管理人室はプールの内側の壁の中にある。だから、水が張ってあると出入りできない。そこでプールサイドに立ち、賢者に貰ったイニシエの剣を掲げる。するとポポロポーンと音がして一瞬でプールの水が引く。
というのはウソで、普通に排水口の栓を開けてもらっただけ。
僕は水を抜いたプールに降り、丸いガラス窓を覗き込む。管理人室は空だった。物は揃っている。人影がないという意味だ。結構な水圧に耐えなければならない管理人室の入り口は潜水艦のハッチに似ている。僕はハンドルを回して扉を開け、勝手に中に入る。管理人とは知り合いだから平気だ。
管理人とは知り合いか。確かにそうだが、しかしどうだろう。人間でも動物でもない人工物に「知り合い」という言葉は使えるのか。こっちは確かにアッチを知っている。しかしアッチは本当にこっちを知っているのか。そもそも誰かを知っているとはどういうことなのか。
などと考えながら、僕は奥の座敷に勝手に上がり込むと、そこにあった座布団の上に胡座をかいた。そうやって、新しいガムを噛みながら待っていると、トイレから管理人が出てきた。
なかなか人間らしく振る舞うコツを心得ている。
管理人は妙な関西弁で、あんたまた勝手に水抜いて、と僕を非難してから壁のボタンを押し、プールに水を張り直した。ここでの水は「場の力」の干渉を防ぐバリアであり、情報を受け渡すインフラでもある。「水は盾、水は道」なのだ。管理人がプールを空のままにしておくのを嫌がるのは当然だ。
管理人は、見た目60くらいのオッサンで、「エリちゃん」と呼ばれている。女の子のエリちゃんとはイントネーションの違う、苗字の方のエリちゃんだ。そのエリちゃんが湯飲みを二つ取り出して、飲むやろ、と僕に訊く。返事は待たない。エリちゃんの淹れるお茶はいつも急須の口からボコボコと弾け出るほど沸騰している。湯飲みを覗き込むと湯気だけで火傷しそうだ。だがそんなシロモノをエリちゃんは少しも冷まさずグイグイ飲む。僕には無理だ。
砂漠谷か、とエリちゃんが訊く。僕は頷く。よっしゃ、ほならパーっと描くわ。エリちゃんはそう云うと作業を始めた。いつもの三色ボールペンをカチカチやって、その辺にあった紙箱の裏に地図を描いていく。
会うのはそう難しいことやあらへん。けど、ヤッツケルのはまた別の話や。生き延びた連中はみんなうまく逃げただけやからな。マトモに立ち向かった連中はもれなく死んどる。