2018年12月28日金曜日

現の虚 2014-5-1【アリギリス】


忘年会で散々飲んで、それじゃあまた、と店の前で別れたのはいいが、大雪の路上でタクシー三台に無視され、やっと止まった四台目は後ろから割り込んで来た知らない女に乗られ、いっそ歩いて帰るかと歩き始めたら、こんな大雪なのに寒さを全く感じないので、相当に酔っているなあ、と我ながら心配になりつつも、歩き続けていれば寒さは気にならないのも事実で、けど、もちろん、真冬の夜に酔っぱらいが一人で長い道を歩いて帰るのはちょっとした賭けだから、もしかしたら俺は死にたいのかもしれない、などと思いながら、こっちの方が少しだけ近道だと知っている路地に入ったら、そこは思っていたのとは全く違う袋小路で、行き止まりの塀の前に雪に埋もれかけた飲み物の自販機があり、じゃあせっかくだから熱い缶珈琲でも買うか、とポケットから財布を出したところで全商品に売り切れランプが付いているのに気付き、ルートマンがサボったのか、こんなドンツキだから存在自体を忘れられたか、いやまさかそんな、などと考えながら、財布をポケットに戻して回れ右をし、その拍子にバランスを崩して雪の上に倒れ、ナニカで頭を打ってそのまま気を失った。

と、そんな記憶。

気付くと俺は自分の携帯を握って雪の中に半分埋もれていて、見知らぬ小柄の女が、俺を雪の中から引きずり出そうと俺の脚を掴んでグイグイ引っ張っていた。俺はその刺激で意識を取り戻したらしい。

あ、アンタ、気が付いたんなら自分で出なさいよ。

と、その小柄の女は云った。体は小さかったが子供ではない。銀色のヘルメット、二眼ゴーグル、白いマフラー、茶色の革のツナギ。つまり古典的バイク乗りスタイル。ただ、バイクには跨がってなかったし近くにバイクも止めてなかった。

俺は立ち上がって雪を払った。バイク乗り風の小柄の女は俺が倒れていた場所に屈み込むと、手袋をはめた両手でそっと雪を掻いて何か探し始めた。

いた!

小柄の女は手袋を脱いで、素手で雪の中からナニカをつまみ上げた。見せてもらうと小さな黒い虫だった。

なに?
アリギリスよ。
アリギリス?

小柄の女は背負っていた鞄を降ろして中から瓶を取り出した。瓶には金色の液体が入っている。瓶の蓋を開け、今拾った虫を金色の液体に沈めた。

虫は一瞬モガいてすぐに動かなくなった。

アリギリスはアリのフリをしているキリギリス、と瓶の蓋を閉めながら小柄の女が云った。そして、今のアンタにピッタリでしょ、と続けた。

会った


放課後の下駄箱で会った。
徹マン明けの帰り道でも会った。
順番待ちのレジ前で会い、
火事を見物する人混みの中でまた会った。
仮眠室、職安、旅先、女の葬式で会って、
今この最期の時に、僕はまたこうして君と会った。

2018年12月26日水曜日

皆が落とすもの


ソレは失うものでも絶つものでもありません。
ソレは落とすものです。
人は皆、うっかり/わざと/気付かず財布を落とすように、
うっかり/わざと/気付かずソレを落とすのです。
拾ってくれた人への謝礼は一割ですよ。

現の虚 2014-4-9【穴の中】


穴の中を這ってる。最初柔らかだった穴は今は固い。湿ってツルツルした鍾乳石のような手触り。そして暗い。真っ暗だ。

何より恐ろしく生臭い。

穴の中を這い回って結構経った。オモシロくないのは、どういう経緯でこんな穴に入りこんだのか全く思い出せないことだ。だが、今現に穴の中にいる。穴の中を這い回っている。上ったり下りたり右に曲がったり左に曲がったり。それでも穴はまだ終わらない。

疲れた。少し休む。

俺は裸足の左足の裏を裸足の右足の親指で掻く。足の指で足の裏を掻くのはイライラしている今の気分に合っている。ガムはもうない。代わりに煙草とジッポーがあった。なら、煙草を吸おう。

煙草をくわえ、ジッポーをつけると正面に男の顔が出た。額に小さく丸い火傷痕。火傷痕の男は穴の中でこっち向きに腹這いだ。ゆっくりと俺に云う。

「モナ・リザ」は、貴婦人も背景の山も同じ絵の具で出来ている。

俺は煙草に火をつけずジッポーを消す。男の顔も消えた。もう一度、左足の裏を右足の親指で掻く。ジッポーを再点火。

現実の世界も「モナ・リザ」と同じだ。

火傷痕の男はゆっくりはっきりと発音する。瞬きしないその男と俺は見つめ合う。目玉にジッポーの火が映っている。俺はぐっと我慢して、ジッポーの火をくわえた煙草の先へ運ぶ。

例えば、光の速度とは究極の速さではなく、世界の真の距離のことだ。

ジッポーの火を消すと暗闇にオレンジ色の煙草の火だけが残った。火傷痕の男は、まだ目の前の暗闇にいるのか、いないのか。いた。暗闇から声だけが聞こえる。

それゆえ、隔たった二つのやりとりが光の速度を越えていたなら、その隔たりは「見せかけ」ということ。真実の姿は距離無し。舞台上には父と呼ばれる者と息子と呼ばれる者がいるが、実は一人の人間。もつれた量子など初めからない。

その途端、穴が固さを失ってだらんと垂れ下がり、俺を逆さに滑り落とした。落ちた先には雪が積もっていたが、頭から落ちた俺の首はイヤな角度に曲がった。イヤな音もした。首から下との連絡が絶たれた可能性がある。それならば、首から下にまだ意識の惰性が消え残っているうちに急いで立ち上がり、あそこに落ちている携帯電話を拾って救急車を呼ぶのだ。人間の体は、たとえ首を切り落とされても少しの間なら動けるはずだから。

俺の「首から下」は、立ち上がり、携帯電話まで走ってそれを拾い上げ、だが、そこでただのモノになって雪の上に崩れ落ちた。

2018年12月21日金曜日

ズローチ


謎の薬「ズローチ」。
「水やけど」の治療薬で、
唇を虫に噛まれたときにも使える。
或る年齢以上の老人はみんな知っていて、
かつては小学校の売店でも普通に売られていたが、
最初の東京オリンピックを境に姿を消した。

現の虚 2014-4-8【盗まれた手紙】


来た道を地図の上で辿って赤いバツ印を確かめる。もうこの辺りだ。

ちょっと。

いきなり後ろから声を掛けらてギョッとする。こんな辺境の地に他に人間が居るとも思えない。一瞬アイツ(砂漠谷)かと思ったが、違った。振り返ると、アンドロイドの郵便配達員が立っていた。昔から辺境の郵便局員は異星人かアンドロイドと相場が決まっている。この郵便配達員はアンドロイドの6型だ。目で分かる。瞳孔が赤くうっすらと光っているから。アンドロイドは感情が高ぶると瞳孔が赤くうっすらと光るのだ。ということは、このアンドロイドはなぜか今コーフンしているということだ。理由は思い当たらない。僕は用心した。

何か用かい?

郵便配達員は肩から提げた鞄をモゾモゾやって、これを、と黄色い封筒を差し出した。僕は警戒しながらそれを受け取った。宛名は僕になっていた。だが、既に封が開いていて中身がない。

盗まれましたよ、遠の昔のすっかりと。

郵便配達員が気の毒そうに顔を歪める。

盗んだ者だけが手紙の内容を知っています。差出人はすでにこの世にいないのです。

僕は封筒を裏返し、差出人を確かめた。僕の双子の姉だ。僕はそのとき初めて姉が死んだことを知った。双子はそれぞれの身に起きたことをお互い察知し合うと云うが、あんなのはウソだと思い知った。今、この機械の人間に教えられるまで姉が死んだことなどチットモ知らなかったからだ。虫の知らせも、原因不明の胸の痛みも、夢枕に誰か立つお告げも、何もなかった。

しかし、いつだろう?

ワタクシの前任者が襲われ封筒の中身が奪われましたので、差し出し人に連絡を取ったのですが、その時にはすでに亡くなっておられました、とアンドロイドの郵便配達員は云って、一枚の写真を見せた。それは墓の写真で、墓石には姉の名が刻まれていた。確かに姉は死んでいた。だが、墓石に刻まれた日付がおかしい。姉が死んだ年が今から千年も未来になっている。

そのとき墓石の裏から姉の声が聞こえた。墓石の写真を見ていただけのはずの僕は、その懐かしい声につられて、ついうっかり〈実際に〉墓石の裏に回りこんでしまった。そして、そこにあの〈穴〉を見つけた。アイツ(砂漠谷)の罠だと気付いたときにはもう遅かった。

そもそも僕に双子の姉などいない。

墓石の裏のブヨブヨと蠢く肉色の〈穴〉が、すごい吸引力で僕を吸い込んだ。僕は、温かく柔らかだが恐ろしく生臭い、その〈穴〉の中に閉じ込められた。

2018年12月19日水曜日

現の虚 2014-4-7【消火栓の手品男】


僕は管理人のエリちゃんに描いてもらった地図を取り出した。廊下のどん突き。この赤い金属の箱が、おそらく地図に示されたチェックポイントの消火栓だ。

蓋を開けた。空っぽだった。箱の底によく分からない小さな虫の死骸がいくつも干からびていた。ゴキブリでも蠅でもない、脚の無数にある楕円形の虫の死骸だ。他には何もない。

仕方がないので蓋を閉めると、何かがつっかえた。なんだろうと思って開け直してみたら、さっきはいなかった裸の男が狭い中に膝を抱えて座っていた。なんだか生きてる人間ではないような、具合の悪そうな顔。その上、髪の毛も眉毛も腕毛も臑毛も、そしてたぶん睫毛もない。きっと無毛症なのだ。

手品…

その、なんだか生きてる人間ではないような顔をした無毛症の男がぼそりと云った。僕はうっかり、エッと訊き返す。男はもう一度繰り返した。

手品…

無毛症の手品男は唐突にスキンヘッドをカリカリ掻いた。

終わり…

手品男はそう云ったきり黙った。あとはただ恨めしそうなギョロ目を僕に向けるだけ。僕は辺りを見回した。他に消火栓は見当たらない。

探してるの…?

手品男が訊く。僕は頷く。

何を…?

僕は手品男に地図を見せ、消火栓を探しているのだと云った。手品男は膝を抱えたまま眩しそうな目でしばらく地図を眺め、首を傾げた。そして僕を見た。

閉めて…

と、手品男。僕は一瞬何のことだか分からなくて無反応だ。

蓋…

と、辛抱強い手品男。ああ、と僕。僕は消火栓の蓋を丁寧に閉めた。今度は最後まできちんと閉まった。

僕は噛み終えて味のなくなったガムを窓から投げ捨て、最後の一枚を口に入れた。つまり、どこかで新しいガムを手に入れない限り、もうあまり時間がない。珈琲味のガムをゆっくり噛みながら、地図をグルグル回して、来た道を思い返す。道を間違えたとは思えない。やっぱりこの消火栓だ。どう考えてもそうだ。僕は再度消火栓の蓋に手をかけた。

まだ…

中から手品男の声が聞こえた。

あ、もういいよ…

僕は蓋を開けた。手品男の姿はなかった。虫の死骸もキレイになくなっていた。代わりに未開封のガム(10枚入り)が置いてあった。

やる…

どこからか手品男の声がした。僕は遠慮なくそのガムを貰った。するとまた手品男の声が、

閉めて…

僕は云われるままに消火栓の蓋を閉めた。

開けて…

開けた。また未開封のガム(10枚入り)が置かれていた。

無限増殖技…

僕はその行程を何度か繰り返し充分な数のガムを手に入れた。

紅玉髄


紅玉髄(カーネリアン)たちが囁き合ってる。
真に偉大な思想家は書き残しはない。
思想はただその不完全さ故に書き残される。
偉大な思想家の完全な思想は、蝶のその羽ばたき。

2018年12月17日月曜日

たった一匹の同じ猫


全ての猫はたった一匹の同じ猫、
と猫が云う。
全ての生き物は、と云いたいところだがそれは無理。
身体の仕様が異なれば体験の質が変わる。
だから、そうは云えない。
つまり残念だが人間はたった一匹の同じ猫ではない。

現の虚 2014-4-6【水の中の管理人室】


管理人室はプールの内側の壁の中にある。だから、水が張ってあると出入りできない。そこでプールサイドに立ち、賢者に貰ったイニシエの剣を掲げる。するとポポロポーンと音がして一瞬でプールの水が引く。

というのはウソで、普通に排水口の栓を開けてもらっただけ。

僕は水を抜いたプールに降り、丸いガラス窓を覗き込む。管理人室は空だった。物は揃っている。人影がないという意味だ。結構な水圧に耐えなければならない管理人室の入り口は潜水艦のハッチに似ている。僕はハンドルを回して扉を開け、勝手に中に入る。管理人とは知り合いだから平気だ。

管理人とは知り合いか。確かにそうだが、しかしどうだろう。人間でも動物でもない人工物に「知り合い」という言葉は使えるのか。こっちは確かにアッチを知っている。しかしアッチは本当にこっちを知っているのか。そもそも誰かを知っているとはどういうことなのか。

などと考えながら、僕は奥の座敷に勝手に上がり込むと、そこにあった座布団の上に胡座をかいた。そうやって、新しいガムを噛みながら待っていると、トイレから管理人が出てきた。

なかなか人間らしく振る舞うコツを心得ている。

管理人は妙な関西弁で、あんたまた勝手に水抜いて、と僕を非難してから壁のボタンを押し、プールに水を張り直した。ここでの水は「場の力」の干渉を防ぐバリアであり、情報を受け渡すインフラでもある。「水は盾、水は道」なのだ。管理人がプールを空のままにしておくのを嫌がるのは当然だ。

管理人は、見た目60くらいのオッサンで、「エリちゃん」と呼ばれている。女の子のエリちゃんとはイントネーションの違う、苗字の方のエリちゃんだ。そのエリちゃんが湯飲みを二つ取り出して、飲むやろ、と僕に訊く。返事は待たない。エリちゃんの淹れるお茶はいつも急須の口からボコボコと弾け出るほど沸騰している。湯飲みを覗き込むと湯気だけで火傷しそうだ。だがそんなシロモノをエリちゃんは少しも冷まさずグイグイ飲む。僕には無理だ。

砂漠谷か、とエリちゃんが訊く。僕は頷く。よっしゃ、ほならパーっと描くわ。エリちゃんはそう云うと作業を始めた。いつもの三色ボールペンをカチカチやって、その辺にあった紙箱の裏に地図を描いていく。

会うのはそう難しいことやあらへん。けど、ヤッツケルのはまた別の話や。生き延びた連中はみんなうまく逃げただけやからな。マトモに立ち向かった連中はもれなく死んどる。

2018年12月14日金曜日

嘆生日


赤ん坊が無事に産まれたばかりの家。
お通夜のように静まり返っている。
ウマレにナニカ?
いや。サンザ、生きる苦しみを味わった挙句、
結局は死んでしまうこの子のこの後を思うと、
フビンでならないのでございますよ。

現の虚 2014-4-5【ソフトコンタクトレンズの日】


紫外線が線になって降り注ぐ無人の屋上プールで、僕は、味のないガムを噛みながら、黒い蝙蝠傘をさして立っている。ここの空からは、線になった紫外線以外にもいろいろと降ってくるから、晴れていても傘が要るのだ。

今もまた、雨とか雪とか雹とかではないナニカが空からキラキラと降っていて、僕の蝙蝠傘はパツパツパツパツ鳴っている。降っているのは蛙や鰯ではない。もちろんお金でもない。コンタクトレンズだ。コンタクトレンズが雨のように降っている。僕はしゃがんで一つ拾う。

ぐにゃりと柔らかいソフトコンタクトレンズ。

プールの水が跳ねた。水泳選手がプールの水から頭だけ出して、お急ぎですか、と僕に訊く。僕は、別に急いでませんよ、と答える。

合い言葉だ。

水泳選手はオレンジ色の硬質樹脂製の競泳用ゴーグルをしたまま空を見上げ訊く。今日のこれはなんだい。僕は、ソフトコンタクトレンズだ、と教えてやる。へえ。水泳選手はそう云って、プールサイドに溜まったコンタクトレンズをまとめて掴むと、手の中のそれをしばらく眺め、コメントなしで投げ捨てた。今日はメッセージを預かってきたよ、と水泳選手はどこからか携帯電話を取り出す。プールの水でずぶ濡れだ。完全防水だから平気さ。水泳選手はそう云って、折り畳み式のそれを広げ、どこかを押す。ほら、聞けよ。水泳選手はずぶ濡れの携帯電話を僕に差し出す。僕はずぶ濡れのそれを耳に当てメッセージを受け取り、メッセージの内容に反応して空を見上げた。もちろん、コンタクトレンズが当たって目を開けていられない。水泳選手も空を見上げ、コンタクトレンズがジャマで見えないな、と云う。

僕は携帯電話を水泳選手に返す。水泳選手は携帯電話を折り畳んでどこかにしまい込むと、指示どおりプールの栓は開けておいたから、と云った。ありがとう、いつも助かるよ、と僕。いや、じゃあ、オレは帰るから。水泳選手はそう云うと、大きく息を吸い込んでズボッと水中に消えた。

入れ替わりに何もない黒い顔が一度に百人、水面に現れる。百人はただ影だ。百人の影は次々にプールから上がると、四つん這いでそこら中を這い回る。みんな自分が落としたコンタクトレンズを探しているのだ。しかしそうしてる間もコンタクトレンズは次々と空から降ってくる。

僕は噛んでいたガムをプールに投げ捨てた。百人の黒い影が一斉に僕を見る。僕は大きな音で鼻をすすって、百人の黒い影をいっぺんに消す。

2018年12月10日月曜日

落語セット


近所の蕎麦屋が「落語セット」を始めた。
もりそばに生の落語がついている。
落語はオジイサンの落語家がやる。
「オモチャセット」もある。
「オモチャセット、一丁」
「あいよ」
オジイサンの落語家は正座して待っている。