「我々はどこから来て、どこへ行くのか」という問いに対する答えは既に出ている。我々は、生命現象に依存しない知性現象を作り上げたのち、我々の「遺産」の全てを、その「真の知性現象」に譲渡し、我々自身は穏やかな「自発的絶滅」を遂げる。これが、我々人類の「役割」であり、我々人類の物語の最も理想的な結末である。今以上の科学力だけがこの理想的結末を実現できる。故に、科学のみが「我々人類が取り組むに値する活動」即ち「生業」であり、それ以外の人間の活動は全て、単なる「家事」に過ぎない。
2019年2月13日水曜日
現の虚 2014-7-2【額の穴を這い出してくる黒い虫は煙草の火で焼け】
俺はアスファルトの坂をウンウン上って山頂にあるチョコモンブランが人気の洋菓子店に入った。お持ち帰りですか。首を振る。お召し上がりですか。頷く。お飲物はいかがしますか。そこにあった手書きのメニューから選んで指さす。
山の斜面に作られたバルコニーに出てチョコモンブランを食う。見下ろせる街が意外に近い。それからエスプレッソを飲む。いい天気だが少し風が強い。ライターの炎が弱くて、くわえた煙草に火がつかない……
どうぞ、と知らない女の手がジッポーを差し出してチンと蓋を開けた。顔を上げると超ショートカットのすごい美人。唇をつやつやさせて微笑みながら、アナタの新しい秘書です、と云う。僕は面食らった。
そのとき突然、研究室の中の音が消えた。籠の中で回し車を回していたハムスターも回し車ごとぴたりと止まり、迷路を歩き回っていたラットも止まった。さっきから僕の顔の周りをうっとうしく飛び回っていた小虫も空中で止まっている。そして、すごい美人秘書もジッポーに火をつける直前の体勢で止まって、まばたき一つしない。
世界が凍った。僕は急いでリセットボタンを探すが見つからない。
まずいな。すぐ来るぞ。
そう思ったら、もう頭蓋骨の中でガリガリと音がする。
来た。虫だ。黒い虫が来た。
僕は机の上に置かれた緊急用の9インチ白黒ブラウン管テレビをつける。このテレビは古い仕組みのオカゲで影響を受けないのだ。画面に僕の頭の中が映し出された。僕の額の裏に取り付いた火星着陸船のような形の6本脚の黒い虫が、尻から伸ばしたドリルを使って僕の頭蓋骨に穴を開けている。
テレビから、妙に一本調子な昔のアナウンサーのようなナレーションが聞こえる。
私たちの頭から生まれたこの黒い虫は、放置すれば、知らぬ間に増え、いずれ世界を食べ尽してしまうのです。
白黒テレビ画面の中で、黒い虫のドリルが遂に僕の額の骨を突き破った。抑揚のないナレーションが、抑揚がないなりに切迫感を出す。
こうした場合の古老の知恵は煙草の火です。虫が出てきたところを狙い、煙草の火で一気に焼き殺すのです。
僕はくわえていた煙草を手に取った。
火がついてない……
これ、使って下さい。徳用マッチ箱を持った女の手が目の前にぬっと現れた。顔を上げると洋菓子店の店員だ。いいねえ。俺はその徳用マッチを擦って、煙草に火をつけた。軽く一服して、俺は額に煙草の火を押し付けた。店員の女は驚いたが、俺はもっと驚いた。