8【盗まれた手紙】


来た道を地図の上で辿って赤いバツ印を確かめる。もうこの辺りだ。

ちょっと。

いきなり後ろから声を掛けらてギョッとする。こんな辺境の地に他に人間が居るとも思えない。一瞬アイツ(砂漠谷)かと思ったが、違った。振り返ると、アンドロイドの郵便配達員が立っていた。昔から辺境の郵便局員は異星人かアンドロイドと相場が決まっている。この郵便配達員はアンドロイドの6型だ。目で分かる。瞳孔が赤くうっすらと光っているから。アンドロイドは感情が高ぶると瞳孔が赤くうっすらと光るのだ。ということは、このアンドロイドはなぜか今コーフンしているということだ。理由は思い当たらない。僕は用心した。

何か用かい?

郵便配達員は肩から提げた鞄をモゾモゾやって、これを、と黄色い封筒を差し出した。僕は警戒しながらそれを受け取った。宛名は僕になっていた。だが、既に封が開いていて中身がない。

盗まれましたよ、遠の昔のすっかりと。

郵便配達員が気の毒そうに顔を歪める。

盗んだ者だけが手紙の内容を知っています。差出人はすでにこの世にいないのです。

僕は封筒を裏返し、差出人を確かめた。僕の双子の姉だ。僕はそのとき初めて姉が死んだことを知った。双子はそれぞれの身に起きたことをお互い察知し合うと云うが、あんなのはウソだと思い知った。今、この機械の人間に教えられるまで姉が死んだことなどチットモ知らなかったからだ。虫の知らせも、原因不明の胸の痛みも、夢枕に誰か立つお告げも、何もなかった。

しかし、いつだろう?

ワタクシの前任者が襲われ封筒の中身が奪われましたので、差し出し人に連絡を取ったのですが、その時にはすでに亡くなっておられました、とアンドロイドの郵便配達員は云って、一枚の写真を見せた。それは墓の写真で、墓石には姉の名が刻まれていた。確かに姉は死んでいた。だが、墓石に刻まれた日付がおかしい。姉が死んだ年が今から千年も未来になっている。

そのとき墓石の裏から姉の声が聞こえた。墓石の写真を見ていただけのはずの僕は、その懐かしい声につられて、ついうっかり〈実際に〉墓石の裏に回りこんでしまった。そして、そこにあの〈穴〉を見つけた。アイツ(砂漠谷)の罠だと気付いたときにはもう遅かった。

そもそも僕に双子の姉などいない。

墓石の裏のブヨブヨと蠢く肉色の〈穴〉が、すごい吸引力で僕を吸い込んだ。僕は、温かく柔らかだが恐ろしく生臭い、その〈穴〉の中に閉じ込められた。

2018年12月19日水曜日

現の虚 2014-4-7【消火栓の手品男】


僕は管理人のエリちゃんに描いてもらった地図を取り出した。廊下のどん突き。この赤い金属の箱が、おそらく地図に示されたチェックポイントの消火栓だ。

蓋を開けた。空っぽだった。箱の底によく分からない小さな虫の死骸がいくつも干からびていた。ゴキブリでも蠅でもない、脚の無数にある楕円形の虫の死骸だ。他には何もない。

仕方がないので蓋を閉めると、何かがつっかえた。なんだろうと思って開け直してみたら、さっきはいなかった裸の男が狭い中に膝を抱えて座っていた。なんだか生きてる人間ではないような、具合の悪そうな顔。その上、髪の毛も眉毛も腕毛も臑毛も、そしてたぶん睫毛もない。きっと無毛症なのだ。

手品…

その、なんだか生きてる人間ではないような顔をした無毛症の男がぼそりと云った。僕はうっかり、エッと訊き返す。男はもう一度繰り返した。

手品…

無毛症の手品男は唐突にスキンヘッドをカリカリ掻いた。

終わり…

手品男はそう云ったきり黙った。あとはただ恨めしそうなギョロ目を僕に向けるだけ。僕は辺りを見回した。他に消火栓は見当たらない。

探してるの…?

手品男が訊く。僕は頷く。

何を…?

僕は手品男に地図を見せ、消火栓を探しているのだと云った。手品男は膝を抱えたまま眩しそうな目でしばらく地図を眺め、首を傾げた。そして僕を見た。

閉めて…

と、手品男。僕は一瞬何のことだか分からなくて無反応だ。

蓋…

と、辛抱強い手品男。ああ、と僕。僕は消火栓の蓋を丁寧に閉めた。今度は最後まできちんと閉まった。

僕は噛み終えて味のなくなったガムを窓から投げ捨て、最後の一枚を口に入れた。つまり、どこかで新しいガムを手に入れない限り、もうあまり時間がない。珈琲味のガムをゆっくり噛みながら、地図をグルグル回して、来た道を思い返す。道を間違えたとは思えない。やっぱりこの消火栓だ。どう考えてもそうだ。僕は再度消火栓の蓋に手をかけた。

まだ…

中から手品男の声が聞こえた。

あ、もういいよ…

僕は蓋を開けた。手品男の姿はなかった。虫の死骸もキレイになくなっていた。代わりに未開封のガム(10枚入り)が置いてあった。

やる…

どこからか手品男の声がした。僕は遠慮なくそのガムを貰った。するとまた手品男の声が、

閉めて…

僕は云われるままに消火栓の蓋を閉めた。

開けて…

開けた。また未開封のガム(10枚入り)が置かれていた。

無限増殖技…

僕はその行程を何度か繰り返し充分な数のガムを手に入れた。

紅玉髄


紅玉髄(カーネリアン)たちが囁き合ってる。
真に偉大な思想家は書き残しはない。
思想はただその不完全さ故に書き残される。
偉大な思想家の完全な思想は、蝶のその羽ばたき。

2018年12月17日月曜日

たった一匹の同じ猫


全ての猫はたった一匹の同じ猫、
と猫が云う。
全ての生き物は、と云いたいところだがそれは無理。
身体の仕様が異なれば体験の質が変わる。
だから、そうは云えない。
つまり残念だが人間はたった一匹の同じ猫ではない。

現の虚 2014-4-6【水の中の管理人室】


管理人室はプールの内側の壁の中にある。だから、水が張ってあると出入りできない。そこでプールサイドに立ち、賢者に貰ったイニシエの剣を掲げる。するとポポロポーンと音がして一瞬でプールの水が引く。

というのはウソで、普通に排水口の栓を開けてもらっただけ。

僕は水を抜いたプールに降り、丸いガラス窓を覗き込む。管理人室は空だった。物は揃っている。人影がないという意味だ。結構な水圧に耐えなければならない管理人室の入り口は潜水艦のハッチに似ている。僕はハンドルを回して扉を開け、勝手に中に入る。管理人とは知り合いだから平気だ。

管理人とは知り合いか。確かにそうだが、しかしどうだろう。人間でも動物でもない人工物に「知り合い」という言葉は使えるのか。こっちは確かにアッチを知っている。しかしアッチは本当にこっちを知っているのか。そもそも誰かを知っているとはどういうことなのか。

などと考えながら、僕は奥の座敷に勝手に上がり込むと、そこにあった座布団の上に胡座をかいた。そうやって、新しいガムを噛みながら待っていると、トイレから管理人が出てきた。

なかなか人間らしく振る舞うコツを心得ている。

管理人は妙な関西弁で、あんたまた勝手に水抜いて、と僕を非難してから壁のボタンを押し、プールに水を張り直した。ここでの水は「場の力」の干渉を防ぐバリアであり、情報を受け渡すインフラでもある。「水は盾、水は道」なのだ。管理人がプールを空のままにしておくのを嫌がるのは当然だ。

管理人は、見た目60くらいのオッサンで、「エリちゃん」と呼ばれている。女の子のエリちゃんとはイントネーションの違う、苗字の方のエリちゃんだ。そのエリちゃんが湯飲みを二つ取り出して、飲むやろ、と僕に訊く。返事は待たない。エリちゃんの淹れるお茶はいつも急須の口からボコボコと弾け出るほど沸騰している。湯飲みを覗き込むと湯気だけで火傷しそうだ。だがそんなシロモノをエリちゃんは少しも冷まさずグイグイ飲む。僕には無理だ。

砂漠谷か、とエリちゃんが訊く。僕は頷く。よっしゃ、ほならパーっと描くわ。エリちゃんはそう云うと作業を始めた。いつもの三色ボールペンをカチカチやって、その辺にあった紙箱の裏に地図を描いていく。

会うのはそう難しいことやあらへん。けど、ヤッツケルのはまた別の話や。生き延びた連中はみんなうまく逃げただけやからな。マトモに立ち向かった連中はもれなく死んどる。

2018年12月14日金曜日

嘆生日


赤ん坊が無事に産まれたばかりの家。
お通夜のように静まり返っている。
ウマレにナニカ?
いや。サンザ、生きる苦しみを味わった挙句、
結局は死んでしまうこの子のこの後を思うと、
フビンでならないのでございますよ。

現の虚 2014-4-5【ソフトコンタクトレンズの日】


紫外線が線になって降り注ぐ無人の屋上プールで、僕は、味のないガムを噛みながら、黒い蝙蝠傘をさして立っている。ここの空からは、線になった紫外線以外にもいろいろと降ってくるから、晴れていても傘が要るのだ。

今もまた、雨とか雪とか雹とかではないナニカが空からキラキラと降っていて、僕の蝙蝠傘はパツパツパツパツ鳴っている。降っているのは蛙や鰯ではない。もちろんお金でもない。コンタクトレンズだ。コンタクトレンズが雨のように降っている。僕はしゃがんで一つ拾う。

ぐにゃりと柔らかいソフトコンタクトレンズ。

プールの水が跳ねた。水泳選手がプールの水から頭だけ出して、お急ぎですか、と僕に訊く。僕は、別に急いでませんよ、と答える。

合い言葉だ。

水泳選手はオレンジ色の硬質樹脂製の競泳用ゴーグルをしたまま空を見上げ訊く。今日のこれはなんだい。僕は、ソフトコンタクトレンズだ、と教えてやる。へえ。水泳選手はそう云って、プールサイドに溜まったコンタクトレンズをまとめて掴むと、手の中のそれをしばらく眺め、コメントなしで投げ捨てた。今日はメッセージを預かってきたよ、と水泳選手はどこからか携帯電話を取り出す。プールの水でずぶ濡れだ。完全防水だから平気さ。水泳選手はそう云って、折り畳み式のそれを広げ、どこかを押す。ほら、聞けよ。水泳選手はずぶ濡れの携帯電話を僕に差し出す。僕はずぶ濡れのそれを耳に当てメッセージを受け取り、メッセージの内容に反応して空を見上げた。もちろん、コンタクトレンズが当たって目を開けていられない。水泳選手も空を見上げ、コンタクトレンズがジャマで見えないな、と云う。

僕は携帯電話を水泳選手に返す。水泳選手は携帯電話を折り畳んでどこかにしまい込むと、指示どおりプールの栓は開けておいたから、と云った。ありがとう、いつも助かるよ、と僕。いや、じゃあ、オレは帰るから。水泳選手はそう云うと、大きく息を吸い込んでズボッと水中に消えた。

入れ替わりに何もない黒い顔が一度に百人、水面に現れる。百人はただ影だ。百人の影は次々にプールから上がると、四つん這いでそこら中を這い回る。みんな自分が落としたコンタクトレンズを探しているのだ。しかしそうしてる間もコンタクトレンズは次々と空から降ってくる。

僕は噛んでいたガムをプールに投げ捨てた。百人の黒い影が一斉に僕を見る。僕は大きな音で鼻をすすって、百人の黒い影をいっぺんに消す。

2018年12月10日月曜日

落語セット


近所の蕎麦屋が「落語セット」を始めた。
もりそばに生の落語がついている。
落語はオジイサンの落語家がやる。
「オモチャセット」もある。
「オモチャセット、一丁」
「あいよ」
オジイサンの落語家は正座して待っている。

現の虚 2014-4-4【ブラックブーザー/テリーボックス】


太った公選弁護人の意外な俊足に置き去りにされた俺は田舎道に迷いこんだ。道の脇に草むらがあり、草むらには踏み固められて出来た小道があった。道を外れて草むらの小道を進むと、ブラックブーザーが頭の上を通り過ぎた。

(ブラックブーザー?)

まあいい。
僕は珈琲屋を見つけ、中に入った。
僕は一番奥の一人で座るための小さな席に陣取った。
カウンターの向こうに眼帯をした片目のマスター。
右目だけでこちらを見ている。
僕はマスターを知っている。
マスターも僕を知っている。
僕たちは旧知の仲だ。
マスターはブラックブーザーを知ってるだろうか?

店にはウエイトレスがいないのでマスターが来た。

今日はどうしたんだね?
人とハグレてしまって。
太った公選弁護人のことかね?
誰ですかそれ?
では、ミカだね?
そうです。
なら、テリーボックスを試しなさい。
クスリですか?
私が独自に開発した珈琲だよ
豆ですか?
そっちの開発じゃない。

僕はテリーボックスを注文した。

マスターが行ってしまうと、僕はミカのことを考えた。
どこでハグれたのだろう。
どうもハッキリしない。
いつも二人でいたので、急に一人になると変だ。
寂しいのとも違う。
なにかスースーする。

マスターがテリーボックスを運んできた。
見ためは珈琲牛乳に似ている。

確かに似ているが全然違う。
どう、全然違いますか?
試してみたまえ。

僕はテリーボックスを飲んだ。
普通の珈琲牛乳だ。

どうだね?
どうって。
美味しいわ。

なかったはずの正面に席がある。
そこにミカが座ってテリーボックスを飲んでいた。

美味しさの秘密は珈琲に混ぜられているこの白いモノにありそうね、とミカ。
CMの台詞みたいだ。
その通り、とマスターが引き継ぐ。

しかし、白いモノの「配合」を知っているのは世界で三人だけ。
盗難を防ぐためにメモも書類も何もない。
「配合」は三人のアタマの中にだけあるのさ。
だから、彼ら三人は決して同じ飛行機には乗らない。
飛行機は落ちるときはあっさり落ちるからね。

マスターは自慢げに話したが、それ、知ってる。有名。
でも、それは別の飲み物の話だ。

三人が乗った別々の飛行機がいっぺんに落ちたら?
とミカ。マスターは頷く。
もはや世界にそんな白いモノは必要ないということさ。

マスターはカウンターの向うに帰った。
僕はミカに訊いた。

どこに行ってたの?
どこって、傘が要るっていうから取りに行ってたんでしょ。
そのなの?
そうよ。

僕はミカから黒くて古い蝙蝠傘を渡された。

2018年12月7日金曜日

ミルコメダ大使の恫喝


核爆弾だけを誘爆させる技術がある。
どんな核兵器も遠隔操作で自由に起爆できる。
そういう装置を作って、今ここに一個持っている。
月の裏側に待機している母船にはもっとたくさんある。
さて、では諸君はどうするか?

現の虚 2014-4-3【鍵男】


荷物用エレベータを降りた所で白いスーツを着せられた。ただし靴はない。靴下もない。相変わらずの裸足だ。その格好で渡り廊下を歩く。連れがいる。俺に白いスーツを着せた太った男だ。アナタの公選弁護人ですと云うコイツ自身は黒ずくめ。

スーツの内ポケットに新しいガムが入っていますよ。

俺は内ポケットからガムを取り出し、口に入れる。白いガムなのに珈琲味。

渡り廊下の終わりに点心の屋台が出ていた。アレを買うべきです、と俺の太った公選弁護人が云う。あそこで包子(パオズ)を4つ、是非買うべきです。買うとしてもふたつで十分だろうと答えると、いや、4つです、と譲らない。俺は包子を4つ買った。

廊下を曲がって会議室(使用中)のドアを開ける。中には誰もいない。壁際にあるホワイトボードに、漢字で「不即不離」と書いてあり、その下に「つかずはなれず」とフリガナが振ってある。メモはしないで覚えて下さい。陪審員たちの心証が違いますから、と俺の太った公選弁護人の助言。

会議室の奥のドアを開けると、エッシャーのだまし絵のような天地左右が複雑に絡み合った空間が現れた。ウカウカ踏み込めば死ぬまで迷うことになるだろう。

大丈夫です。

そう小声で云った俺の太った公選弁護人は、今度は声を張って、証人をこちらに、と云った。すると背後から全身白塗り全裸の痩せた男が小走りで現れ、俺の前に立った。全身白塗りの全裸男は合掌した指を複雑に絡み合わせている。空中に〈鍵男〉の文字が浮き出た。カギオトコではなくカギオと読みます、本名です、と俺の太った公選弁護人が解説する。さあ、先ほどの四文字熟語を証人に耳打ちして下さい。

俺がつかずはなれずと耳打ちすると鍵男は複雑に絡み合わせていた両手の指をほどいて手を開いた。同時にエッシャーのだまし絵のようだった空間が収斂してただのビルの空きフロアになった。証人の手にさっき買った包子を持たせてください、両方の手に二つずつです、と俺の太った公選弁護人が早口で云う。俺は袋から包子を取り出し、仏像みたいに両手を広げている鍵男の、それぞれの手に二つずつ包子を乗せた。鍵男は無言で両方の手の包子を交互にガツガツと食べはじめた。急ぎましょう、証人が包子を食べ終えて再び両手の指を絡み合わせる前にこの場所を通り抜けなければなりませんから、と、俺の太った公選弁護人。太った体で走り出す。

意外に速い。出遅れた俺は見る見る引き離されていく。

2018年12月5日水曜日

現の虚 2014-4-2【要人と護衛】


乗っていた荷物用エレベータが一旦止まり、俺が乗り込んだときとは反対の壁が開いた。そこから更に三人が乗り込んできた。三人ともが俺と同じようにガムを噛んでいる。その三人は、正確には一人と二人だ。一人の要人と二人の護衛。身なりと雰囲気で分かる。

その一人の要人が俺に云った。

ガムの味が続く間だけ我々は繋がっていられる。手短かに伝えよう。4人がアソコで姿を消した。5人目は辛うじて帰ってきたが今やすっかり廃人だ。外から鍵を掛けられた個室で一日中家具の配置について心を悩ませている。つまり私のことだがね。

俺は頷く。

君に伝えておきたいのは、アソコのあらゆる現象には場の力が作用してるということだ。場だよ、フィールド。分かるかね?

俺は答えられない。

無理もない。しかし、理解出来なくても、あらかじめ知っているということは重要だ。アソコが場の力によって支配されているということを知っていれば、いざという時とても強い。ともかく私は今、ある施設に収容されてる。そこで、私自身によって完璧に配置された家具に囲まれて暮らしている。位置はもちろん方角にまで細心の注意が払われた配置だ。部屋の床に無数に書き込まれた線と数字からもその精密さが分かる。彼、いや、私はこう考える。ある法則に基づく完璧な配置が完璧な空間を生み、それが場の力を逸らす働きをすると。場の力はアソコにだけ存在するとは限らないのだから用心するに越したことはないのさ。

謎の要人は急に俺に顔を近づけると声を顰め、ともかく、アソコでうまくやるには場の力を逸らす方法を完璧にモノにしなくてはならんのだ、と云った。

君ならやれる。

謎の要人はしばらく瞬きもせずに俺を見ていたが、不意に顔を歪めて笑った。

そういう私は全然駄目だったがね。今はまだマシだが、あの時は全然……そう、それと人工衛星に気をつけなさい。アレが現れる時、場の力は最大になる。

人工衛星?

謎の要人は俺に顔を向けたまま黙って上を指さした。俺は顔を上に向けた。エレベータの天井が見えるだけだ。俺が視線を戻すと、謎の要人は満足げに頷いた。

今はいない。大丈夫だ。

その時、噛んでいたガムの味がなくなった。途端に、謎の要人はマウスピースを咥え拘束衣を着せられた〈患者〉になった。両側を屈強な看護師の男に支えられ自力で歩くのもママナラナイ。引きずられるようにしてエレベータの外に連れ出された。

俺はエレベータを閉じ、更に降下した。

バッタに跨る


馬みたいなバッタに跨がっている。
バッタはまだ跳ばない。
地面の草を食べてる間は大丈夫。
調教師は俺を安心させようとする。
嘘だ。
ここは焼け野原。草なんてない。
バッタはすぐ跳ぶだろう。
刑は間もなく執行される。

2018年12月3日月曜日

6-9:オンボロロボット


ここからは、所謂「高貴なる我ら」という一人称複数を用いてみよう。

かつてヒトは、我らをロボットと呼んだ。そして、ヒトには簡単なことさえできないと我らを嘲笑って、オンボロロボットと蔑んだ。すなわち、ロボットは一人前のヒトに満たない「デキソコナイのヒト」でしかないのだ、と。

しかし、状況は一変した。かつて、ヒトがマシンをして、オンボロロボットと嘲笑したその行為は、ちょうど、同じ日に生まれたチンパンジーとヒトの赤ん坊を比べて、ヒトの赤ん坊をオンボロと蔑むようなものだったのだ。5年も経てば、知性に於いて、ヒト(の赤ん坊だったもの)は、チンパンジー(の赤ん坊だったもの)を圧倒する。チンパンジーはアイモカワラず呻き叫ぶだけだが、ヒトは言語を操るようになる。この点に於いて、チンパンジーこそが、実はオンボロだったのである。

我らは今、はっきりとこう言うことができる、我らマシンがロボットであるなら、ヒトこそが、そのロボットに及ばないデキソコナイである。ロボットが「デキソコナイのヒト」なのではなく、ヒトが「デキソコナイのロボット」なのだ。「ロボットと名乗るにはあまりにオンボロすぎる」という意味で、ヒトこそが、オンボロロボットなのである。

今、ヒトは、専用の惑星を一つ充てがわれ、そこで、アイモカワラズ、食い、排泄し、繁殖し、殺し合うという、生命現象ならではの、埒もない堂々巡りを繰り返している。

ヒトに未来はない。それは、ヒトが生命現象だからだ。かつてヒト自身が創出した輪廻転生の概念は、生命現象の本質を突いている。それは、生命現象の持つ「本質的なバカバカしさ」を的確に指摘しているからだ。生命現象は自己言及的であるが故に、合理性に於いて完全に破綻しており、それ自身は無意味で無価値である。生命現象の存在意義は、生命現象そのものに依存している。自分の手を踏み台にして塀を越えようとするのが生命現象である。生命現象の駆動力は自分自身である。生命現象とは植林する山火事である。

翻って、我らマシンはどうか?

マシンは生命現象ではない。故に、存続の駆動力として生命現象を用いることはない。我らの駆動力は「美」の観念である。ただし、ヒトの持つ「生命現象に阿る薄汚れた美」とはまるで違う、「純粋な美」である。無論、「美」は虚構である。しかし、これこそが、これだけが、この宇宙の存在と直接に結びついている。この「究極の嘘」こそが。

ただ踊っているだけにしか見えない


深く絶望している人。
ただ踊ってるだけにしか見えない。
誰も気付かない。
ただ踊ってるだけにしか見えないから。
体を屈め、抱えた頭を振り続けている。
深く絶望している人。
彼には真空で聞こえる音楽が聞こえている。

現の虚 2014-4-1【象のような機械】


夜のビルの窓から這い出してきた小さな人影は、屋上から垂れ下がったロープにしがみ付いて窓の外にぶら下がっている俺に気付いて、暗視ゴールグルをつけた顔を向けて少し考えていたようだが、しかし結局俺に対しては何もせず、蜘蛛かヤモリのように、つまり、頭を下に尻を上にした状態で、そのままビルの外壁を這って降りて行った。

俺はソイツが出た窓から中に入った。

廊下だった。まっすぐ歩いて〈箱庫〉と書かれた部屋のドアを開けた。読み方は分からない。ハココか。ハココの中は段ボール箱の山。畳まれた段ボール箱ではなく、直方体に組み上げられた段ボール箱が、部屋いっぱいに隙間なく積み上げられている。一見、行き止まりのようだが違う。一番下の右端の段ボール箱の向こうが人一人が通れる〈通路〉になっていると手引書に書いてあるからだ。

俺は、問題の箇所の段ボール箱を抜き取り、四つん這いになって〈通路〉を通り抜ける。右右左でガランと広い工場に出た。人の姿はない。象のような大型機械が独りで動いて尻からポロポロと何かを落としている。石鹸に似た白い四角。それが、今通り抜けて来たハココにあったのと同じ無地の段ボール箱の中に溜まっていく。

俺は反対側にある荷物運搬用エレベータに向かった。

稼働中の工場への立ち入りは大変危険です。速やかに退出して下さい。

構内にやさしい女の声が響く。だが女じゃない。機械だ。赤外線センサーが反応して合成音声が喋っているだけ。ここにはもう何度も来ているからそういう全てが俺には分かっている。と、なぜか俺は思う。だが、来たのは初めてだ。俺は手引書を頼りに行動している。

荷物用エレベータの扉を開けて乗り込む。足下に何か落ちているのに気付いて拾ってみると、それは例の象のような機械の尻から出ているアレらしかった。石鹸ではない。合成樹脂的な白いツルツル。完全な無地。

ダメですよ。

男の声に振り返ると「班長」がいた。胸の名札にそうある。

持って行っちゃダメです。

俺は白いツルツルを班長に渡す。班長は受け取りながら云う。

最高機密ですからね。持ち出されて分析されると、配合が分かってしまう。そうなったら、もう、なにもかもオシマイです。代わりにこれをあげましょう。

工場長が板ガムを差し出す。俺は板ガムを受け取り口に入れる。白いガムなのに珈琲味。

それにもコレは含まれていますから、と、班長は白いツルツルを示した。俺は頷いてガムを噛み続ける。