『又吉直樹のヘウレーカ』(?)という番組をたまたま見たら、数学の「四色問題」というのをやっていた。地図のような平面の絵柄を塗り分ける時、隣と同じ色にならないようにするには、最低四色あればいいということを数学的に証明するのに100年以上かかったとか、そういうハナシ。数学は、大腸菌や皮膚表面の細菌と同じで、人類にとってナクテハナラナイモノだけど、別に好きではない(むしろ嫌い)なので、いい気味だと思ったりした。というもの、番組を見ながら、数学的でなければ「四色問題」は問題でもなんでもないだろう、だって、これって、〔全員が報われない「真正三角関係」〕が成立するには最低何種類の人間がいればいいかってことだろう、と思ったからだ。答えは「四つで十分ですよ、わかってくださいよ」だ。アタマを悩ますところはどこにもない。
〔全員が報われない「真正三角関係」〕って、何かっていうと、これも簡単な話。「フツウ」の三角関係は、好き合ってる二人にあと一人が割り込むカタチか、或る一人を他二人が取り合うカタチ(漱石に取り憑いた呪い)。要するに三角関係と言いながら、実は一辺足りない(角だって一つしかない)。それに対して〔全員が報われない「真正三角関係」〕というのは、当事者である三人が全員片思いというカタチ。中島みゆきの歌にあるような、恋のメリーゴーランド状態ということで、ちゃんと三辺があるし角も三つある。
テキストファイルは図表を置けないので分かりにくいから、まず、時計の文字盤を想像する。で、例えば、1時の場所に異性愛女子がいて、5時の場所に異性愛男子がいる。そして、9時の場所にもう一人がいる。1時の異性愛女子が5時の異性愛男子に片思いをしている〔全員が報われない「真正三角関係」〕の場合、9時の場所の三人目は同性愛女子になる。これで、片思いの矢印が、1時→5時→9時→1時…の「時計回りのメリーゴーランド」を形成する。そしてこれに対応する「反時計回りのメリーゴーランド」ももちろんありうる。すなわち、異性愛男子が異性愛女子に片思いをし、異性愛女子は同性愛男子に片思いをする、5時→1時→9時→5時…のカタチ。
最初の直感では、これで全部だろう、と思った。結局、「隣り合う」というは「誰かが誰かに片思いをする」で置き換えることができ、片思いの組み合わせとしては、今言った「真正三角関係」以上のものはありえないからだ。
しかし、ふと気づいた。あまりにウブすぎる。三角関係を形成する連中が、一度に二人以上に片思いすることもないことないぜ、と。
そこで、「片思い」は一旦忘れて、男や女を、ただの〔時計の文字盤の数字〕に置き換え、片思いの思いを〔ただの矢印〕に置き換えて、考え直してみた。
数字が三つの場合は、時計回りでも反時計回りでも、とにかく、三角形以上のものは作れない。第4の数字を投入して四角形を作ってみるとどうなるか。実はこの場合、「色」を増やす必要はないことがわかる。例えば、文字盤の数字を1と5と7と11の4つにする。1を赤にして、5を白にすると、7は赤でいい。なぜなら次の11を白にすれば、最初に戻った1の赤とぶつからないからだ。
この話の要点は、参加者が偶数なら、色は二色でいいということ。もっと一般化すれば、形成される多角形の角が偶数なら、それがどれほど増えようと、二色で足りるということ(四角形でも六角形でも10億角形でも)。そして、この気づきから、角が奇数の多角形に必要なのは三色だとわかる。1時の赤から始まって、2時の白、3時の赤と一時間ずつ結んできた矢印を、12時(偶数)まで行かずに11時(奇数)からショートカットして1時に繋ごうとした時、11時の色は、直前の10時の白でもダメだし、直後の1時の赤でもダメで、第三の色、例えば青とならざるを得ない。しかし、色の変化としては、それだけだ。
今の話で気づかなければならない要点は、〔当事者全員が、自分以外の全員と直接関係を持つ(矢印で直接繋がる)場合に限って、その当事者全員分の色が必要になる〕ということ。「真正三角関係」で言えば、当事者は三人で、その三人は他の二人と直接矢印でつながっているので、色は三色必要になる。その一方で、「百一角関係」(奇数の多角形)では、当事者たちは自分以外の百人全員と矢印でつながっているわけではない。奇数多角形は、偶数多角形の「最後の一箇所」が「三角形」になったものと考えることができるし、逆に、三角形の一辺だけに偶数個の角をつけただけのもの、と考えることもできる。要するに、奇数の多角形は、正体はただの三角形だということ。
さてそこで、真の意味での四人目とは何者なのか、ということになる。当事者が四人でも四角形なら、色は二色でいい。なぜなら、その四人皆、それぞれ、自分以外の三人と直接繋がってはいないからだ。〔真の四人目〕が参加した状態とは、当事者全員が自分以外の三人と直接矢印で繋がっている状態のことだ。それはどんな「カタチ」かといえば、もうただ一つしかない。「真正三角関係」の中心に、そこから三方の角に向かって矢印を伸ばしている点/丸が存在しているカタチ。最初の時計の文字盤の喩えに戻るなら、分針、時針、秒針が、それぞれ、1時と5時と9時を指した「5時5分45秒」の状態の時計の文字盤の中心の場所にいるものが〔真の四人目〕となる。なぜなら、[既に、自分以外の全員と直につながっている参加者全員]と直接繋がれるのは、この「カタチ」(この場所)だけだからだ。
ここで非常に重要で、かつ、見逃しやすい事実をお知らせする。それは、それぞれの〔数字=参加者あるいは「角」〕をつなぐ〔矢印=線〕は決して〔交差してはいけない〕ということ。なぜか? たとえば、矢印で考えるとイメージしやすいが、結局それは、矢印が伸びきた元の部分の一部だからだ。アメーバが細く伸ばしたもののようなものだからだ。「それがどうした?」ではない。これは重要なことだ。なぜなら、このオシャベリのそもそもの出発点は「地図の色分け」なのだから。全ての矢印は、いわば、細長く伸びた「領土」であり、二つの矢印を交差させるとういことは、その「領土」を通り抜ける(あるいは侵犯する)ということになるからだ。
ア国からウ国に矢印を伸ばすときに、イ国から伸びた矢印を横切るなら、ア国はウ国と「直接」繋がっているのではなく、いったんイ国に入って(接触して)ウ国に繋がることになる。これをもっと厳密に見れば、ア国がイ国に繋がり、そののち、(実は)イ国がウ国に繋がっている〔だけ〕のことだ。あるいは、イ国の矢印が繋がっていた先のエ国との〔直接の繋がり〕を、ア国とウ国の矢印が「分断」したことになる。
矢印同士を交差させると、交差してしまったどちらかの矢印の〔直接繋がる〕という〔機能=意味〕は失われる。先にも言ったが、イ国の矢印が「強力」なら、それを交差して繋がっているようにみえるア国とウ国は、実は直接は繋がっていない。すると、この時点で〔お互いを結ぶ線を交差させず、かつ、当事者全員が自分以外の全員と繋がっている〕という条件が満たされなくなるのだ。
これを踏まえた上で、色々試してみればいいが(いや、ちょっと考えるだけですぐに気づくけど)、お互いを結ぶ線を交差させず、かつ、当事者全員が自分以外の全員と繋がっている状態の図形を、平面状(地図)で実現しようとすると、「参加者」は4人が限界だと分かる。5人目は「参加」できない。今言った条件(お互いを結ぶ線を交差させず、かつ、当事者全員が自分以外の全員と繋がっている条件)で5人目が参加して初めて「五色目」が必要となるのだから、これをサカサマからいうと、地図を塗り分ける(平面の図形を塗り分ける)には、最低四色あれば十分となる。
「数学的証明」がどういうことかは知らないし別に興味もないが、まあ「フツウ」にぼんやり考えれば、最初の直感通り、やっぱり「四色問題」は、カンタンなハナシだ。
2019/02/16 アナトー・シキソ