2022年3月21日月曜日

親父にもぶたれたことないのに!

アムロが「親にも...」ではなく、「親父にもぶたれことないのに!」と言うのは、古谷徹が星飛雄馬(=親父の星一徹にぶたれていた)の声優だから、と岡田斗司夫が言っていたので、また余計なコトを考えた。

あとで分かるように(「再会、母よ...」)、アムロにとって、母親は、日常と地続きの存在ではない。アムロにとって、叱かったりぶったりしてくれる可能性のある、つまり「リアル」につきあえる「親」とは「父親」だけ。アムロにとっての「母親」は、幼少期の「淡い思い出=イメージ」でしかない。ただのイメージでしかない存在が、仮定や可能性だけの話であっても、自分を叱ったり、撲ったりすることはありえない。アムロの中で、母親は、生身のつきあいができる(できた)存在ではない。だから、「親にも...」ではなく「親父にも...」になる。

いや、もっと単純に、やっぱり、「母親にぶたれること」と、「父親にぶたれること」は、「男の子」にとっては全く意味が違うからだろう。アムロが「親父にも...」というとき、それは自分を撲ったブライトに対して、「あんたはオレの父親か!」「自分の親父に撲られるのならまだしも、他人のあんたに撲られるなんて!」と言っているダケのこと。

そもそも、岡田斗司夫の主張とは逆に、あの場面のアムロの台詞が「親父にも...」ではなく「親にも...」だった方が違和感がある。というのは、あの場面のブライトの「暴力」は、「親の躾」の類ではなく、グズグズ言ってる年下のガキに対してアタマに来た19歳男子が16歳男子にヤキを入れてるだけだから。自分の子供に対してそういう「オトナゲない行動」に出るのは、親の中でも父親だけ。そしてそれは、撲られた側のアムロにも分かっている。だから、咄嗟に「親父にも...」というコトバが出たのだ。

まあ、知らんけど。

付記:「知らんけど」は、一般的になるずっと以前から使っていたのでこれからも使わせてもらうよ。すまんな、マリガン。