2023年7月8日土曜日

全く何の共感もできないことに驚く

ここ何週間か、「犬骨堂」の昔(10年前くらい前)の投稿の「整理」をしているのだけれど、何が好くてリブログしたのか、もはや全く分からない投稿(写真も動画も)が全体の半分以上もあって、戦慄している。

これは「成長」ということなのか? それとも、感性が鈍ったということなのか? 肌感では、「目が肥えた・舌が肥えた」という感じなのだが、まあ、アテにはならない。

しかし、『ストレイト・ストーリー』のアルヴィン爺さんも、年を取って唯一良かったことは、本物と偽物の区別が付くようになって、余計なものに振り回されなくなったことだと言っていたので、まあ、成長ということにしている。

2023年7月7日金曜日

『帰ってきたウルトラマン』の最終回が酷い

 団時朗が死んだので、ULTRAMAN OFFICIALで『帰ってきたウルトラマン』の最終回を特別配信していた。観た。酷かった。物語も、人物描写もガラクタ。子供のごっこ遊びをテレビ放映していたとしか思えない。

重要な点は、特撮がお粗末だから観てられないのではなく、物語自体がお粗末だから観てられないということ。

前にも言ったことがあるが、『完全版純情パイン』におまけでついている、未発表漫画ネームが、そうとう雑な鉛筆書きなのに、読んでいてオモシロイ。商品として完成してなくても、オモシロイものはオモシロイのだ。つまり、特撮がしょぼいことは、作品が「観るに堪えないガラクタ」であることの理由にも言い訳にもならないということ。

『帰ってきたウルトラマン』に限らず、昔のあらゆる特撮モノは、(初代『ゴジラ』を除いて)今見ると、そもそも物語として観てられない。物語製作者として、あの「ふざけた態度」は何なんだろう? 子供を含めた視聴者(観客)を舐めてるのかな?

若いときにああいうシロモノに影響を受けて、年を取ってから、あんなガラクタをわざわざリメイクしている人達にとっては、「撮影を工夫するオモシロサ」が全てなんだろう。まるで、オカズばっかりに凝って色々作り直すけど、いつまで経っても米が不味い弁当屋や定食屋みたいだ。

rough: 2023.07.06

 




2023年7月5日水曜日

『8 1/2』:メモ

◯『8 1/2』フェデリコ・フェリーニ監督/Prime Video/2023年7月5日/D. Lynchの「心の師匠」とでもいうべき、フェリーニの作品。煮詰まった映画監督が、現実の女たちに振り回されたり、妄想の世界にさまよったりする話。最後の最後も妄想。もしかしたら、「拳銃自殺」は現実で、最後の場面は「死後」なのかもしれない。

しかし、確かに、Lynchの「師匠筋」という感じの作品。現実と非現実(妄想や夢や異世界)を行ったり来たりする表現は、今の映画ではアタリマエになっているけど、どうやらその手法を初めてやったのが、この作品らしい。なるほど、だから、「何がそんなにすごいんだ?」感があったのか。『8 1/2』手法とでも言うべきものが、今やアタリマエになっているので、その凄さに気付けないということ。

2023年7月1日土曜日

『海街diary』:メモ

◯是枝裕和監督。綾瀬はるか、長澤まさみ、夏帆、広瀬すず/Prime Video
全編、4姉妹の「一人称」で描かれる映画。

2023年6月30日金曜日

『トイ・ストーリー』の残酷さ

「岡田斗司夫ゼミ」の「サイコパスの人生相談」を今も毎回面白く観ている。あれの面白さには2種類あって、一つは、アホな相談者に対して岡田斗司夫が「そんなことで悩んでるなんてアホちゃうか」スタンスで、〔身も蓋もない始末〕をつけてしまうこと。もう一つの面白さは、相談者はアホではないけれど、岡田斗司夫がサイコパス(自称)なばっかりに、岡田斗司夫の回答が「御長寿早押しクイズ」みたいになること。

前回視聴した「限定」での最後の相談「『トイ・ストーリー』は残酷ですよね?」は、後者の「御長寿早押しクイズ」の方の面白さだった。

相談者と岡田斗司夫は微妙にスレ違っていて、相談者は、〔子供は皆、大切にしてきたおもちゃを捨てるとき、現に(既に)辛い体験をしているのだから、子供にその辛い体験を思い出させる『トイ・ストーリー』は残酷な映画だと思う。そう思いませんか?〕と言っている(だけ)。

それを受けた岡田斗司夫の回答は、「本当のhumanism」だの「放っておくと子供は怪物に育つ」だのといろいろ御託を並べていたけど、要は、〔子供は、『トイ・ストーリー』のような作品で具体的に見せてもらわなければ、おもちゃを捨てるという行為の中にある「辛さ」に気付かないのだから、「残酷」な『トイ・ストーリー』はむしろどんどん見せるべき〕という内容。

つまり、相談者の〔思い出の詰まったおもちゃを捨てる体験は、誰もが体験する辛い思い出〕という前提と、岡田斗司夫の「思い出の詰まったおもちゃを捨てたくらいじゃ、子供は特に何も感じない」という前提のスレ違い。

どうしてこんなスレ違いが生じるのかと言えば、それはもう簡単で、相談者はサイコパスではないけれど(むしろフツウよりも繊細)、岡田斗司夫はサイコパス(自称)だから。きっと岡田斗司夫は、自身が子供の頃におもちゃを捨てても、相談者が主張するような「辛さ」を(サイコパスならではの共感能力の低さ故に)感じたことがなかったのだろう。

『トイ・ストーリー』に「教えられなくても」お気に入りのおもちゃを捨てることをひどく辛いと感じる「共感力(感情移入能力)」と、〔捨てられたおもちゃたちが悲しんでいる〕という具体的な映像やストーリーに接して初めてそれを辛いこと(酷いこと)だと感じられるようになる(というか「理解」できるようになる)「共感力」には、質的な違いがある。そんなことは、サイコパスではない我々なら自然に分かることなのだが(だって全然別物でしょ)、自称サイコパスの岡田斗司夫には気付けない。なぜなら、サイコパスにとっては、「自然に備わっている、生まれつきの共感力」など存在せず、「共感力」といえば、何かしらの方法で「学習」する「技術・処世術」に決まっているからだ。だから、岡田斗司夫は、「子供」が「共感力」を得るために、「残酷」な『トイ・ストーリー』(のようなもの)を観たほうがいい決まっていると、自信を持って主張する。

*変な喩えだが、ここにリアルな戦場を描いたベトナム戦争映画がある。相談者は、ベトナム帰還兵にそんな映画を見せることは「残酷」だと言っている。岡田斗司夫は、戦争を知らない世代が戦争の悲惨さを追体験するためには、「残酷」なベトナム戦争映画は観た方がいいに決まっていると言っている。この類のスレ違い。

*『トイ・ストーリー』よりも前に、自身の体験として、〔お気に入りのおもちゃと別れる辛さ〕を体験している子供の〔『トイ・ストーリー』の鑑賞体験〕と、『トイ・ストーリー』を観て初めて、今までに捨ててきた(捨てられてきた)おもちゃの「辛さ」に気付くような「低感度の共感力」しか持っていない子供の〔『トイ・ストーリー』の鑑賞体験〕は、〈質的〉に違う。それはちょうど、子供を持つ親と、子供を持たない者とでは、子供が小児がんで死ぬ映画の鑑賞体験が、質的に違うのと同じこと。

この相談者の「迂闊」は、岡田斗司夫がサイコパス(自称)だということを勘定にいれなかったこと。fine artsにも音楽(アニメソングを除く)にも、そして猫動画にすら「特に何も感じない(時間の無駄だと思っている)」岡田斗司夫が、捨てられるおもちゃに感情移入する類の「辛い」体験を現実の世界でするわけがないのだ。『トイ・ストーリー』のような分かりやすい映画になって初めて、「捨てられるおもちゃの辛さ」という種類の「辛い体験」に気づき、それを「肉親の死」とか「恋人との別れ」とかの入った「辛い体験フォルダ」に放り込み、以降は、ChatGPT的な使い方で、作品分析・作品解説に利用するだけ(言い過ぎ?)。

で、自分なりの「回答」を考えてみた。

サイコパスではない子供にとって、『トイ・ストーリー』は辛い体験を思い出させるという意味で「残酷」な映画である。しかし、そのような「残酷」な映画によって、辛い体験を「再体験」することで、「共感力」がより鍛えられ、養われていく面もある。その種の「残酷」な「再体験」の「効能」の対象となるのは子供に限らない。失恋映画や反戦映画が作られ続ける理由の一つはそこにある。

一方、サイコパス(傾向)の子供にとって、『トイ・ストーリー』は、〔人間というものは、無機物であるおもちゃにすら感情移入をしてしまい、手放すときには辛い思いをする〕ということを、当の「捨てられたおもちゃたち」が、具体的に、泣いたり怒ったり嘆いたり途方に暮れたりすることで、「気づかせて」くれるという点で、実に有用なものだ。『トイ・ストーリー』のような映画は、言ってみれば、「共感力難聴」である〔サイコパスな子供〕の耳元で「共感するとはナニカ」について叫び、それについて「学習」を促す作品である。


追記:

今回の他の相談のときに、「犬を虐待するやつ(人間)は死ね」とか「猫を虐待するやつ(人間)は死ね」とか言う人たちに対して、岡田斗司夫は全く何の共感も持ってないことを、嬉々として、表明していたよね。むしろ、そういう人たちをバカにしていた。その理由として、「本来の意味」の「humanism:人間中心主義」について語っていたわけだけど、それが毎度おなじみの、サイコパスならではの「的外れ」だということは、サイコパスじゃない我々にはすぐに分かるんだけど、当人にはわからない。フツウの人が、「猫を虐待するやつは死ね!」と叫ぶときに、そう言わせているのは「共感力」なんだよ(この場合、虐待された猫に対する共感)。それは理屈や合理や思想や主義ではなく、むしろ本能や反射に近いもの。だって、繰り返すけど、共感力=感情移入能力(empathy)だから。それは昔、Philip K. Dickが散々こだわっていた、人間と〔人間のふりをした者〕の違いを生む能力のこと。レプリカント斗司夫は「フォークト=カンプフ検査(Voight-Kampff Testing)」に必ず引っかかるだろうなあ。

2023年6月29日木曜日

今夜はごちそうさま


のちに、『料理の鉄人』とか『美味しんぼ』とかを素知らぬ顔で面白がっていましたが、根底にあったのは常に、少年期に決定的な衝撃を受けた『今夜はごちそうさま』(カセットテープ)でした。伊武雅刀(というか畠山桃内)が「沈丁花のハタが…」とセリフを噛む所まできっちり覚えてしまったほど、聞き倒しましたからねえ。

そうそう。この動画ではカットされているけど、エンドロールに出てくる曲のリストに、Nina Hagen(映像の世紀バタフライエフェクトですっかり有名な〔アンゲラ・メルケルさんの心の歌手〕)とか、YMOの「体操」とか、Bowieの「Ashes to Ashes」があって、さすが桑原茂一と。

あと、ラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」が流れる悲しげなエンドロールの最後に出てくる、似非科学の精神「治療」で廃人にされた(ような)三人が映った白黒写真がすごくイイ。「当局に、拘束されて、放り込まれて、今はもうこんな感じで、すっかり無害になりましたよ」感。イイ。

2023年6月25日日曜日

『その日、カレーライスができるまで』:メモ

Prime Video/主演のリリー・フランキーを堪能する映画。というか、リリー・フランキーしか出てこないし。嫁さんに逃げられたおっさんが、妻の誕生日に毎年作っていたカレーライスを今年も作る。心臓病で幼くして死んだ子供。同じ病気で死にかけている、同じくらいの子供のために、勝手に募金活動をしている。ラジオ番組「いい加減イブニング」の、夫婦二人揃ってのヘビーリスナー。ちょっと心霊。たまたまだけど、エンディング曲と挿入歌は安部勇磨だった。プロデューサーの齊藤工って、あの「シン・ウルトラマン」の齊藤工?(調べたらそうだった)。リリー・フランキーの一人芝居なのは、撮影されたのがコロナ真っ只中だったからだね、多分。



サギペディア

極たまに、フツウに面白く観れる番組に当たる『レギュラー番組への道』の、今回観た『サギペディア』は、その「極たまに」だった。佐木村学(本田博太郎の「熱演」)も好かった。漫画も好かった。雑談(?)も好かった。手品も好かった。

2023年6月22日木曜日

で、昭和を大きく使えましたか?

『水曜日のダウンタウン』の「昭和はむちゃくちゃだ系の映像、全部ウソでもZ世代は気付かない説」を面白く観た。

伊集院の「口からでまかせ」能力が凄かった。で、なるほど、と思った。新興宗教とか、特殊詐欺とか、エセ科学とか、陰謀論とかが今でも成立しがちなのは、〔ブラックロッジから出てきた「悪い」伊集院〕みたいなのが、世の中にいっぱいいるからだろうな、と。

あと、ジュニアの「昭和を大きく使ってください」も好かった。