2022年3月18日金曜日

〈野蛮〉の全否定

ロシアは大義名分が立てば[戦争・軍事作戦・侵攻作戦]は[許される・容認される]と考えた。多分今も(ギリギリ)そう考えている。そして、その「大義名分」は、「情報戦」によって「どうにでもなる=有耶無耶にできる」という自信も持っていた。なんせ、総大将は元KGBらしいし。


しかし、既に世界は〈次の段階〉に達していた。それを、岡田斗司夫流に言えば「ホワイト化」社会であり、アナトーさん流に言えば「脱・生命現象」社会。


呼び名はどうあれ、〈次の段階〉の世界では、〈野蛮〉が無条件に否定され嫌悪される。ここでの〈野蛮〉を具体的に言えば、暴力・体罰・拷問・死刑など、[肉体に直接「分からせる」〈コミュニケーション〉手法]のこと。無論、[戦争・軍事侵攻]は〈野蛮〉の巨頭。


今言ったことで一番重要なのは、わざわざ太字にしたからお分かりの通り、「無条件」の一語。これを今回の件に当てはめて言えば、ウクライナに対するロシアの「特別軍事作戦」(あるいは「侵攻」)のどんな「大義名分」も一切相手にされない、ということ。


例えば、「いかなる理由があろうとも、体罰は認めないし、相手を怒鳴りつけたり、脅したりすることも認めない」と主張し行動するのが、「ホワイト化」社会であり「脱・生命現象」社会。だから、ロシアのウクライナに対する「作戦・仕打ち」への[批判・反発・嫌悪]も、要は、「理由はなんであれ生徒への体罰は絶対に許されませんよ、校長!」と同じなのだ。


どんな「大義名分」を用意しても、〈野蛮〉の「免罪符」にはならない。歴史的背景、地政学、経済学、民族的シガラミ…何を持ち出してきても無駄。現に、他国に乗り込んでいって、他国の財産を破壊し、他国の市民を殺していること自体が、この〈次の段階〉の世界の価値観では完全にOUTなのだ。


先生と生徒の喩えがわかりやすいからそればっかり言うけど、先生が生徒を殴ったという事実は、[先生の意図や生徒の素行]の「真相」とは無関係に、[無条件で否定]される。それと同じで、ロシアが嘘をついているのか、ウクライナが嘘をついているのか、そんなことは、「ホワイト化」社会=「脱・生命現象」社会に生きる世界市民にとっては(実は)どうでもいいことで、どうしても[引っかかる・許せない]のは〈野蛮〉な振る舞いそれ自体。ここでの〈野蛮〉は(繰り返しになるが)、「他国に自国の軍隊を送り込んで、その国の人や物を攻撃・破壊すること」で、それをやっているのは(ロシア自身も認めている通り)ロシアであってウクライナではない。


だから、「情報戦」もへったくれもないのだ。元KGBでも何の足しにもならない。「妻(夫)を殴ったら即離婚で慰謝料」「生徒を殴ったら即免職で無職」。それと同じで「他国を軍隊で攻撃したら即世界から孤立」。


ロシアの「誤算」は、世界の価値基準が既に、軍事侵攻を、「体罰」や「拷問」と同様の「理由のいかんに関わらず、非人道的で受け入れがたい、蛮行以外の何物でもないもの」としていることに、事前に気づけなかったことにある。やっぱり、ああいう[お国の体制]だから、気付けなかったんだろうね。


ついでに言うと、ロシアも欧米も、「戦後」のウクライナを、第二次大戦後の日本みたいな「独立国」にしようと思ってるんだろうね。つまり、軍事的な意味で。


2022/03/18(む)