「我々はどこから来て、どこへ行くのか」という問いに対する答えは既に出ている。我々は、生命現象に依存しない知性現象を作り上げたのち、我々の「遺産」の全てを、その「真の知性現象」に譲渡し、我々自身は穏やかな「自発的絶滅」を遂げる。これが、我々人類の「役割」であり、我々人類の物語の最も理想的な結末である。今以上の科学力だけがこの理想的結末を実現できる。故に、科学のみが「我々人類が取り組むに値する活動」即ち「生業」であり、それ以外の人間の活動は全て、単なる「家事」に過ぎない。
2019年2月6日水曜日
現の虚 2014-7-1【交差点事故】
スピードを出し過ぎた年代物のアルファロメオの後部座席。隣に座った太った女は口紅が赤すぎる。でもあの店は場所がダメよ。あんな山の上じゃあ。口紅が赤すぎる女がそう云って俺に首を振る。その瞬間、車は交差点を曲がりきれず横転し、そのまま裏返しに滑って信号機に激突して止まった。
裏返しになったアルファロメオの運転席から這い出した僕は、折れ曲がった信号機を尻目に角を曲がって裏通りに入った。無人の高層建築。駐車場跡に打ち捨てれた「閉店売りつくしセール」の幟を踏みつけ、存在しないはずの合鍵を取り出してビルの中に入り込む。
瀕死のエレベータ。扉の開け閉めにもある種の荘厳さがある。直線6本の組み合わせで0から9までの数字を作る階数表示の発光ダイオードは、右側の一列以外は全部死んでいて、0と1と3と4と7と8と9は全て1と表示される。2は上の縦棒、5と6は下の縦棒だ。しかしこのエレベータは僕以外使わない。階数表示の装置なんか、あってもなくても何も誰も困らない。
着いた。
途中の階の途中の部屋。そこが僕のアジトだ。無論、不法占拠。半世紀前のマッキントッシュコンピュータのシリコンチップに宿る亡霊が目を覚まして、スクリーンがボッと灯る。しばしの沈黙。椅子が軋み、やがて現れる光る文字列。
>またアナタですか。
僕は、そうだ、とキーボードを叩く。
>アナタは敗れたはずです。
親切な魔女に助けられたのさ。
>ほう。そのようなものが実在するとは驚きです。
実在したね。
>まだ続けるおつもりですか?
当然。
>勝ち目はありませんよ。
僕はキーボードから手を離し、煙草に火をつける。
僕はシツコイのさ。
>私を打ち負かすことは不可能ですよ。
やってみなければ分からない。
>しかしアナタはもう二度も敗れている。
三度目の正直という言葉を知らないのか?
天井に衝突音。階上の床に伏す孤独な自殺者。
>また一人、お亡くなりになられた。
オマエが殺した。
>ご冗談を。自殺です。
数週間後、訊ねて来た姉が弟の腐乱死体を発見し、戸口に立ち尽くす。
今どこにいる?
>私は常に人々と共にあります。
突然の電力供給停止による暗転。
でもこの店は場所がダメよ。緑色の口紅の痩せた女がそう云って、俺に雑誌を渡す。読者が選ぶ今一番食べたいスイーツ第一位。住所と簡単な地図。確かに場所がダメだ。こんな山の上じゃあ、どうしたって車が要る。例えば、あそこに停まってる古いアルファロメオみたいな車が。