「我々はどこから来て、どこへ行くのか」という問いに対する答えは既に出ている。我々は、生命現象に依存しない知性現象を作り上げたのち、我々の「遺産」の全てを、その「真の知性現象」に譲渡し、我々自身は穏やかな「自発的絶滅」を遂げる。これが、我々人類の「役割」であり、我々人類の物語の最も理想的な結末である。今以上の科学力だけがこの理想的結末を実現できる。故に、科学のみが「我々人類が取り組むに値する活動」即ち「生業」であり、それ以外の人間の活動は全て、単なる「家事」に過ぎない。
2019年2月18日月曜日
現の虚 2014-7-5【棘の薮と真鍮の潜水服と白い手とオランウータン】
水底の林を抜けて少し歩くと、棘の藪に行く手を阻まれた。しかも、ちょっと回り込めばどうにかなるような薮ではない。こういう場合、フツウの水中なら薮の上を一気に泳ぎ越せばいいだけだ。だが、この水底では泳ぐことができない。体に全く浮力を感じないのだ。空気の代わりに水があるだけの違い。他は地上と何も変わらない。きっとこの水は、本当は水ではないのだ。水よりも、人間の体よりも、ずっと密度の小さい別のナニカで、だから人間の体に浮力が生まれず、僕も鉛人間のように水底を歩くしかないのだ。
つまり僕は、棘の薮を歩いて突破しなければならない。
やってみた。
痛い。無理。
枝をつまんで、引っかかった棘を服から一つずつ外し、一旦退却した。
藪の少し離れた所から白い手がヌッと出た。女の手。
僕は男だからすぐそう思う。
手が手招きをする。
僕は手の方に歩く。手が止める。僕は立ち止まる。手が、指をパチンと鳴らして指さす。大きな箱があった。だが鍵が掛かっている。すると手が、今度は僕のポケットを指さす。探ると鍵が出て来た。それを箱の鍵穴に差し込んで回す。開いた。中にはぴかぴか光る真鍮の潜水服が入っていた。服というか鎧。手が、着ろと促す。一人で着られる代物じゃない。手が指さす。遠くからナニカがウオウオ云いながらこちらに向かっていた。デカイ猿。あの感じはきっとオランウータン、森の人だ。
あっという間に僕のいる所までやってきたのは、やっぱり森の人だった。森の人は、万事了解済みという感じで箱から潜水服を取り出す。僕は森の人の手を借りて潜水服を着た。潜水服の丸い覗き窓から、手が「やったぜ」と親指を上げるのが見えた。森の人も、やっぱり親指をあげて、ウオっと云った。僕も、潜水服の手で親指を上げてみせる。それを、三人というか、三匹というか、まあ、全員で三回ぐらいやる。
手が、もういいだろう、と指を鳴らした。それから、こっちだ、と人差し指をクイクイやって、藪の中に引っ込んだ。僕は、森の人、つまりオランウータンにお礼かナニカを云いかけて、猿に分かるわけがないと思ってやめた。
真鍮の潜水服を着た僕は棘の藪に突入する。振り返ると、森の人はちょっと心配そうだった。僕は親切にしてくれた動物を安心させるつもりで、さっきの親指の「やったぜ」をやってみせた。森の人は親指を立て、体を上下に揺すった。
僕は、真鍮の潜水服のおかげで棘の藪の中をバリバリ進めて愉快だ。