「我々はどこから来て、どこへ行くのか」という問いに対する答えは既に出ている。我々は、生命現象に依存しない知性現象を作り上げたのち、我々の「遺産」の全てを、その「真の知性現象」に譲渡し、我々自身は穏やかな「自発的絶滅」を遂げる。これが、我々人類の「役割」であり、我々人類の物語の最も理想的な結末である。今以上の科学力だけがこの理想的結末を実現できる。故に、科学のみが「我々人類が取り組むに値する活動」即ち「生業」であり、それ以外の人間の活動は全て、単なる「家事」に過ぎない。
2019年2月26日火曜日
現の虚 2014-8-1【ニセ看護師がファントム・リムについて説明してくれる】
幻肢。ファントム・リムとも云います。右手を失っても、脳内の身体マップ上には右手の番地がまだ残っています。このとき、脳内の身体マップ上で右手の番地と隣接する番地にある別の身体部位が刺激を受けると、右手の番地の神経にもその興奮が伝わります。脳内の身体マップ上で右手の番地に隣接するのは右頬や右上腕部です。だから、右頬のある部分を触られると、もはや存在しない右手の指を触られている感覚が確かにある、ということが実際に起きるのです。これが幻肢、すなわちファントム・リムの基本です。そうそう、ヒトの脳内の身体マップの番地の配置はだいたいの共通性を持っています。つまり、人間が自分の右手の幽霊に会いたい時は、右頬を摩ればいいということです。
と、云った後、偽の看護師は横を向いて口紅を塗りなおした。俺は包帯を巻かれた右手首を見ていた。どう自分をごまかしても、俺の右手首の、その続きである右手はもはや存在してなさそうだ。長さが足りない。
あるインド系アメリカ人医師が自分で発見したのか、ただ他の誰かの発見を彼の本に書いただけなのかは忘れましたが、ファントム・リムはそういう仕組みです。損傷部というよりは脳の問題なんです。脳に構築されたマップの問題。だから、極端な話、例えば医療技術が異常に発達して、首から下が全てなくなったとしても生きていられることになると、本当はない首から下の体のファントムが出現する可能性もあります。それって面白いですよね?
なぜ?
なぜって、だって自分の体で実際に存在しているのは首から上だけということは、全体の体積比率で云ったら、その人がそうだと感じている自分は大方ただの思い込み、ファントム、つまり、幽霊ってことになるからですよ。
面白くないよ。
いいえ、面白いんです。今の話をドンドン極端にしていって、脳だけでも生きられるとか、いや、記憶や感覚だけを機械に移し替えても生きられるというふうにしていくと、ほら、もう現実に生きてる人間はどこにもいないのに、その人自身は生きてる人間そのものとして人生を生きることになる。他の人からは全然見えないし感じない。ほぼ一切の物理的干渉を受けることも与えることもないのに、その人自身は自分が一人の生きた人間だという確かな実感を持って存在し続けるワケだから…
おはようございます。朝食ですよ。
本物の看護師が入って来たと同時に偽の看護師はすっと消えて、見えなくなった。