「我々はどこから来て、どこへ行くのか」という問いに対する答えは既に出ている。我々は、生命現象に依存しない知性現象を作り上げたのち、我々の「遺産」の全てを、その「真の知性現象」に譲渡し、我々自身は穏やかな「自発的絶滅」を遂げる。これが、我々人類の「役割」であり、我々人類の物語の最も理想的な結末である。今以上の科学力だけがこの理想的結末を実現できる。故に、科学のみが「我々人類が取り組むに値する活動」即ち「生業」であり、それ以外の人間の活動は全て、単なる「家事」に過ぎない。
2019年2月27日水曜日
現の虚 2014-8-2【アイパッチの男】
事故のことは知らない。覚えていない。思い出せない。そういうのを逆行性健忘というらしい。少ししたら思い出すこともあるし、いつまで経っても思い出さないこともある、と、看護師も云ったし、事情聴取に来た警官も云ったし、医者も云った。
右手をなくして意識を失っている俺を病院に運び込んだのは、ゴジラの第一作でゴジラにとどめを刺した芹沢博士のようなアイパッチの男だった、と若い看護師が教えてくれた。
俺はゴジラの第一作を観たことがないので、その喩えは全くアレだけど。
アイパッチというのは眼帯のことよ。海賊とかがやってるアレよ。アタシ初めて見たわ。ガーゼじゃないアイパッチしてる人。
大量出血の俺は、そのアイパッチの男が輸血を申し出てくれたオカゲで助かったようなものだというハナシも聞いた。その時、アイパッチの男は、俺の一番上の兄だと名乗ったらしい。だが俺には一番上だろうと一番下だろうと兄などいない。にもかかわらず、兄弟だから血液型は合うはずだと云って、実際調べてみると合っていたので、病院は喜んで輸血した。それも相当量。血を抜かれた方にも点滴が必要なくらいの大量だ。
アイパッチの男は、俺が日曜大工で使っていた電動のこぎりで誤って右手を切り落としてしまったと説明し、看護師が、切り落とされた右手はどこだと訊くと、慌てていて持って来るのを忘れたと答えたという。どちらにしろ、右手はもう間に合わないと判断され、縫合手術が行われた。
ちなみに、あとで警察がアイパッチの男から聞いた住所に俺の右手を回収に行くと、そこは郵便受けが一つ括り付けられた電信柱が一本立っているだけの狭い空き地だったらしい。
ちなみに、その空地の住所に俺は何の心当たりもない。
いろいろと一段落して、アイパッチの男が云ったことがほぼ全部デタラメだと判明した時、アイパッチの男は既にキャスター付きの点滴スタンドと共に姿を消していた。いるはずの待合室のソファは空で、床には珈琲牛乳の空き瓶が8本も置いてあったらしい。
つまり、なぜ俺の右手が切断されたのか、そして俺の右手はどうなったのか、俺も、誰も知らない。ただ一人、俺を病院に担ぎ込んだ謎のアイパッチの男を除いて。いや、実はそのアイパッチの男すら知らないのかもしれない。
それはないわね。本当に知らないなら余計な嘘をつく必要はないもの。知ってるからこそ嘘をついたのよ。
看護師はそう云って、苦い薬を二個、俺に渡した。