2018年12月14日金曜日

現の虚 2014-4-5【ソフトコンタクトレンズの日】


紫外線が線になって降り注ぐ無人の屋上プールで、僕は、味のないガムを噛みながら、黒い蝙蝠傘をさして立っている。ここの空からは、線になった紫外線以外にもいろいろと降ってくるから、晴れていても傘が要るのだ。

今もまた、雨とか雪とか雹とかではないナニカが空からキラキラと降っていて、僕の蝙蝠傘はパツパツパツパツ鳴っている。降っているのは蛙や鰯ではない。もちろんお金でもない。コンタクトレンズだ。コンタクトレンズが雨のように降っている。僕はしゃがんで一つ拾う。

ぐにゃりと柔らかいソフトコンタクトレンズ。

プールの水が跳ねた。水泳選手がプールの水から頭だけ出して、お急ぎですか、と僕に訊く。僕は、別に急いでませんよ、と答える。

合い言葉だ。

水泳選手はオレンジ色の硬質樹脂製の競泳用ゴーグルをしたまま空を見上げ訊く。今日のこれはなんだい。僕は、ソフトコンタクトレンズだ、と教えてやる。へえ。水泳選手はそう云って、プールサイドに溜まったコンタクトレンズをまとめて掴むと、手の中のそれをしばらく眺め、コメントなしで投げ捨てた。今日はメッセージを預かってきたよ、と水泳選手はどこからか携帯電話を取り出す。プールの水でずぶ濡れだ。完全防水だから平気さ。水泳選手はそう云って、折り畳み式のそれを広げ、どこかを押す。ほら、聞けよ。水泳選手はずぶ濡れの携帯電話を僕に差し出す。僕はずぶ濡れのそれを耳に当てメッセージを受け取り、メッセージの内容に反応して空を見上げた。もちろん、コンタクトレンズが当たって目を開けていられない。水泳選手も空を見上げ、コンタクトレンズがジャマで見えないな、と云う。

僕は携帯電話を水泳選手に返す。水泳選手は携帯電話を折り畳んでどこかにしまい込むと、指示どおりプールの栓は開けておいたから、と云った。ありがとう、いつも助かるよ、と僕。いや、じゃあ、オレは帰るから。水泳選手はそう云うと、大きく息を吸い込んでズボッと水中に消えた。

入れ替わりに何もない黒い顔が一度に百人、水面に現れる。百人はただ影だ。百人の影は次々にプールから上がると、四つん這いでそこら中を這い回る。みんな自分が落としたコンタクトレンズを探しているのだ。しかしそうしてる間もコンタクトレンズは次々と空から降ってくる。

僕は噛んでいたガムをプールに投げ捨てた。百人の黒い影が一斉に僕を見る。僕は大きな音で鼻をすすって、百人の黒い影をいっぺんに消す。